龍馬 ひねもす よもすがら

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龍馬に学ぶ

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 新党結成でマスコミが賑わっている。あの与謝野氏と平沼氏による新党の誕生についてだ。
 
 郵政民営化のときのまとめ役が与謝野氏で造反組が平沼氏、この二人がどう合体できるのか・・・・・というのが疑問なのだそうだ。
 
 またそんなことよりも年齢問題を取り上げ、シルバー新党と揶揄するニュース報道もあったのにはそのお笑い神経に思わずふいてしまった。お笑い番組ばかり放送しているせいだろう。
 
 連立三党や民主党単独でさえ主義主張に矛盾を抱えているのに、打倒自民党のときには目をつぶり、自民党再生の動きが出てくるや、抑えにかかっていると思うのは考えすぎだろうか。報道の偏りには注意しないと騙される。
 
 さて先日の「龍馬伝」では吉田東洋が暗殺された後、あの後藤象二郎が随分落ち込んでいた。龍馬を毒殺しようとしたり(フィクションだろう)、暗殺犯人を龍馬と思い込み岩崎弥太郎と井上佐一郎を捕縛に向わせた。後藤は東洋の復讐に執念を燃やす。かたや武市半平太を首領とする土佐勤王党はこの世の春を迎えていた。
 
 
 ストーリーを明かして申しわけないが、この世の春は一年で終わる。東洋の暗殺は文久2年(1862)4月8日で、翌文久3年(1863)8月京都から尊王攘夷派が追放されるや土佐藩でも政変が起こり土佐勤王党への弾圧が始まる。そうして同年9月には武市ら幹部は投獄され、奪還を画策した同志23名は斬首される。慶応元年(1865)閏5月には武市は切腹し土佐勤王党は消えてなくなる。弾圧の陣頭指揮を執ったのは後藤象二郎だった。
 
 その後、後藤は勢力を盛り返しつつあった討幕派との接近を図るべく、慶応3年1月に初会見を行っている。
その際後藤は武市半平太ら土佐勤王党の仲間を殺した張本人であったことに一切触れずに土佐藩と亀山社中のことについて語り合った。
 
 
 
その際龍馬が語った後藤象二郎評が「維新土佐勤王史」にある。
 
 「後藤とは、ご承知の通り仇敵の仲だ。しかるに彼は一言も過去を語らず、ただ前途の大局を話す。人物でなければできない境地である。加えて話題をつねに自分に引きつけ他人にひきずられないところ、まったくまれに見る才物。」
 
 「北極と南極くらい立場の違った」龍馬と後藤はその後、いろは丸事件やイギリス人水夫殺人事件など共同で対処し大政奉還を実現して行く
 
 
 
大義さえ一致すれば成功することもあるという一例だろう。
 
連立政権の大義はどう考えても自民党政権の打倒だった。自民党が消失したらその大義はなくなる。
 
だとすると平成維新の最後の将軍は民主党ということになるのかもしれない。
 
 
 


「かほかたち 平井より少しよし」と龍馬をして言わしめた千葉佐那の容色について、第三者意見の記述が残っていた。

宇和島藩伊達宗城の記録で
「御中食後、奥女中、左那、薙刀ニテ、世子殿、剣術ノ御相手ヲ為ス、左那ハ、容色モ、両御殿中、第一ニテ、薙刀ニモ、熟達シ、世子殿モ、敗ヲ取ラルゝ位、珍ラシキ婦人ナリト、御感嘆遊ハサル」と書いている。


近眼といわれた龍馬だが、記事にあるとおり「多くの女性を見る機会のある殿様が記録していたことで客観性が出た」ということだ。

武道をたしなむ女性は、その姿格好も凛々しくいっそう美しさを放ったことだろう。



話があさっての方向に行くが、「おりょう」や「須磨」の晩年の写真から、彼女たちの若い頃の美貌が窺えるが、いずれも「気の強そうな」女性だ。

寺田屋おとせ、大浦お慶などは「乙女ねえやん」のような「お姉さん」的存在だ。

乙女ねえやんの影響で、女性とは同じ目線で語れる龍馬だったろうし、女性のふところにスッツと入っていける、甘え上手、母性本能をくすぐる龍馬だったのではないだろうか。

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平成22年4月5日 北海道新聞 朝刊




▼「職業に貴賎はないのか?」と問われると優等生諸氏は「ありません」と答えるだろう。が、果たしてそうだろうか。口には出さないものの所得格差に基づく職業の違いで厳然として貴賎感覚は存在する。
 少なくとも私はあると思っている。

