繚乱の森

きっと明日は素敵な心になれますように

夫の過酷な生い立ち

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無念の最期

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◆初めてご覧の方はこちらを先にお読み下さい。
    http://blogs.yahoo.co.jp/ryouran2010/8457007.html#8457007






夫が3歳で生き別れた実父の安否を確認してから、数年が過ぎていた。

夫の母が脳梗塞で倒れ言語が話せなくなり、私から見ている限りでは夫のことも自分の息子だと

いう認識が出来ていない状態になってしまう。

入院生活を送っているうちに、義父(内縁)が癌で他界する。

しかし夫は母にその事実をいまだに言っていない、というより伝えても分からないだろう。




その時ふと夫の実父のことを色々と思い出した。

今なら例えば会ったとしても嫌な思いをする人もいないのではないだろうか?

義母がまだ病に倒れていない時に、夫の実父について何度か聞いたことがある。

「この子の父親はね、この子よりも背も高くてかっこよかったんだよ!」

「仕事中の事故でね、片足を切断しちゃってね…」

片足を失い、自暴自棄になっている様子だったようだ。

誰も突然片足を失えばそうもなるだろうと想像すると可哀相になった。




実は過去に安否を確認した時にとても驚いた。

夫の実父の現住所が、なんと夫が結婚前に住んでいた同じ県内になっていたのである。

山口からどれだけ離れているかわからないこの関東圏の中の、しかも同じ県内なのだ。

知ってか、知らずか、何十年も会っていない父と息子が…。

勿論、実父ならば夫の住所を調べようと思えばわかることだけれど、果たしてそこまでして

いただろうか?

それとも知らなかったとしたら、血の繋がりは何とも不思議で物悲しいものとしか言えない。

見えぬ縁に引き寄せられていたのだろうか?




