龍馬に学ぶ
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次回の龍馬伝では弥太郎が加尾にどのようにふられるのか、あるいは江戸からの龍馬の帰藩に喜ぶ加尾の様子で、妻に娶ることを自発的にあきらめるのか、個人的に注目している。また、リリーフランキーが土佐随一の知識人、絵師の河田小龍を演じるという。これもまた注目している。 さて、吉田松陰があっという間に捕縛されてしまうドラマの展開には驚いてしまったが、吉田松陰を密航に走らせたのは佐久間象山だ。彼が松陰に「ジョン万次郎にならって」密航を勧めた。(象山は勝海舟の妹を娶っており年上だが海舟の義弟になる) 龍馬が佐久間象山の砲術門人帖に入門したのが嘉永6(1853)年12月1日、松陰が密航を企てたペリーの再来航が翌年の1月16日だから、もしも象山が新規入門の龍馬と会い、龍馬の能力を知っていたら、松陰と同様に密航を勧めたのではないかと「坂本龍馬と海援隊」の著者 坂本藤良氏は推測した。たらればの世界だが、龍馬が松陰のように捕縛されていたら日本の夜明けは来なかったのかもしれない。 また、幕府とアメリカの交渉が日本語⇒オランダ語⇒英語 英語⇒オランダ語⇒日本語と、それぞれオランダ語の通訳をまじえて行われていたことを奇異に感じた人もいただろう。なぜジョン万次郎が通訳にならなかったのかとも。 漁師の万次郎が初漁で運悪く漂流し、その後アメリカの捕鯨船に助けられアメリカの地で教育を受け、10年ぶりに琉球に上陸したのは嘉永4年(1851)1月だ。嘉永6年(1853)ペリー来航直後に老中首座の阿部正広はジョン万次郎を江戸に呼び幕府直参に登用している。にもかかわらず再来航のときも、それ以降も通訳から外されたのは、水戸老公 徳川斉昭が、アメリカ人に助けられ、教育を受けたジョン万次郎をスパイと考えたからだ。
「ジョン万次郎」については下記の過去記事を参照してください。
↓↓2009.6.17幕末偉人ジョン万次郎 2009.6.17ジョン万次郎/海舟、諭吉の大嘘 2009.6.19ジョン万次郎のエピソード 2009.6.21ジョン万余話 ところで土佐藩主山内豊信(とよしげ)はジョン万次郎から西洋事情を聴取することを吉田東洋に命じ、その任にあたったのが河田小龍だ。土佐随一の知識人とされ、長崎で西洋文明にふれた河田小龍は、帰国したジョン万次郎からアメリカ滞在の物語を挿画を加えてまとめた。 10年間海外で暮らした万次郎は、日本語を忘れ英語を話すため、小龍のオランダ語は用を成さず、取り調べは遅々として進まなかったので、取調べと並行して、毎日万次郎を自宅に連れ帰って、読み書きを教え、かわりに万次郎から英語をおそわったという。そうしてまとめたのが「漂巽紀略」だ。 万次郎は土佐の後藤象二郎を助け武器購入の交渉にあたっているので、龍馬とも会っていたかも知れない。 龍馬と河田小龍との出会いで龍馬の目は海外に大きく見開かれることになった。 さて次回、どのようにドラマが描かれるか、またまた楽しみになってきた。 |

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人間半世紀以上生きてくると、人の名前は忘れるし、今朝何を食べたかも忘れる。余計に生きた分、余計なことをいっぱい覚えている。だから忘れることは若い人の何倍もある。思い出さないと気になってしょうがないから、面倒でも調べるが、間もなくするとまた忘れる。脳梗塞か、癌細胞の増殖か、あるいは交通事故か、火事か、通り魔の襲撃か、冤罪によってか、くたばるまで「思い出し」を繰り返すのだろう。 千葉佐那さんと「ゆびきりげんまん うそついたら はりせんぼん の〜ます」を見て、子どもの頃を思い出した。随分ゆびきりをしたが、大人になってからは毎日うそをつき続けているから、一度も指きりしたことがない。忘れているかもしれないが、生き様がうそだらけだから間違いない。 ところで懐かしい俳優さんが出ていた。その人の名は「近藤〜です!」の近藤正臣さんだ。「マッチで〜す!」の近藤真彦さんではない。マッチもいい中年になったから若い人には「プロレーサーのマッチさん」のほうが知られているのだろうか。 近藤正臣さんは昭和44年(1969)放送、主役が桜木健一さんの「柔道一直線」に出ていた。近藤さんは結城真吾役だった。柔道はもちろん強いが、音楽にも造詣が深く、足でピアノを弾いていた。鍵盤の上に立ってだ。当時は「凄い!」と思ったが、ピアノの立ち弾きはその後見たこともなく、荒唐無稽の演出だった。近藤さんも齢68歳になっていた。