▼さて、江戸時代には「士農工商」という身分差別があった。「士」のなかにも階級が定められていた。土佐藩では 藩主―家老―中老―物頭―相判格―医師―馬廻―新馬廻―御扈従格―新扈従―馬廻末子―新扈従末子―御留守居格―白札―郷士―徒士 と藩主の下に15の階級があった。さらに郷士株を売った「地下浪人」がいた。

 この階級は、現代では各都道府県の公務員の役職や、さらには会社の役職に姿を変えているのだろう。

 「龍馬伝」の語り部香川照之演じる岩崎弥太郎は最下位にある地下浪人(じげろうにん)で福山龍馬は郷士、武市半平太は白札であった。

第11話で、上士の中に一人で乗り込んで行った龍馬に、吉田東洋が『坂本、おんし明日から登城せえ、新御小姓組(しんおこしょうぐみ)」に取り立てちゃる』という場面があった。ドラマでいうところの「新御小姓組」は「新扈従(しんこしょう)」のことだろうか。

 あの場面はフィクションだから悩むこともない話だが、白札は郷士(長宗我部旧臣)の懐柔策の地位で、白札以下が下士と思っていた私には、どこからが上士なのか下士なのか、白札以下が下士で正しいのか。知っておられる方がいれば是非コメントしてほしい。

▼第13話で脱藩した龍馬は、さしずめ脱サラの住所不定、ホームレスということか。そんな立場の人間が国の政治を動かす一翼を担ったということに我々は驚き、感動する。

 河村名古屋市長が市議会議員の報酬削減や議員定数の削減を訴えた際「議員はボランティアでやらないといかんぜよ(名古屋弁がわからない)」といったが、そうなってこそ龍馬のような人間が政治の場に現れるのかもしれない。

▼ちなみに私は数年前、長年勤めてきた会社を何の見込みもなく無謀にも辞め、なんとか食いつないでいる状況だから岩崎弥太郎と同じ「地下浪人」ということになるのか、はたまた会社を中途退社しているから龍馬と同じ「脱藩者」なのか。大学受験のときは「浪人」を一年で卒業できたが、悲しいかな今は全く卒業の見込みがたっていない「脱藩者の浪人」だ。


 「今どんなお仕事をされているのですか」と聞かれ返事に窮することがある。

そんな時は「龍馬と同じ脱藩者で岩崎弥太郎と同じ地下浪人です」ということにしている。


 龍馬伝第13話『さらば土佐よ』で、とうとう龍馬は土佐藩を脱藩しました。藩というしがらみから解き放たれた龍馬は暗殺されるまであと5年。活躍と同時に死のカウントダウンも開始されました。
 タイトルの『坂龍飛騰(はんりゅうひとう)』とは土佐藩の尊王攘夷運動の指導者樋口真吉がその日記の中で龍馬脱藩について記した言葉です。 好きな言葉です ~~  「さらば土佐よ」と、ある意味同じかとも思うのですが、暴走族も画数の多い字を好みますし、穏健な私も時に近時新聞について怒りのあまり暴走することがしばしばですので画数の多い字が好きなようです。『坂龍飛騰』を番組タイトルに使ってくれればよかったのに....と思っていました。ちなみに私は「ゆううつなバラを」漢字で書けます(自慢) 「憂鬱な薔薇」をです ~~ 。


 彼はピースメーカーと呼ばれていますが、単なる平和主義者ではなく、いざというときには戦いも辞さぬ覚悟で和戦それぞれの地固めを行っていきます。そんな彼の行動を理解できるものは当時はいなかったはずです。今後のドラマではそんな姿が描かれることを勝手に期待しています。


