繚乱の森

きっと明日は素敵な心になれますように

再婚ストーリー(過去)

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クロスカウンター

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長男が20歳くらいの時に、私と長男が言い合っていたのを聞きつけて、夫が『長男が暴力をふるってい

る』と勘違いしたことがあった。

どうしたのかと仲裁に入るでもなく「お母さんに何をするんだ!!」と言いながらいきなりすごい血相で

長男に殴りかかった。

その拳を避ける意味もあり長男のほうも拳を出し、いわゆるクロスカウンター的な状況となり結果的にお

互い殴りあったようになったことがあった。

2人ともそこそこの怪我をした。

口答えなどは一切しなかった長男だが、夫にとってはこれまでとは違う何かを感じた瞬間だったと思う。

高校時代から心が荒れていた長男と夫は、その後もっと険悪な関係となる。





私は長男が大人になるまでの間に「演技でもいいから長男に謝罪してくれ」とだれだけ言ってきたかわか

らない。

"悪いことは悪い"と認めて謝るべきではないのか?と強く訴えてきた。

もちろん、その謝罪は『暴力』についてだけである。

そして曖昧な言動ではなく、きちんと『暴力』について詫びて欲しかった。

口には出さなかったが、『暴力』に対しての謝罪ならば土下座に匹敵すると私は思った。

だが、夫は「なぜ俺が下に出なければならないんだ」と謝ることがないままだった。





長男が23歳になったばかりの頃、ある問題で夫と2人で話し合う機会が持たれた。

この頃は心もかなり落ち着いていた。

長男はこれまで何を言われようが黙ってきが、この時に初めて大人同士の話合いをした。

夫に「子供を殴ることが良いと思うのか?その時に何も感じなかったのか?」など、質問や反論を思うま

まにぶつけていた。

夫が答えた言葉にでさえ大人としての目線から追求し、少しの誤魔化しも許さないて対等な長男の姿があった。

考えてみれば子供がいてもおかしくない年齢にさしかかっている。

その成長を目の当たりにして、頼もしく感じた。

その話合いは夫にとって結果的に満足するものだったようだ。

長男も「今日話せて良かった」とは言っていたらしい。

ある日夫は私と母が雑談をしているところへ来て長男に礼服を新調するようにと言った。

成人式に何もしていないからとの意味だという。

(成人式の時、解のチャンスかもしれないと夫に食事会を提案したが、唇を震わせながら断られた経緯がある)