先日NHKのスタジオパークに出演されていたが、白髪でマユも薄く、えらい爺さんになっていた。アルコールで体を壊した人のように見えた。「髪を染めていれば」もっと若く見えたのだが、役作りのためかもしれない。 その近藤さんが土佐藩主山内豊信として出演した。第5回放送はペリーの来航、第6回は再来航を軸に放送されていたから、時は嘉永6年(1853)と安政元年(1854)だ。 山内豊信は文政10年(1827)生まれで、龍馬とは8歳年上だ。41歳の福山雅治が19歳の龍馬を演じ、68歳の近藤正臣さんが27歳の山内豊信を演じた。 この山内豊信が嘉永6年(1853)に吉田東洋を「仕置役(参政職)」に任じ、門閥旧臣による藩政を嫌い、藩政改革を始める。武市半平太や岩崎弥太郎が意見書を提出した頃だ。昨日は城に勇んで登っていった武市が、東洋に「その程度の男じゃったか」といわれていた。文久2年(1862)4月吉田東洋暗殺のまえふりでもある。ちなみに龍馬は文久2年(1862)3月に脱藩した。 さて、弥太郎が加尾にプロポーズしたが、その後を気にしている人はいるだろうか。たぶんいないと思うが、加尾はのちに立志社副社長や警視総監となった西山直次郎志澄(ゆきずみ)と結婚している。弥太郎と加尾のロマンスを期待していた人には残念な話だ。 この時期忘れてはならない人がいる。ジョン万次郎こと中浜万次郎のことだ。万次郎についてもいずれまた調べなおしてから紹介したい。 |

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我が家にBS用のアンテナがあるが、BSは観れない。 先代までのもらいものテレビは観れたが、最新のもらいものはBSが観れない。 流行は薄型だが、体型同様厚型テレビで我慢しようと思う。薄型のお下がりを期待して。 だから土曜午後の「龍馬伝」の再放送が、本放送の前夜祭のように楽しみになっている。 明日の再放送を待ちわびている。 さて、泥水を浴びてもキレイな顔の福山雅治さんと、浴びなくても泥だらけの香川照之さんの極端な対比が、 二人の性格と家庭環境の違い、明治の世に財を成していく弥太郎と、志半ばで斃れる龍馬を象徴している。 二人の素顔を少しだけ調べた。 香川照之さんは1965.12.7生 東大卒、父親は歌舞伎役者の市川猿之助、母親は女優の浜木綿子。 玄人も舌を巻くほどの熱狂的なボクシングファンだそうだ。 彼の作品では「北の零年」の持田倉蔵役や「フリック」が印象的だった。 福山雅治さんは1969.2.6生 明日41歳の誕生日だ。 ほんとは彼のほうが岩崎弥太郎に近い。 彼は長崎県立工業高校卒 卒業後、三菱造船の孫請け会社の営業マンだったことがある。 父親は岩崎弥太郎のような人で、ろくに仕事もせずマージャンばかりやっていたから 母親がパートで働いて兄貴と二人で小学5年から新聞配達をやっていたそうだ。 小学生の頃に空手を習い、喧嘩はめっぽう強かったらしい。 「お前が県立に落ちたら漁船に乗ってもらうしかない」と脅され、必死で勉強して、やっと工業に受かったそうだ。 高校では「お菓子が食べられるから」茶道部だった。 環境的には福山雅治さんのほうが岩崎弥太郎的だが、もて具合はやはり坂本龍馬だ。 高校時代は近くの女子高にファンクラブがあり「バス停の君」と呼ばれていた。 登場する役者のみなさん それぞれ い〜い味を出している。 NHK土曜ドラマの「ハゲタカ」鷲津政彦役だった大森南朋さんも好演している。 だから 明日も 明後日も 楽しみだ。 |

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このたびの龍馬ブームはNHKが作った。 相当な経済効果が期待されているようだ。全国各地域でも、龍馬にあやかり、ひと儲けしようとしのぎを削っている。本屋も玩具屋も酒屋も商工会議所もだ。キューピーさんの「龍馬とおりょう」を家宝にしている私としても、これを機に龍馬オタクが増殖することは、実は嬉しくもあり寂しくもある。 どこにでもいる普通の青年龍馬、が自分の中にもいるのだと多くの若者が、感じてくれるであろうことが嬉しい。 寂しいのは、「龍馬かぶれ」を密かに自慢していたのに、龍馬オタクが増殖すれば「いっぱい飲みながら龍馬語り」する機会が少なくなるからだ。たとえ聞いてなくても ~~; 私でさえ「竜馬がゆく」を何度も読み、感動を新たにしても、2〜3ヶ月もすればストーリーを忘れてしまう。ましてや10年前、20年前、30年前に読んだっきりの人だと、知識はほとんど無くなっており、「司馬遼太郎」と「坂本龍馬」の名前以外はなんにも覚えていない人ばかりだ。