|
昨日の夕方病院に行ったら、父が「新聞に坂本龍馬の記事が載っていたからとっておいたよ」と渡してくれた。 せっかくくれたのでスキャナーにかけてこちらに載せたいと思います。 [[attached(1,center)]] [[attached(2,center)]] [[attached(3,center)]] [[attached(4,center)]] おりょうと結婚。まもなく京で暗殺される。 さなは晩年「坂本竜馬のいいなずけだった」と周囲に語り、竜馬の形見として着物を大事にしていたと伝えられている。 墓は甲府市内にあり墓石には「坂本龍馬室」と刻まれている。 ・・・とつづいています。 この新聞では「坂本竜馬」の方を採用しているようですね。 さなさんが結婚していたというのは初めて知りましたが、自分の幼なじみと夫がいい仲になって「やっぱり私が愛しているのは龍馬さんだけ。。。」と思いなおし、晩年は龍馬のいいなずけとしてこの世を去ったのでしょう。。。 ●転載可にしました。お持ち帰りしたい方はどうぞ('-'*)
|
龍馬に学ぶ
[ リスト | 詳細 ]
|
産経新聞政治部長乾正人氏の記事を転載した。「いぬい」さんとお読みするのだろうか。まさか「かん」ではあるまい。
かん総理がTVコマーシャルの中で日本の国旗をごしごし洗い、中心の日の丸をすっかり白くしてしまう姿を見て以来、韓総理と呼ぶことにした。
本紙は唯一確信をついていたが、殆どのメディアは与党の敗因を「普天間」「政治と金」「消費税増税」とした。
多くの若者はネットを通じて「反米親中」の現左翼政権の執念とも思える闇法案「外国人参政権付与法案」「夫婦別姓法案」「人権擁護法案」の成立に日本の危機感を覚えたのではないか。だとすれば''かすかな''希望を見た思いになるのだが。
北海道では自民の長谷川岳氏、民主の徳永エリ氏が当選した。YOSAKOIの創始者とテレビレポーターだ。
長谷川氏の当選後の会見から闇法案について、一言も聞けなかった。
徳永氏からもだ。政治を市民目線で行っていくそうだ。一生懸命やって民主党を支えて行きたいそうだ。
北海道の某農業団体は「長谷川氏でも徳永氏でも、どちらでもよい。北海道の農業振興のために頑張ってほしい」などというコメントを垂れ流していた。
まるで北海道議会選挙?かと見まがうコメントだ。テレビ局が誘導してのコメントだろうが、国政とはそんなレベルで語られるのか、まるで進歩がない。他都府県でも同じか。
ところで、死刑を執行しない大臣が落選して喜んでいたら、民間人として継続してその任にあたらせるそうだ。全く国民も舐められたものだ。
マスコミも、9月の民主代表選の際に「闇法案」を攻撃して新たな政界再編を仕掛ける可能性もないわけではないが、そんな玉でもないだろう。
さて、先日初孫のお食い初めをやってきた。関東だから「石」が用意されていた。関西では「蛸」だそうだ。タコと言えば、サッカーワールドカップの勝敗を100%当てた、あのタコに民主党政権が是か非か占って貰いたいものだが、タコの寿命は2年で彼は(彼女?)は2歳半ということで時間がない。
しかし大体世界中のマスコミで大きく取り上げられたタコだ。寿命も短く多額のオファーがあれば水族館側も手放すだろう。金回りのいいCHINAが購入するかもしれないし、そうなれば仲のよい現政府に貸し出し可能かもしれない。
ひとつぐらいいいことをやってもらいたいものと・・・・・
|
「龍馬は神」海援隊士の書 佐柳高次の遺品公開へ…香川http://osaka.yomiuri.co.jp/photo/20100704-216767-1-N.jpg
資料館に展示が決まった「坂本龍馬神宮」の書を手にする佐柳高次の子孫、鮫島和子さん。右は夫の貞一郎さん(滋賀県湖南市で) 江戸幕府の軍艦「 咸臨丸 (かんりんまる ) 」の水夫で渡米し、後に海援隊士として坂本龍馬と行動をともにした 佐柳 (さなぎ ) 高次(1835〜91)の書などの遺品が、ふるさとの香川県多度津町の町立資料館で今秋、初公開される。龍馬や隊士を弔う書には「坂本龍馬神宮」とあり、龍馬を慕う思いや、隊士たちとの強い結びつきがうかがえる。
佐柳は、瀬戸内海の 塩飽 (しわく ) 諸島の佐柳島(多度津町)で育った。島々は古くから海運で栄え、咸臨丸の水夫50人のうち35人は同諸島の出身。佐柳は1855年、幕府の長崎海軍伝習所に水夫として採用され、咸臨丸に乗船した。
その後、勝海舟の紹介で、龍馬と出会い、海援隊に参加。67年に龍馬が暗殺されると、山口県下関市にいた妻・お 龍 (りょう ) に伝えに行ったとされる。幕末の動乱を生き抜き、69年に帰郷した。
書は、滋賀県湖南市に住む 玄孫 (やしゃご ) ・鮫島和子さん(62)が保管。縦120センチ、横30センチで、「坂本龍馬神宮」と力強い字体で記し、海援隊の近藤長次郎、池内蔵太ら隊士14人の名も添えている。鮫島さんは父から「高次は朝晩この書を掲げ、龍馬を神として拝み、仲間の冥福を祈った」と教えられた。
公開は10月1日〜11月28日。咸臨丸渡米から150年に合わせ、町立資料館が企画した。佐柳がサンフランシスコで購入したとされる、ダンスを楽しむ若い男女をあしらった陶製の絵皿なども展示される。
