龍馬の妻、お龍の証言では、長次郎の訃報に接し「己がおったら殺しはせぬのぢやった」といったそうですし、「坂本龍馬手帖摘要」には「術数有余而至誠不足、上杉氏之身ヲ亡ス所以ナリ。(じゅつすう ありあまりて しせい たらず うえすぎしの みをほろぼす ゆえんなり)」と記していました。
長次郎の最期に龍馬は関わっていないといわれていますが、お龍の証言と手帖の記述にリーダーとしての龍馬の苦悶が伺えます。
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龍馬に学ぶ
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わたしたちの身近に海援隊がいっぱいあります。
昨年3月にアップした記事の一部を抜粋します。
http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/kaientaiki.gif
「 赤 白 赤 」の旗は土佐海援隊の船印です。坂本龍馬は慶応元年(1865)五月 貿易商社 亀山社中を設立します。慶応三年(1867)四月 脱藩罪赦免となり亀山社中を土佐海援隊に改編し隊長になります。 祝いの紅白の幕を横にしたのでしょうか? 祇園の提灯をイメージしたのでしょうか? この年の五月頃、長崎の「土佐商会」に岩崎弥太郎が赴任し、海援隊の経理一切をまかなうようになります。 赴任後間もなく、「いろは丸衝突事件」「イカルス号英人水夫事件」など、短い期間でしたが、龍馬と海援隊に振り回される日々を送ります。 http://www.nyk.com/image/logo.gif
岩崎弥太郎は明治三年(1870)十月「土佐開成社」を設立し、海援隊と同じ海上輸送を事業の中心とします。 その後「九十九商会」「三つ川商会」と変遷し三菱海上王国の基礎を作っていきます。 三井・長州藩閥政府との海上輸送をめぐる壮絶な戦いの中、明治十八年(1885)二月に亡くなりますが、弟弥之助によって同年九月「郵便汽船三菱会社」と「共同運輸会社」が合併し「日本郵船会社」を設立します。海援隊と同様、白地に赤線二本が会社のマークになっています。
日本郵船のグループ企業です。トラックやトレーラーでよく見かけるマークです。
コンテナですが、MITSBISHI三菱の文字が見えます。
こちらには三菱のマークが見えます。
そばには郵便局のマークのついたトレーラーが。似てますよね。
第一生命のマークも似ています。関係ないんでしょうかね。
スタンドの洗車機についた進入禁止のマーク。丸い海援隊旗です。
右にあるコーンも紅白のがありますし、その後方にある方向指示の標識も私には海援隊旗に見えます。
お祭りや式典の紅白幕はもちろんのこと、工場の紅白の煙突、床屋のポールサイン、星条旗を見ても、
「おっ!海援隊!」と叫んでしまいます。
お世辞でも褒めてくれる人が次々亡くなるので、見つけるたびに「さ〜すが〜」と自分を褒めています。
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龍馬は懐手に何を持っていたのだろうか。
ちょっと謎めいているが、胃痛のため腹を押えていたのでも、ピストルを持っていたのでも、万国公法を持っていたのでもないと私は思っている。
龍馬は『南部煎餅』持っていた!