つい最近まで「龍馬」を「りゅうま」と読む人が半数いた。そんな人たちを前に語るのはストレス発散になり健康に非常に良かった。 しかし、その寂しさも少々の辛抱だ。番組終了後、半年すればストーリーは皆さん忘れてしまうだろうから、私の出番が再び出てくるはずだ。「龍馬」を「りゅうま」と呼ぶ人が再び出てきた時が潮目だろう。 私もかつて龍馬と名のつく本をくさるほど買い漁ったことがある。まだ読んでいない本も数冊ある。今は金がないから買えないが、何度も読み直すことのできる、あきない本があるから、申し訳ないが、今書店に新刊がいくら出ていても消費意欲をくすぐられることはない。 良書は3セット以上持つことにしている。自分用・貸出用・保存用だ。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」、坂本藤良の「坂本龍馬と海援隊」、津本陽の「龍馬残影」は何度読んでもあきない。読み方が悪いからか、特に「坂本龍馬と海援隊」は一冊がぼろぼろになってしまった。(坂本藤良の三部作もお勧めだ。上記のほか「岩崎弥太郎の独創経営」「小栗上野介の生涯」だ) ところで、先日久しぶりに近所の本屋に行って驚いた。龍馬関連図書のなんと多いこと。数えてはいないが両手でも足りない種類だ。龍馬伝は三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の目を通して描かれているのに、岩崎弥太郎関連図書は片手にさえ余る。あまりの差だ。 創始者があれほどまでこ汚く、埃だらけで、嫉妬に燃え、美しい龍馬の影のように描かれている。三菱グループのみなさんはどう感じているだろうか。 弥太郎の母美和の側にはいつも弥太郎の弟、弥之助がいる。弥之助は「海の三菱」を「陸の三菱」に変えた人だ。炭鉱や金属鉱山経営、払い下げを受けた長崎造船所は三菱重工となった。小岩井農場の経営や麒麟麦酒を作ったのも彼だ。 多くの龍馬ファンは「キリンラガー」の「麒麟」を「龍馬」だと思っている。全国大会の冊子にはよく、キリンビールのコマーシャルが載っているがイラストは龍馬の後姿だ。肩をトントンゆすっているから立ちションの後姿だと思う。最近シェアナンバーワンに返り咲いたと聞いた。一気に差をつけるには絶好のチャンスだと思うのだが、弥太郎・弥之助のいごっそう気質を連綿と引き継いでいるのだろうか、龍馬を売りにすることは殆どない。「わしは龍馬が大嫌いじゃった」と麒麟麦酒に伝わっているのではないだろうか、と心配になってきた。 ここまで読んでくださって、何が朝青龍や貴乃花親方と関係があるのか?といわれるが、実は話が初めからそれてしまった。ブームはマスコミ主導で作られ、庶民はいじられているだけだという話しをするつもりでいたがあさっての方向に行ってしまった ~~ 。 「さんざん持ち上げておいて落とすのがマスゴミの仕事」だ。龍馬ブームは今回はNHKが仕掛けた。朝青龍バッシングもマスゴミが仕掛けている。相撲協会の理事選と絡めれば新聞は売れるし、テレビも時間つぶしになる。 一方で批判し、一方で甘やかし、あげたりおとしたり、金儲けの道具に庶民は誘導されている。 かつては若貴兄弟の反目を取り上げたり、貴乃花をマインドコントロールされた人物として気違いのように面白おかしく取り上げていた。死にぞこない松村のものまねが象徴的だ。 朝青龍の暴力事件は酒の上の話しだ。往々にして怒らせる原因を被害者は作っている。あってはならないと言われるが、所詮は当事者同士の問題だ。訴えられてもいないのに外野でわいわい騒ぐ話しではない。国技というが関取の大半は外国人だ。せいぜい大関どまりでよかったのに曙や武蔵丸が横綱になり、日本人横綱もいたから許されたが、いまやモンゴル人の二人横綱だ。 朝青龍に国技をモンゴル技で支えてもらったくせに、いまさらなんだ。モンゴルとの間で国際問題になるかもしれない。 かつては名横綱大鵬、柏戸がハワイから拳銃を密輸しても、立派に横綱の仕事を果たした。それを認めてきたのは心広い日本人だ。モンゴル人だからといって視野がマスゴミに踊らされて狭くなってはだめだ。 どうせ辞めさせられるのなら、芸能記者やコメンテーターをぶん○ってから辞めるのもスッキリするかもしれない。 こちらの龍は朝から青くなる話題ばっかりだ。今日本国内でテレビを見ない人が二人いる。 朝青龍とアサシオ親方だ。 「理事会はどう判断を下すのだろうか」と重々しくテレビがくっちゃべっている。 |

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