龍馬 ひねもす よもすがら

七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに なきぞかなしき

幕末に学ぶ

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今日の龍馬伝は龍馬と加尾の再会を軸に展開されていました。
加尾との抱擁の場面と以蔵の暗殺シーンをダブらせるなど一粒で二度美味しい演出でした。
私的には暗殺シーンよりはあつ〜い場面を観たかったのですが、NHKとしてはあれが限界だったのでしょうか。
もう一皮むいてほしいものです。
 
 
ところで岡田以蔵は勝海舟やジョン万次郎の警護を行ったことがあります。
 
 
勝海舟の談話録、氷川清話「京都寺町の難」にこうあります。
 
 ・・・・・文久三年(1863)の三月に家茂公が御上洛なさるについて、その頃京都は実に物騒で、いやしくも多少議論のある人は悉くこゝへ集まって居たのだから、将軍もなかなか厳重に警戒して居られた。この時おれも船でもって上京したのだけれど、宿屋がどこもかしこも塞がって居るので、致し方なしにその夜は市中を歩いてゐたら、ちゃうど寺町通りで三人の壮士がいきなりおれの前へ顕はれて、ものをも言わず切り付けた。
 驚いておれは後へ避けたところが、おれの側に居た土州の岡田以蔵が忽ち長刀を引き抜いて、一人の壮士を真つ二ツに斬った。
「弱虫どもが何をするか」と一喝したので、後の二人はその勢ひに辟易して何処ともなく逃げて行った。おれもやっとの事で虎の口を遁れたが、なにぶん岡田の早業には感心したよ。
 後日おれは岡田に向って、「君は人を殺すことを嗜んではいけない、先日のやうな挙動は改めたがよからう」と忠告したら、「先生それでもあの時私が居なかったら、先生の首は既に飛んでしまって居ませう」といったが、これにはおれも一言もなかったよ。・・・・・
 
 
 テーマで、サラリーマンとはいいましたが、語弊がありましたらご容赦を。
 人間とは「できるだけ働かないで報酬を得たい、とはいえ、よくやったと褒められたい」ものなのです。ごく一般的な元サラリーマンの自分がそうでしたから間違いないでしょう。
 
 以蔵は武市に褒められたいがゆえに殺人を繰り返しました。最近ではオウム信者が坂本弁護士一家や多くの暗殺事件、サリン事件でグルの指示に盲従しました。
 現在では代表や幹事長を批判できない民主党の政治家や宗教団体がそんな感じでしょう。
 
 組織にいると正確な判断が鈍るものです。「会社の常識は世間の非常識」なのを知っていても、生殺与奪の力(人事権)を持っているから上司とは争わず、そうやってなあなあ人生を10年も送ってくるから、脳の回路が完全に狂ってきます。
 
 まあ そうならないように みなさんお気をつけあれ。
 
 
 
 
 
今日は井伊直弼についてです。
 
前回記事のコメントで書きました。
「これから池田屋事件や禁門の変などなど血なまぐさい話のオンパレードになります。これからの展開で心配なことがあります。このドラマを観て政治改革のためには暗殺もやむなしという考えを持つ若者が出現することです。たかだか140年前のことです。時代が変ったとはいえ、人間そのものは同じです。井伊直弼は開国派でした。彼は桜田門外で攘夷派の水戸浪士らに暗殺されます。攘夷派は復活しますが、結局は攘夷派は開国派に変貌して行きます。ブームもいのですが、怖さもあります。できるだけ中立的な眼で歴史を眺めたいものです。」
 ドラマごときで何をかいわんやと言われるかもしれませんが、政治経済の閉塞感が蔓延している時です。ただただ 鉄砲玉が現れないことを祈るばかりです。
 
イメージ 1
 
画像は井伊直弼です。
 
 ご存知の通り、家康以来大政は幕府に委任されおり、鎖国についても勅許は得ていません。したがって開国するにあたっても勅許は必要ありませんでした。ただ尊王攘夷派を配慮して勅許を得ておいたほうが良いだろうと、阿部正弘や堀田正睦が考えたことが間違いの元でした。
 
 阿部正弘が開国の是非について各大名に意見を求めた際、大半の大名が攘夷論を展開した中で直弼は「交易は国禁なれども、時世に古今の差あり」として現実的な開国論を述べました。また、井伊家は「京都守護」の家格であり、彼こそ真の尊王家でもありました。
 
 ペリー来航後、12代将軍家慶が亡くなり、13代将軍家定も病弱のために将軍後嗣問題がおこり、くわえて八方美人の阿部正弘が病死するなど、直弼には不運でした。
 
作家徳永真一郎氏が「維新の道 第32号 昭和59年1月10日」で彦根藩主井伊直弼についてこんなことを書いています。(・・・部分・・・)
 