あの写真の小刀は楠木正成仕様といわれているのだ。
龍馬の和歌だ。
湊川にて
「月と日の むかしをしのぶ みなと川 流れて清き菊の下水」 月と日は天皇の象徴、湊川は楠木正成の戦死したところ、菊水は楠木正成の家紋。
楠公義祭同盟の江藤新平(南白)、副島種臣、島義有、大隈重信らは勿論のこと、新田義貞の墓がある福井藩の松平春嶽、横井時存(小楠)に西郷隆盛(南州)など龍馬の周囲には南朝信奉者が数多くおり、山口の明倫館では楠公祭がとりおこなわれ、吉田松陰が祭祀されているし、水戸光圀が着手した「大日本史」の特徴は勤王思想と南朝正統論だった。明治維新は南朝革命とも言われている。
だから『南部煎餅』なのだ。
南部煎餅の由来には
一、長慶天皇創始説 二、八戸南部氏創始説 三、キリスト創始伝承説 などがある。
>>> WIKIPEDIAの「南部煎餅」にこうある。
その由来には諸説あるものの、大方は「長慶天皇創始説」を取っている。
長慶天皇創始説
南北朝時代の頃、南朝の長慶天皇が名久井岳の麓(現・三戸郡南部町)、長谷寺を訪れ、食事に困った時に家臣の赤松助左衛門が近くの農家からそば粉とごまを手に入れ、自分の鉄兜を鍋の代わりにして焼き上げたものを天皇に食事として出した。この食べ物が後の南部せんべいの始まりであるとする説である。 さらに天皇はその風味を非常に好んで度々、赤松に作らせ、天皇は煎餅に赤松氏の家紋「三階松」と南朝の忠臣、楠木正成の家紋「菊水」の印を焼きいれることを許したという。現在の南部煎餅には確かに「菊水」と「三階松」の紋所が刻まれている。昭和20年代初頭に、八戸煎餅組合によって「南部せんべい」の創始起源の再整理が行われた際、この説を中心に整理された。 <<<
好きな人のものは、ただ名前が付いているだけでも欲しくなるものだ。昔も今もかわらない。私もそうだ。
だから懐手の謎に、『南部煎餅』もいれてほしいと思っている。
それでは南部煎餅のデザインを見てみよう。
龍馬といつも一緒にいたい私だ。この度の八戸、盛岡の旅行では携帯ストラップに『南部煎餅』をぶら下げて行った。
もともと多少おかしいが、本州の暑さに気がふれたわけではない。
聞いてくる人には触らせてあげた。
「湿度が高いので、柔らかくなってますけど」
結構うけた。
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先日の記事で浄土ヶ浜に行ったと書いたが、この宮古で日本初の海戦がありました。
WIKIPEDIAから一部抜粋>>>宮古湾海戦(みやこわんかいせん、明治2年3月25日(1869年5月6日))は、箱館戦争における戦闘のひとつで、盛岡藩宮古村(現在の岩手県宮古市)沖の宮古湾で発生した。海上戦力で新政府軍に対して劣勢に立たされていた旧幕府軍は、新政府軍の主力艦である甲鉄への斬り込みによってこれを奪取する作戦を決行したが、失敗に終わった。これはアボルダージュ(フランス語・Abordage、英語・Boarding)と呼ばれるいわゆる接舷攻撃で、敵艦に乗り込みこれを奪い取るという近代以降では世界でも数少ない戦闘事例である。<<<
新政府軍は箱館五稜郭の旧幕府軍を征討するために八隻の船団で宮古に入港。その情報を得、新政府軍の最新鋭艦「甲鉄」を奪取せんと、旧幕府軍が三隻の軍艦で宮古に向いました。
しかし天候不良・機関不良の為新撰組副長土方歳三らが乗った「回天」一隻で奇襲攻撃を強行したのが宮古湾海戦でした。
戦闘は30分ほどで旧幕府軍の完敗で終了し、この2ヵ月後戊辰戦争は終結しました。
新政府軍には東郷平八郎が砲術士官として従軍しており、この奇襲の衝撃を後年まで忘れず、「意外こそ起死回生の秘訣」として日本海海戦の勝利に繋がったといわれています。
今から141年前のことです。
さて浄土ヶ浜には24年前に仙台に行く途中、駐車場までは行きましたが、強行日程の為何も見ることなく先を急いだ経験があり、このたびの旅行では堪能させてもらいました。第一駐車場までは無料のボンネットバスが周回しておりお世話になりました。ガイドの昔のお姉さんも親切な方で、若い運転手さんも感じの良い方でした。
ボンネットバスも約40年ほど前のものでしょうか。よく手入れが行き届いており、あの急な坂道を轟音とものすごく遅いスピードで、車体をブルブル揺らしながら駐車場まで走ってくれました。当時のことはまったく記憶にありませんが、こんなに配線むき出しで走っていたのでしょうか。景色以上に感激しました。
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前回 一足早く 龍馬暗殺のことを話題にした。