 ところで、あの年の差も気にしないあつかましい、要潤さん演じる沢村惣之丞ですが、龍馬の8歳年下ですから、この脱藩のときは龍馬28歳、惣之丞20歳です。彼は土佐勤王党に加盟後、一度脱藩したものの二週間後に情報提供のために戻り、龍馬とともに再び脱藩しました。龍馬ファンにとっては変名「関雄之助」がなじみの方もいるのでは。私はあの時計事件の沢辺琢磨(山本琢磨)と沢つながりでいつも間違ってしまいます。
 ともに脱藩した縁で、のちに勝海舟の門人となり、長崎時代に関雄之助と名を変え龍馬をたすけます。龍馬暗殺の翌年、酔っ払って抜刀してきた男を射殺した関雄之助は、その男が薩摩藩士であったことから薩摩との関係悪化を危惧して海援隊本部で割腹しました。弱冠26歳でした。


 沢村惣之丞(さわむら そうのじょう)


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天保14年(1843年) - 慶応4年1月25日(1868年2月18日))は幕末の土佐の人物。別名に沢村延世・前河内愛之助・関雄之助などがある。

土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市潮江)の浪人の子として生まれる。間崎哲馬に師事し、学問を学ぶ。その後土佐勤王党に加入。

文久2年(1862年)に吉村寅太郎と共に土佐藩を脱藩。武市半平太への現状報告のため一時帰国するが、その後坂本龍馬らと再び脱藩している。勝海舟の門下生となり、海援隊に属す。

慶応3年(1867年)には坂本龍馬殺害事件の容疑者であった三浦休太郎の暗殺計画に参加するが、失敗に終わった。

翌年には維新の混乱から無人状態となった長崎奉行所に、沢村ら海援隊の人間が中心となって入居し、長崎の町を警備した。しかし1月14日の警備中、薩摩藩士・川端平助を誤殺してしまう。沢村は薩摩藩との軋轢を恐れ、海援隊本部で、薩摩藩側でさえ止めたが割腹した。享年26。

<WIKIPEDIA>
画像は幕末写真館より

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 愛読書の一つに「龍馬の手紙」がある。筆致に龍馬の心を感じることが出来るし、唯一安心して信ずるに足る資料だからだ。

 後世に語り継がれるものには、語り継ぐ人々の思いがある。最初の語り部が真実を語っているのかどうか、思いを表現するに脚色がないのか、その真贋を見極めることは非常に難しい。はっきりいえることは多くの人が信じれば、それが嘘であっても「真実」になるということだ。それは多くの歴史が物語っていることだ。

 ただ龍馬に関しては139通にのぼる龍馬本人の手紙が残っているから、巷間語られていることのすべてを確認することはできないものの唯一安心して読める資料になる。

 龍馬伝の第一話に坂崎紫瀾が登場した。土陽新聞の坂崎が岩崎弥太郎に龍馬について質問していた場面を覚えているだろう。

 坂崎は自由民権運動家であり薩長政治に対する不満を龍馬に託して「汗血千里駒」を著した。天皇に対する不敬をとがめられ保釈中に書かれている。驚くなかれ「維新土佐勤王史」も坂崎が書き上げたものなのだ。

 加来耕三「坂本龍馬の魅力学」(講談社)にこうある。
龍馬の背中に馬のごとき毛が生えていたとか、十代になっても寝小便の癖があった、また、見込みがないといわれて、寺子屋を一日で退学させられてしまった、あるいは、剣術の修行をはじめてようやく人間がかわっていった、といった類のフィクションを、いまもって真実だと信じきっている人は少なくない。

井口村事件に龍馬が登場したり、寺田屋襲撃の際のお龍の名場面も坂崎の創作といわれている。

 
 龍馬ブームは常に政治的に利用された。NHKの大河が政治的とはいわないが、「せんたく連合」、「われわれは皆で龍馬をやってます」、「龍馬の遠い親戚です」など、分けのわからない政治家が必ず出てくる。


 まぁ 脚色がどうであれ、龍馬の偉大さはが色あせることはないのだが、ドラマや小説を鵜呑みにしないほうがいいということだ。



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