・・・『のちに安政の大獄で直弼に殺された吉田松陰も、このころ旅の途中直弼の評判をきき、「恵までは あるべきものか 道のべに 迎ふる民のしたふ誠に」という直弼の和歌を紹介し「実に仁君の歌と一唱三歌感涙にむせび候」と実兄の杉梅太郎あての手紙の中で、直弼の仁政の名君ぶりを賞賛している。』・・・
 
・・・「今日拒絶して永久に国体をはずかしめるのと、勅許を待たずして国体をはずかしめないのと、いずれが罪が重いか。勅許を得ない責任は、この直弼一人が甘んじてうける」と決断し、六月十九日、日米修好通商条約の調印に踏み切ったのである。・・・
 
・・・大小名が、幕府の許可なくして朝廷から位階をうけたり、政治的取引をした場合は、お家断絶、身は切腹というのが徳川幕府の憲法であった。直弼は幕府の最高責任者として憲法違反者を処罰したのに過ぎない。しかも、時局柄身分の高いものに厳刑を科せば混乱を招くとして隠居、謹慎にとどめ、その走り使いをした者だけの処刑にとどめた。大獄でなく小獄であった。・・・
 
イメージ 変りませんか?
井伊直弼は赤鬼なんかじゃなく、名前の通り、「いい人」で安政の大獄は「安政の小獄」だったんですね
 
 
 

 貴乃花親方はほかの親方以上に相撲界の将来を考えているのだろうか。ほかの親方連中はただの「独活の大木」なのだろうか?

 「よっぱらいかよ〜」「モンゴルへ帰れ〜」「朝まで飲むな〜」、朝青龍土俵入りの最中に低レベルの観客がやじっても、世論の代表かのように取り上げる、まことに節操のないマスゴミだ。よってたかって弱っている人間を攻め立てるなど、まともな人間のすることではない。悪質な「いじめ」だ。中川昭一氏のように死ぬのをまっているのかもしれない。

 マスゴミは、お相撲さんを一般常識のない、教養のない、図体のでかいただのバカだと思っている。次回の理事選時には最年少の貴乃花親方を新理事長にすべく世論を操作するだろう。花があり、いじりやすく金にもなる、地味な理事長だとネタにしにくいからだ。

 貴乃花親方の栄えある当選の一方、立浪一門の安治川親方が造反のカドで廃業するそうだ。私は「赤信号みんなで渡れば怖くない」、「ルールは破るもの、約束は守るもの」と心に決めているから、造反のカドで廃業することになった安治川親方には同情していない。また一門の約束を守らなかった裏切りものなのだから、ホサレて当然だと思っている。ただ、喜んで茶化す、無責任な外野席(テレビや週刊誌)と、それを支える善意の第三者(本当は悪意の視聴者、読者)に腹がたっているだけだ。

 マスゴミは正義面して庶民を煽ったのだから、安治川親方の面倒も見てやったらどうかと思うが、金にならないからどうにもしないだろう。

 ところで、ロボコップこと高見盛が暴乳タレントにフラレた。自称25歳独身の彼女は29歳の子持ちだった。高見盛の落ち込みようが目に浮かぶが、しかしそれよりもだ、落選した大島親方の健康が心配だ。首に震顫が見てとれたからだ。大関旭国、地味だが小兵で大好きなお相撲さんの一人だった。お体には気をつけてほしい。


 幕末のお相撲さんの話しを紹介しよう。

 庄内藩お抱えの朝日嶽鶴之助のことだ。彼は明治10年大関になるが、明治11年山形県巡業の際、県令のはからいで、横綱土俵入りを許されている。

 明治4年6月場所で新入幕をはたした朝日嶽だが、当時庄内藩は征討軍と戦いの最中だったので、土俵に打ち込むことができず、一勝二敗となったところで、怪我を理由に四日目から休場した。
 朝日嶽は幕府の船に乗り石巻に上陸、陸路を昼はひそみ、夜歩くという強行軍で鶴岡までたどりついたという。城内の士気があがったのはいうまでもなく、敗戦まで藩侯の側を離れなかった。この行動がまもなく江戸で評判になり、人気が急上昇した。江戸っ子は徳川びいきだった。それで山形県下巡業時に、横綱土俵入りが出来たのだ、と言う話だ。

 時代だろうか、昔のお相撲さんは尊敬されていたはずだ。

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ご存知遠山の金さんです。本名は遠山左衛門尉景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)で実在の人物です。寛政5年(1793)の生まれで安政2年(1855)にお亡くなりになっています。ペリーが浦賀に来航したのは嘉永6年(1853)ですから、晩年には龍馬と同様に黒船を見ていたのかもしれません。

有名な金さんの桜吹雪は正確に言うと「彫り物」で「入れ墨」と呼ぶべきではないそうです。「入れ墨」は「刑罰」として入れられるものだからです。ところで「シュリーマン旅行記 清国・日本 (訳 石井和子)」は幕末(慶応元年1865年)の日本の様子を知るにはもってこいの本です。幕末の日本人が着ていたもの、履いていたもの、髪形、庶民の生活の様子にいたるまで細かく描かれており、映画やTVドラマのイメージとは違った幕末の暮らしぶりが色鮮やかに伝わってくるからです。幕末の複雑な政治情勢が苦手な方にはこの本から入るのもいいかも知れません。この本の中にも彫り物の様子が描かれていますので紹介しましょう。