そして、「○○を許すから」と一言。

何が起こったのかと唖然として夫を見る私と母、だが次の瞬間思わず私達は拍手をした。






「礼服をもらったお礼にビールでも渡したら?」と助言し、後日長男が渡していた。

だが話合いについての、夫と長男の受け取り方には大きな温度差があった。

子供の頃から長期間受けてきた心身の傷が礼服1枚で覆ることはなかった。

「普通には話もするけど、謝っていないのだからまだ許してはいない」と長男は言った。

話合いの中で夫は「俺もやりすぎたところがあった」という言葉は口にしたようなのだが、それは長男に

とってはとてもではないが"謝罪"とは受け取れないものだったという。

よく考えてみれば、夫が長男を許すというよりは長男のほうが許す側なのだ。





完全なる和解ができる日は、いつか来るのだろうか。



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夫とうまくいかない連れ子の長男。

だが、次男のほうは"さすが次男"ということで成長とともに"立ち回り"も上手くなった。

実父がまったく記憶にないということも、長男の感覚との違いをもたらしたのかも知れない。

中学生の時、夏休みに夫の仕事を手伝い大変さを経験したこともあり、子供の頃の苦痛も覚えていて

も『働く父としての強さ』は認めていた。

「俺にとって、お父さんは今のお父さんだから。お父さんみたいになりたい」と言ってくれた。

怖く寂しい子供時代を過ごさせてしまった次男から聞くと思わなかった言葉だった。

それを夫に伝えると嬉しそうだった。

そして次男のほうには、多少の心を開くようになった夫。

話しかける、そうすれば次男も嬉しい。





就職を考える時になり次男は「父の仕事を覚えて後継したい」と言う。

私も家族も反対、夫自らも反対するが意志は固いという。

だが、私は心底心配でならなかった。

職人の仕事はもちろん厳しくて当たり前。

だが、夫はそれ以上に厳しいだろう。これまで、どんな若者を使っても長続きしたためしはなかった。

まして、これまで厳しい態度をしてきた次男ならば、他人よりもっと厳しくされるだろう。





だが、次男の意志に負けて、それならやらせてみようということになった。

これから覚えようとしていくのだから出来ないことがあるのは当然で頑張れば覚えるよと私は日々応援

しつつ手弁当を持たせた。

最初は良かったのだが、段々と帰宅する次男の顔が険しくなっていった。

聞けば、暴言・暴力の数々。

先を考えて行動すれば「余計なことをするな」と怒鳴られ、しなければ「先を考えて行動しろ」と怒られる。

何が駄目で、何がいいのかさっぱり判断がつかないのだという。

そして気分で怒るということを次男も感じていた。

頭をひっぱたかれる、背後から突然蹴られる、帰りの車で家に着くまで続く暴言。

次男は『過去の恐怖』へのフラッシュバックをおこしていった。

怒られはじめると終わりが無い、その中で恐ろしかった昔がどうしようもなく蘇ってくるのだという。

仕事で怒鳴られるようなことがあれば「今日は遊びに行くのは禁止だ」と言われる。

同じ家にいるのだから行動すべては把握され、公私混同で怒られる。

それは息が詰まる。




次男は夫の仕事仲間から、夫がいない時に声をかけてもらっていた。

「いつもあんななのか?あれじゃー嫌にもなるよな、また言っといてやるよ」と。

ある日「おまえには向いてない」と夫に言われて、次男は決断したようだ。

「お母さん、俺頑張ってきたつもりだけど、もう本当に限界だ」

1日たりとも休まず頑張ってきたのは知っているし、これまでにも崩れそうになるのを何度も励まして

きた私だったが、わかったと言った。

「ならば、何故続けていけないのかをはっきり言いなさい。暴力が嫌だと」私は言った。

理由を誤魔化したり曖昧にして「辞めたのは次男の根性が無いせいだ」と絶対言わせたくなかった。

話合いの場で、次男はその理由をはっきり言った。

夫は「一生懸命教えようとした先の行動だったが、それが理解できないんじゃ仕方ないな」

と言っただけで、ここでも謝ることはしなかった。

私は心で「次男じゃなくても無理だ。だから誰もついて来ないし離れていくんじゃない」と思った。




夫はいつも、とある兄弟の話を出していた。(私は会ったこともない)

夫が昔面倒を見て一人前にした根性のある兄弟だったそうで、息子達との比較にもよく使われた。

「○○兄弟は、本当に根性があったよ、それにくらべてあいつらは…」といった具合だ。

いつか私はその言葉を聞き反論した。

「知らない!どこの誰?その兄弟。会ったこともないよ。それに、本当に一人前にしてやった素晴らし

 い兄弟だったら恩とか義理とかちゃんとするはずでしょ?年賀状の1枚、電話の1本もかかってくる

 わけではないじゃない。そんな知らない兄弟と比較されても困る。」

それからは言わなくなった。





私は今でも「惜しい後継を逃したものだ」と思っている。







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自立と見解の違い

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夫は高校生の時からアパートで1人住まい、家賃もアルバイトで支払っていた。

それ以来、私と結婚するまで1人暮らしを続けていた。

だが、実家が狭いアパート暮らしで部屋も持てないのであれば、ある意味そうするしか方法はなかった

といったほうが正しいと思う。

夫の職業は職人。

若い頃からかなりの収入を取っており、24歳でマンションを購入した。

だが、実際は設計事務所に就職するも女性の上司に反感を持ち数ヶ月で給料も捨てた状態で退職した後、

養父(当時の)を手伝った経験があったことから、その道へ進んだらしい。

生意気な女性が嫌いな夫らしい経歴だと思った。





長男が成人後、SEプログラマーの道へ進む。

就職を考える段になって夫は「家から出させろ」と言った。

自立とはそういうものなのだ、どこの家でもそういうものなのだと断言してはばからない。

私の家では勿論、親戚や友人でもそういう考えの家庭は見当たらなかった。

どこも結婚までは家に住み(転勤や本人希望の1人暮らしは別として)、結婚とともに家を離れていった。

だから、私にしてみたら夫の持論は、納得できるものではなかった。

本人が希望すれば問題ないが、そのつもりがない長男ならば家を出ろとは言いたくない。

それに、同居する私の母は「1度外に出したら戻ってはこれなくなるよ。絶対に家から出してはだめだ

よ、しかも長男なんだから!」と常々言っていた。

長男自身は「ここは俺のおじいちゃんの家だ」と、先行き家を継いでいく意志を持っていた。

名義はもともと私の父と前夫であったが、離婚後父のみに変更している)