霊山 (りょうぜん ) 歴史館(京都市東山区)の木村 幸比古 (さちひこ ) 学芸課長は「海援隊の人間関係を示す珍しい資料。亡くなった海援隊士の名も記していることから、海援隊が龍馬を中心に結束していたことがわかる」と話している。
(2010年7月4日 読売新聞)
いろいろなものが残っているもんですね。
海援隊の佐柳高次は咸臨丸の水夫だったんですね。
実は大型船を「見慣れている」との理由で長崎から15人、塩飽諸島から35人計50人の水夫が乗船しますが、瀬戸内海しか知らない塩飽諸島の水夫はもちろんのこと、あの太平洋の荒波のなかでは誰も甲板に出なかったそうです。そんな中でジョン万次郎が孤軍奮闘しています。
咸臨丸はブルック船長ら11人の米人水兵が帰国のため乗船していました。
米人の手は借りないと豪語していた勝海舟ですが、ジョン万次郎とブルック船長等の力によりサンフランシスコに投錨したのです。投錨の二日前、万延元年(1860)2月24日海舟は万次郎に操船の全権を任せました。
万次郎が日本人水夫に「マストに登れ」と命令すると「吊るし首にするぞ」といって逆に脅されたそうです。
佐柳高次はどうだったのかは知る由もありませんが。
|
|
朝一番のアポをすっぽかされPCに向かひて心に映りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそもの狂ほしけれ
朝一番の約束・・・・・調子が狂います。
コーヒーで心をおちつかせ 次にそなえ もの狂ほしき心にせんとする。
自らはいみじと思ふらめど、いとくちおし。
徒然草第七十四段より
蟻のごとくに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る人、高きありいやしきあり、老いたるあり若きあり、帰る家あり。
夕に寝ては朝に起く。営むところなにごとぞや。生をむさぼり、利を求めてやむ時なし。身を養ひてなにごとかを待つ。奇するところ、ただ老と死にあり。そのきたること速やかにして念々の間にとどまらず。これを待つほど、何の楽しびかあらん。まどへる者は、これを恐れず。名利におぼれて、先途の近きことをかへりみねばなり。おろかなる人は、これを悲しむ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。
・・・・・・・一体全体人間のやっていることは何なのか。生をむさぼり、利を求めて、やむ時もない。身体を養って、何を期待するのか。待ち受けるものは、ただ生と死とだけである。・・・・・・・
「利を求めて、やむ時もない」・・・これは私のことで、疲れたときにいつも浮かぶ七十四段・・・
そのとき龍馬は
なにか、落語の「爆笑龍馬伝」のような突拍子もない展開ですが。
ただ老と死にあり、と達観したところで仙人のように生きることもかなわず。
そんな時に思い出すのは龍馬のこと。
意地悪い御仁は「いくら私心のない龍馬だって、自己満足も利じゃないか」と言うが、ただの一利だ。
が、たった一度の人生である。満足いく生涯をおくりたいもの。龍馬もそうだったに違いない。
QOLという言葉がある。クオリティーオブライフだ。どうせだったら気持ちよく生きたいもの。
己を磨く。家族のために頑張る。負けない。へこたれないである。
変化の理を知る。明日はいいことがあるかもしれない。
朝っぱらからへこたれの豚馬でした。
約束は守りましょうね
|
|
7/4放送の第27話『龍馬の大芝居』では密かに土佐に入り、武市らを救うために「吉田東洋殺し」の嘘の自白を行いました。何とまぁとんでもないことを考える龍馬(脚本家)でしょうか、さすがです!
とんでもないと言っても、融通無碍な龍馬のことですから、そんなことも「あったかも」しれません。
「あったかも」というのは元治元年(1864)11月に勝海舟は塾頭を罷免され、路頭に迷うはずの龍馬たちでしたが、薩摩は洋式艦船の購入を計画しており、操船技術を持つ龍馬たちはぜひとも欲しい人材でした。それで彼らは薩摩藩の庇護を受けることになったのです。しかし翌年(元治2年・慶応元年1865)4月までの間は何をしていたのか、記録がないのです。だから「あったかも」なのです
ところで、来週の予告に武市の死に装束が出ていましたが、あれは慶応元年閏5月11日のことです。長いこと武市と以蔵が描かれてきましたが、どんな流れで切腹にいたるのか、定説を覆す展開になるのかも楽しみ・・・みものですね。
龍馬の亀山社中は潜伏ののち慶応元年5月に結成されます。さぁ いよいよ龍馬の残り2年半のドラマが描かれます。ドラマも佳境に入ってきました。
※余話
龍馬たちは長崎で購入した艦船を鹿児島まで操船することになり薩摩藩から毎月3両2分の給料をもらうことになります。
その3両2分は今ならいくらなのかを計算してみてください。
・4分で1両ですから3両2分は3.5両です。
・1両は4,000文で当時の蕎麦は一杯16文(二八蕎麦の所以)ですから1両で250杯食べられました。
・したがって3両2分の現在価値=(蕎麦一杯の値段)×250×3.5 で計算できます。
・私はラーメン通なのでソバ通の方に計算をお願いします。ザルとカケで多少違うかもしれませんが。
|