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シュリーマンが横浜港に投錨し上陸するときにのった小船の船頭たちの様子です。
※画像とは関係ありません。(画像はwikipediaから)
彼らが身につけているものといったら一本の細い下帯だけで、そもそも服を着る気があるのかどうか、あやしまれるくらいだ。しかし彼らはからだじゅう、首から膝まで、赤や青で、龍や虎、獅子、それに男女の神々を巧みに入れ墨しており、さながらジュリアス・シーザーがブルトン人について語ったところを彷彿させる。すなわち「彼らは衣服こそまとっていなかったが、少なくとも見事に(からだを)彩色している」。

また、横浜から江戸に向うときにはこのように書かれています。

われわれは列を作って街道を全速力で進んだ。二人の上級武士が私の先にたち、あとの三人は後方の警備にあたった。首から足首まで、神々、鳥類、象、龍、あるいは風景などを、鮮やかな色で巧みに入れ墨した全裸に近い別当(馬丁)が六人、馬と速さを競うようにあとから駆けてきた。一人の背中と胸にある「入れ墨」には、火山富士山の噴火が描かれていた。万年雪をいただいた大噴火口から噴きあげる分厚い煙と、火山錐にあるもう一つの噴火口から流れ出た溶岩が奔流となって平原の村々に押し寄せるさまが、きわめてリアルに描かれている。 入れ墨に描かれた村人たちのあるものは子供を、またあるものは老いた両親を背負って逃げまどい、他のものたちは猛烈な熱になかば窒息し、断末魔に身もだえしている。

どうですか?シュリーマンの観察力、見事だと思いませんか。

あとさき逆になりましたが、シュリーマンはその後トロイアの遺跡を発掘した人物です。わずか一ヶ月の滞在でしたが実に見事に当時の日本の様子を伝えてくれていますので、是非お読みください。

14代将軍家茂の上洛の様子や、その行列を横切ったお百姓が無礼討ちにあった様子なども描かれていますよ。

「清国・日本」とありますが清国については汚さと退廃ぶりについて描かれ、日本については、世界で最も清潔な国と評し、役人の潔癖さも描かれています。どうも私には「清い国 日本」と読めてしまいます。

シナ、チョウセン、ロシア、アメリカからしょっちゅう干渉される日本ですが、もうそろそろ

テメ〜この桜吹雪が目に入らねえのか!って言ってくれる議員さんに登場してもらいたいものだと思う豚馬さんでした。


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ジョン万余話

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昨年8月、父の生まれ故郷、北海道の焼尻島に墓参りに行ってきた。島内をめぐっていると2本のトーテムポールの間に「ラナルド・マクドナルド上陸の地」という記録があった。あのマクドの関係者か? ラナルド? ロナルドの間違いじゃないのか? あとで調べようと思ったが忘れていた。この度ジョン万次郎の話を書くにあたって読んだ「幕末漂流伝ジョン万次郎 永国淳哉」の中で「ラナルド・マクドナルド」のことがわかった。

安政元年(1854)ペリーが再来日した時に森山栄之助が通訳にあたった。彼は「ラナルド・マクドナルドは元気でいるだろうか、もし知っていたら教えて欲しい」と言った記録が残っている。
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ラナルド・マクドナルドはペリー来航の5年前嘉永元年(1848)に焼尻島に上陸したが、無人島と勘違いし、次にボートを転覆させ漂流者を装い利尻島に上陸した。

彼は日本に来るのが夢だった。彼の父はスコットランド系アメリカ人で、母はインディアンの酋長の娘だった。インディアンのルーツは日本人だと教えられ、日本にあこがれ捕鯨船員となって一人で上陸した。不法入国だと殺されるが、漂流者だと悪くても本国送還だと考えたという。

ジョン万次郎と同じく長崎に移送されてから、帰国までの7ヶ月間、座敷牢の中で森山栄之助ら14人のオランダ通詞に英語を教えた。日本初のネイティブ英語教師だ。

(Wikipedia)帰国後は日本の情報を米国に伝えた。日本が未開社会ではなく高度な文明社会であることを伝え、のちのアメリカの対日政策の方針に影響を与えた。日本ではただの英語教師としてしか記憶されていないが、アメリカの歴史ではかなりの重要性を占める人物として、研究や紹介の書籍が多く刊行されている。

ジョン万次郎もアメリカ人から教育を受け多くのことを鎖国日本にもたらしたが、日本に憧れ命がけでやって来たアメリカの青年がいて、14人の日本人が彼から英語や英米の政治体制学んだとはつゆぞ知らなかった。

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