「なぜ俺が出なくちゃならないんだ」「絶対に出ない」という気持ちもあるようだった。





しかし恐ろしいほどにその持論は消えることがなく、きっかけさえあれば家を出すことを繰り返し繰り

返し主張している。

その後、次男が就職する時もその主張をし続け、今でも事あるごとに出る話になっている。

確かに、独立して家計をやりくりするのは良いことだと私も思う。

だが収入の多かった夫と違い、新卒で仕事に就いた長男や次男ははまだまだ収入も少ない。

将来的に結婚などを考えると、家賃の分を貯蓄していくほうが良いと思った。

結局、家から出ない息子達イコールしっかりしていない・自立していない・だらしがないといった解釈

を現在もされてしまっている。





それに加えて、パソコンなどくだらないものだと言う意識が強い。

そんなものをいつもやっている奴は"オタク"だという馬鹿にした考えのようだ。

だから長男の職業に対しても「たいした仕事じゃないんだろ」といったニュアンスが感じられる。

プログラミングという仕事がどれだけ大変なのか理解しようともしない。

長男に対して気に入らないことがあった時、いきなりPCのケーブルを手当たり次第ハブから抜い

てしまったことがある。

これが、どんなにダメージを与えるのかなどは夫はおかまいなしだ。




そう、夫は仕事では右に出る者はいないのだが、パソコンはまったく出来ないアナログ人間だ。

というより、私から言わせれば出来ないのではなく『覚える気がない』ということなのだと思う。

1年に1回くらいパソコンの前に座るが、見ればトランプゲームをしているだけ。

ところがある日、夫も仕事でパソコンを使わなければならない時がやってきた。

請求書や見積書作成、そして取引先から「メールで写真を添付します」との展開になる。

しかし、どれ1つできないし添付の意味すらわからないのだ。

「メールアドレスを教えて下さい」にも返答ができない。

だからといって長男に口が裂けても頼みごとなどしたくもない夫の心はわかっている。

そこで駆り出されるのは私しかいない。





私は育児の為PCに関しては遅れをとったものの2002年から使いはじめ、今や『PC無しでは生き

ていけない』と自負しているし、資格も頑張って数種類取得している。

そして想像通り、PCにおいての全ての作業は私の担当のようにになってしまった。

夫には数度教えたこともあるが、『覚える気がない』というものはもうどうしようもない。

その時にはわかった様子でも、1日経てば夫はもう覚えていない。

「仕事しかできない人だね」と冗談まじりに夫によく言うが、PCで行うものも本来は仕事のうちだと

思う。

「これやって」「これ作って」「協力するのは当たり前だろ」

私は協力は惜しまないつもりだが、その前にやってみようという気はないのかと向上心のなさにがっか

りもする。





私でも途中わからなくなった時は、プロである長男に解決してもらうことがある。

「私わからないから、○○にやってもらったよ」と夫に言うが、長男に対してお礼の言葉など皆無だ。

「常識、常識」と言うが、何が常識なのか知っているとは思えない。

ありがとうの一言も言えずプライドだけ高くては理解し合うことはできるはずもない。

「自分のほうが負けている部分もあるのだ」と認めて夫から歩み寄るべきだと思っている。






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血の真実

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夫と娘は血の繋がりがある。

だから、息子達への思いとは比較にならないような愛情があるのは当然のこと。





だが、忘れてならないのは娘と息子達もまた血の繋がりがあるということだ。

そちらの血の繋がりには、夫は反対にどうあがいたとしても入れないのだ。

その繋がりゆえに、娘は兄達への愛情が強い。

そう、夫が娘を思うように。





私はこの家庭の真実をいつ娘に告げるべきなのか、いつも考えていた。

思春期を脱してから?成人してから?結婚してから?子供を持ってから?