龍馬伝ではどんな驚きの展開になるか心配だが、皆グルだったって展開になるのが一番波風が立たない設定だろう。だれも龍馬の考え方を理解できるものはいなかったし、一つの流れが出来てしまえば、龍馬のような、なんの後ろ盾も持たない一介の浪士は消されるだけの運命なのだ。利用価値がなくなった瞬間消されるというわけだ。「人間万事塞翁が馬」とはよくいったもので、万事順風満帆とはいかないものだ。半世紀も生きてくると、人生とは実力よりも運が八割なのだというふうに考えるようになった。龍馬を見ているとつくづく思う。
幕府にとっては寺田屋の殺人犯、指名手配犯だ。土佐では脱藩者でしかも下士。薩摩にとっては討幕を妨害する最大の邪魔者である。昨日の友は今日の敵だ。
つまり現代の善玉ヒーロー龍馬も彼らにとっては悪玉龍馬だった。だから殺された。
善玉悪玉といえばコレステロールのことを話そう。・・・・・・龍馬伝並の意外な展開だろう
先日義姉が「横紋筋溶解症」と病名をつけられた。悪玉コレステロール(LDL)を減らすために2年前からクレストールという薬を服用していた。。。。。服用させられていたのだ。その副作用が顕著に現われたのだ。CPKの数値はまだ聞いていないそうだが、数千数万だと重篤になる。
飲み始めてから筋肉痛が始まり、最近足元が不如意になってきたため不審に思い医師に相談し検査したところ新たな病名をもらった。医者からも服用をやめるようにいわれたが、やめればコレステロールは増加する。
コレステロールで義姉は心筋梗塞よりも脳梗塞を心配している。妻もそうだ。そういう家系だ。寝たきりになれば自殺もできないという。家族に世話をかけたくないという。さっきも電話で話したが、誰の世話にもならないで生きてきたと言うのは傲慢だと叱ってやった。
薬になんか頼らずに食事で改善しよう。食事では副作用はない。不飽和脂肪酸(DHA、EPA)大豆たんぱく質、リノール酸・・・えらそうに言ってしまった。自家菜園があり、いつも散歩している義姉に、極力動かずメタボな私が言ってしまった。
2008年からメタボ検診が始まった。健康な人を病人に仕立て上げ、医者と薬剤メーカーを儲けさせるでっちあげ健康基準の押し付け制度だ。
私の場合ここ4年間健康診断にも行っていないから、どう逆立ちしてもメタボだが、病名はないし、薬も飲んでいない。何を食べても美味い。これこそ健康の証拠だと好き勝手に言っている。
日本で一番売れている薬は血圧の薬だ。血圧の降圧目標は2000年に180mmHgから170mmHgになり、2004年には140mmHgに下げられた。いままで健康だった人が病人にさせられた。食事のせいで血管は丈夫になったから185mmHgまでは血管は破れないといわれており、平常時160mmHgくらいに抑えておけば心配ない(20mmHgくらい興奮するとすぐ上る)。それなのに血圧を下げるからみんな脳梗塞になってくたばる。
中性脂肪なんてものは食事や運動の影響を大きく受けるし、死亡率との関係はないから気にする必要はないのにみんな気にしている。悪玉コレステロール(LDL)だって細胞膜や神経細胞、ホルモンの重要な原料だ。コレステロールの値が低いと免疫機能が低下しガン死亡率が上昇する。
義姉は妻の母親代わりだ。できるだけ丈夫で長持ちしてもらいたいのだ。
医者からLDLは悪い奴だといわれクレストールを服用して死んでしまっては、一度っきりの人生、悔やんでも悔やみきれない。
この場合、黒幕は厚生労働省と薬剤メーカーだが・・・・・その上は闇の中だ。
話を龍馬に戻そう。
すでに廃刊になってしまったが、月刊現代の2008年6月号で出久根達郎vs山本一力の謎解き対談があった。そこで出久根氏が面白いことを言っていた。
先に藤吉が切られたわけだから龍馬と慎太郎は一瞬身構えたはずだ。二人とも剣の腕は立つ。そのとき醤油を目潰しに使ったのではないかと・・・・醤油の香りが立ち込める近江屋で、しかも血の色も醤油の色も区別がつかなかったろうと・・・・龍馬を匿うために近江屋を選んだのは誰かで大きなドラマが組み立てられる面白さがあるといっていた。
友人の山歩きの達人たちは熊が近くにいると獣の匂いを感じるというから、龍馬にしても自分の匂いを消す為には近江屋は絶好の隠れ場所だったのかもしれない。中岡慎太郎が「目潰しに醤油をかけられた」とは言っていないがそばにいた誰かが殺人者の共犯で暗殺を幇助したかもしれないし・・・・・
いつもこんなことばかり考えていると思われると心外だから言うが、こんなことは年に一回ぐらいしか考えていないから誤解しないでほしい。
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