私小説

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憂鬱なリアル

最近どうにも気分が悪い。

別になんかの病気になったわけでも、

流行りの風邪にかかった理由でもない。

いわゆる鬱じみた気持ち悪さを感じるのである。

原因はある程度想像がつくが、

これまであまり深く考えないようにしていた。

ありていにいえば、逃げていたのだ。

現実から逃げ、

自分の本当の気持ちから逃げていたのだ。

逃げていればやがて今の向かい風は通り過ぎていく。

そんな、弱気な態度が状況を一層悪くしてしまったのだろう。

仕事を巡る現実。

将来への不安。

湧いてこない気力。

考えてみれば、今までが運が良すぎたのだ。

自分の信じていたとおりに方向で、

なんとか事が運んできた。

信じる方向は、今も変わっていない。

ただ少し自信がなくなってきただけだ。



大人になったと思っていた。

ただ、実際はまだまだ幼いようだ。

しかし、

大人でいることが必ずしも正しいわけではないと思う。

少なくとも大人は未来を作り出すことができない。

移り変わりの早い世の中であればあるほど、

大人であることは壁になることが多い。

時に、子供じみたわがままさや頑固さが正しいときもある。

だから幼くてもいいと思う。

ただし、そうであることをしっかり認識する必要はあるようだ。

中途半端な幼さは、何も生み出さないからだ。



いったい何を書いているか、

何を考えているか、

いまいちよくわからない。


最近発売された”日経アソシエ”に

作家の五木寛之さんのインタビューが掲載されていた。

正直、この人の作品は読んだことはない。

きっといつまでも幼いせいだからだろう。

インタビューには、

”鬱”はエネルギーだとか、

辛い現実を目のあたりにして、

暗く沈まない人は病気だとか、

そんなことが書かれていた。

こうやって一部だけ抜き出して書くと、

なんだかよくわからないことをいっているように感じるが、

記事全体の文脈や内容を加味すると、

ようするにちゃんと現実に向き合えってことを言っているように感じた。

これまでがあまりに平和で安穏としすぎていたのだ。

多くは子供じみた幻想で、

現実はもっと辛く厳しいものだと。


結論からいえば、大人になるべきか、幼さを持つべきか。

答えはその中間にあるということだ。

これまでの大人たちが信じてきた世界も、

子供じみた現実逃避的行動も、

これからは通用しない。

両者に共通しているのは、

そこに自己を介さない共同幻想があるということだからだ。

前者は、自己の意志を排し、社会の与えた幻想に身をゆだねること。

後者は、自己の現実から目をそらし、ヴァーチャルな幻想に入り込むこと。

この両者は長い間、この国を支配し続けてきた病理であったように思う。

安保闘争の時代から拝金主義バブルの時代まで・・・。

いいかげん目を覚まさなくては・・・・。

夢色のキャンパス

子供の頃、絵画教室に通っていたことがあった。

別に対してうまくはなかったんだろうと思うけど、

その頃は、将来画家になりたいなんて思ってもいた。

だけど、同時に宇宙飛行士になりたいともいっていたし、

天文学者になりたいとも思っていた。

要するになんにでもなれると思っていたんだ。

でも絵が好きだったのは確かだった。

まっ白いキャンパスになんでも好きなように描いて、

好きな色で塗りつぶしていくのはなんとも言えない快感だった。

夢はたくさん持っていたように思うけど、

その為に具体的に何かをしたことなんて、

これっぽちもなかった。

これが夢を叶えられる人間と

そうでない人間の差なんだろうね。

絵は特に風景画が多かったように思う。

シュルレアリスムに憧れていたときは、

半ば空想的な絵を描いていた時期もあったっけ。

特に、マグリットが好きだった。

アニメや漫画なんかより、

よっぽど”異世界”って感じがして。

実際には、空想とかそういうものではなかったんだけどね、マグリットは。

ただ、果ての見えない空間にぽっかり浮かんだ奇妙な図形が、

なんとも言えない恍惚感を与えてくれたことを覚えている。

最近も渋谷の文化村でマグリットを観たけど、

あの頃のような恍惚感は得られなかった。

むしろなんかイライラさせられたように思う。

あの時代、ヨーロッパの画家たちが必至で表現しようとした、

世の中の変化や破滅的な空気、

文字では表せないほど哲学的な何かは、

今ではリアルな空気として感じられてしまうからかもしれない。

もしかしたらそれは、

もはや描くべきキャンパスに白いスペースはなく、

塗りつぶすべき色も見当たらない自分にたいしての、

いらつきであったのかもしれないが・・・・。

Greedy-Life-その3-

2008年が終わる。

おそらく俺はこの年を一生忘れることはないだろう。

なぜならこれはひとつの”戦後”だからだ。

人類にとっても俺自身にとっても。

数学的合理性への盲信。

それがサブプライム問題の本質だと思う。

科学が真実を導き出すなどというばかげた信仰が、

金融工学を生み出し、証券化商品の氾濫を生んだ。

かってマルクス主義が崩壊したように、

かたよった合理主義が世界を奈落に突き落したのだ。

科学はしょせん部分的な真理しか導きださないのに。

人間の欲望を関数化できなかったことがこれらの敗北の原因だと思う。

欲望は、数学の合理性を乱す一種のカオスである。

だが、それが現実であり、数式の生み出す世界はただの理想にすぎない。

下手に知識をつけたり、本の虫になっている現代人には、

そんな当たり前のことはわからないのかもしれない。

俺もそんな人間のひとりだった。


ネット株バブルに沸く2005年秋、

俺は、ひとつの新興証券会社に入社した。

人材不足にあえぐベンチャー業界では、

少しでも業務経験のある人間は貴重だったのだ。

それもこれからの成長産業と目されていた”FX”業界ならなおさらだった。

俺のサクセスストーリーが始まる、

そんな希望を胸に新しい世界に飛び込んだわけだが、

そんな希望はものの数か月で消し飛ぶことになる。

あのライブドア事件だった。

To Be Continued


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