友人に相談しても意見はまちまちだった。

私の知人にうちの娘とまったく同じ境遇だった女性がいた。

その女性はうちの事情は一切知らないで、自分の思い出話として語ってくれた。

母親が2人の息子を連れ再婚、その後夫婦がもうけた娘が自分だと。

父親には溺愛されていた。

家族の秘密について知らされたのは高校生の時だったらしい。

「なぜ、兄達だけ厳しくされるのかな?」とずっと思っていた彼女だったが、やはり真実を聞いた時の

ショックは計り知れなかったそうだ。

それから「もっと早い時期に知っていれば、ショックも少なかったと思う」と言っていた。

それならば、小学校くらいで言ったほうが良いのだろうか?そんなふうに頭にあった。

だからといってタイミングがなければ突然その話を持ち出すわけにもいかない。





ある日、小学4年生だった娘が学校での出来事を話してくれた。

担任の先生が「暴力をふるう人間は最低だ。もし結婚した後に暴力をふるわれたらすぐにやめなさい」

といった話をしたそうだ。

それから、友達が離婚して姓が変わったという話をしてくれた。

「苗字が変わったんだって、お父さんとお母さん離婚したんだって」その瞬間、思ったのだ。

今だ!家族についての話をするのは今のような気がすると。

理解できる年齢ではないだろうが、だからこそ傷が浅く済むのではと考えた。





私はその流れの勢いで、家族の秘密を話始めた。

ただ、娘にとっては実の両親が揃っているわけで例えばどちらかが違う等を打ち明けるよりはショックも

少ないだろうと想像していた。

兄達はお父さんが違うこと、私が再婚であること、そして娘であるあなたがそのみんなを繋げてくれてい

る大切な天使であること。

「○○ちゃんには、パパもママもいるから大丈夫だよ」そう言った私。

だが想像は覆され、涙をポロポロと零しはじめた娘はこう言った。

     「私だけ、お兄ちゃん達と違う血だったんだね」

そこか…。私はその点に娘の気持ちが来るとは想定外だった。

3人の中で自分だけの血が違っているということにショックを受けてしまったのだ。

「でもね3人とも、この同じお腹から生まれてきたんだから兄妹なんだよ」

たくさんの話をして、理解はできずとも気持ちは落ち着けてくれた。





その後「ずっと前から、なぜお兄ちゃん達ばかり厳しいのかなとは思っていた」と話してくれた。

娘は小さいながらも、それを感じ取っていたのだ。

そして「友達が○○ちゃんのお母さん再婚でしょ?って何度か言ってきて、違うよと言ったけど

変だなとは思っていた」と言ったのは衝撃的だった。

そう、親がいくら隠していたとしても人の口に戸は立てられないということだ。

噂は廻り回って、娘にまで忍び寄ってきていたのだ。

誰からどう話が流れたのかは知らないが、ほかの子供までが知っているのには驚いた。

その時 "今日言ってしまって良かったかもしれない" と思った。

娘が他人の口から真実を聞かなかったこと、これには本当に安堵した。




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長男の反抗

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志望高校に進んだ長男だったが、高2から心が荒れ始める。

担任が夫を彷彿とさせるような生徒を頭から抑える指導方法をしていたからだ。

その担任が「俺を誰だと思っているんだ!」と言いながらクラスメイトを拳で殴ったのを見た瞬間から

学校内で完全なる反抗態度になってしまった長男。

当時その学校は3年間担任が変わらないというやり方をしていたので、長男にとって転換することも出

来ない迷路の行き止まりのようになっていた。

「権力をふりかざして暴力を使うやつは許せない」と担任の言うことを全くきかなくなった。

私が「自分が殴られた訳ではないでしょう?」と言っても、考えは変わらなかった。




面談でも机に顔を伏せてしまい上げない。

「ほら、ちゃんとしなさい!」と私が言っても、態度を変えるはなかった。

ただ、私にはきちんと理由を言ってくれた。「こうだから、ああしたんだ」という具合に。

学校に呼び出された私は担任に「暴力を使った先生を見て不信感を持ってしまったようです」と正直に

言った。

だが担任は「男が40人もいるクラスをやっていくには、しょうがないんですよ」と言い放つ。

(学校内には女子もいたが、息子のクラスは男子のみのクラスだった)

すごい開き直りには私まで怒りを覚えてしまった。

「その暴力を見て許せないと思う子供がいたとしても、おかしくないのではないですか?」と言った。

だが、長男の心情はまったく理解してもらえなかった。

そのような調子なのでしょっちゅう電話もかかり、何度も呼び出された私だった。

でも受けてきた経験と時期的なものが重なっていると息子を信じつつ、励ましたり時には衝突もしな

がらとにかく卒業させることだけを考えた。

家では相変わらず反抗はせず、何を言われても黙っている長男だった。

その反動もあり、夫と先生の似た点をダブらせることで精神的バランスをとっていたのかもしれない。




3年になり進学したいという希望になったが、夫は「そんな金はない」と反対だった。

私は「私が働いて学費を払うから」ということで、夫は納得しないまでも進学となる。

すぐにフルタイム正社員になるべく方向転換をする。

それまで働いていたパート先(大手企業の営業所だったので仕事としては気に入っていたが、フルタイ

ム枠は無かった)にすぐさま退職の希望を出す。

だが、入学金については夫に頭を下げて出してもらうように指南した。

やはりお父さんあっての進学なのだと長男にもわからせたかったからだった。

頭を下げた長男に返ってきた言葉は「お前のために金を出したくない」というものだったが

『長男がアルバイトで返済する』という約束で夫の了解をやっと得た。

その後、正社員として特定施設の有料老人ホームへ入社し総務の仕事を続けた。

給料振込みの口座が学費の引き落とし口座だったので、給料もボーナスも1円も下ろすことなく、すべ

てが学費として引き落とされた。




夫の収入があるからそれができる。

家計の足しにはなっていない仕事だったが、夫はその件については私に何も言わなかった。

それは本当に有り難いことだと思っている。





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