思い立って、夫の実父の住民票を取得してみる。

届いた住民票を心臓の高鳴りを押さえながら見た私は愕然とした…。

残念なことに数ヶ月前に他界していたのである。

あと数ヶ月早く私が思い立っていたなら!後悔しても後悔仕切れなかった。

そして良く見ていくと、また驚くべき記載を見つける。

亡くなっていた時の住所は、結婚前に主人が住んでいた市内になっていた。

同じ県内という事は知っていたけれど、市まで同じであり、しかも夫が私との結婚の為に転

居するまでの期間と被っていた。

つまり、同じ市内で暮らしていたことがあるということだ。

知ってか、知らずか、父と息子はあと少しの距離まで近づいていただなんて…。

私は他界されていた事をあらためて無念に感じた。



とても変わった苗字なので、私は本籍から本家と思われる家の電話番号を探し夫の実父につい

ての事情を訊ねさせてもらった。

夫の実父は、故郷の親兄弟とは疎遠にしていたようだった。

その後数軒の親戚の方々と話をしたが、どなたもとてもご親切に対応して下さいました。

だが、そこでまた悲しく残酷な事実を知る。

たった一人で生きていたようだが、肝硬変による死因で発見されたのは死後3日経っていたと。

アパートの隣の部屋の方が何日も同じ隙間でドアが開いているのを不審に思い発見したと。

胃の中にはカップラーメンが少しだけ入っていただけだったと。

夫にその件を話したのだが、その日は一日仕事が手につかなかったと言っていた。

「別に会いたくない」と言っていた夫が、それ以降は「一度会いたかった」と言っている。

本家の方が送って下さった亡き実父の写真は、夫にとても似ていた。

そして、錦帯橋のふもとで撮影したその写真にはまだ足がありました。

一瞬で変わってしまったであろう人生を思わずにはいられませんでした。




それからまた何年かして、本家まで行かせて頂き、お墓まいりをすることができた。

疎遠にしていた実父の息子家族なら迷惑と思われても仕方がないのに、親族の方々は一同に集まって

下さり申し訳ないほどのおもてなしをして下さった。

その席で、夫の実父についての話を色々と聞くことができた。

その中に『口笛が嫌いな人だった』という話があったが、血は争えないものだと実感した。

夫もまた口笛を吹くのが嫌いな人だったからです。




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戸籍に見える悲しみ

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夫が3歳で生き別れた実の父のお話です。



別れは夫の出生の地である岩国市であったと思います。

私は夫と再婚して数年後に、夫の実の父の安否を探していました。

まず、夫の結婚前の戸籍から辿っていき夫の実の父の戸籍を入手しました。

実の父は再婚もせずにまだお1人でいらっしゃいました。




その戸籍には悲しみが手に取るようにわかりました。

協議離婚で親権を母が取るも、戸籍は父の戸籍のほうにそのまま残っていたのです。

親権と戸籍はまったく別問題であり、戸籍も母のほうへ移すには相応の手続きが必要であった

わけなのですが、義母はそれを知らなかったのでしょうか…。




愛しいたった一人との息子と別れたものの、戸籍は実父が筆頭となっている戸籍に存在していた。

でも数年後に義母がある男性と再婚をした時に養子縁組をしたため実父の戸籍から夫が突然いな

くなり×で消されることになる。

しかも、どこの誰といつ養子縁組をしたのかという事実が戸籍には書かれている。

また数年後に離婚と同時に養子縁組を解消したため、同時に実父の戸籍に夫は戻っていった。

戻っていて嬉しい思いもしただろうか、息子が元気で存在している事の証を見つけたように。




そのまた数年後、次の男性と再々婚した義母は再度養子縁組をしたためまた実父の戸籍からある日

突然存在が消えることになる。勿論、今度の養父の情報も書かれている。

実父はどんなに切ない思いでいたかと考えると胸が痛い。

実父にしてみれば、ある日突然抜けたり入ったりしていることになる。




だがそれ以後、夫は2度と実父の戸籍に戻って来なかった。

何故なら…

義母が再々婚した男性と離婚をしたのに、養子縁組解消の手続きをしていなかったのだ。

私がそれを発見して夫から義母に訊ねてもらった。


「おふくろ、俺ってまだ○○さんの養子になってるみたいだけど!」
 
「そうだったっけ〜?」


義母がそう答えたと聞いて、「これは駄目だ」と私は諦めた。

離婚してからどれだけ年月が経っているか?

離婚後は付き合いもないし、どこにいるのかもわからないその養父○○さん…。

それなのに、そのまま縁組をしている事自体ありえない。




私は独自に電話で調査を開始したが、なかなか見つからない。

養子である夫ならば○○さんの戸籍を入手することが出来るので、その方法を取ることにした。

○○さんも再婚していてお相手の女性の姓を名乗っていたから、見つからないわけだと思った。

住所と名前を入手できたので、104で調べて電話をしやっと話すことが出来た。

手続きをお願いして、縁組を解消させてもらいました。




実の父に夫を会わせてあげたいけれど、その時には義母も義父(内縁の夫)も健在でしたので、

安否の確認だけに留めました。

しかし、これが後の後悔に繋がることになったのです。




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夫の過酷な生い立ち

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夫は岩国市で生まれる。

母方は毛利家の家来であった方の由緒あるお家柄なのだそうです。

母方の父は実業家で実家のあった地元では名が知られていたが、お金・お酒・女性で事業を潰した。

私が夫と結婚した時には既に他界されていましたが、最後まで夫をとても可愛がってくれた祖父。

ですが、後妻を取ったことで母は寂しい子供時代であったそうです。

実父は岡山県の人で、こちらも点在していたお城の1つの城主だった方が祖先とのこと。




母の離婚により実父とは3歳で生き別れているが、「海で死んだ」と聞かされていたようです。

母はその後2度の再婚をしているが、2度とも養子縁組をしている。

1度目の男性とは子供もなく結婚年数も少なかったようで、離婚と同時に養子縁組も解消した。

2度目の男性との間に長女・長男ともうけ夫に妹と弟ができた。

その男性は博打打ちで、儲かった時は物凄い贅沢をさせてくれるが、負けた時は家財道具の一切が家

から消えるという繰り返しをする ”普通でない ”日々だったようだ。

夫は、学校の参観等にも一切参加しない母から『母らしい行動』をあまり受けてこなかったようだ。



夫は小学生の時4回くらいの転校を繰り返しているが、小4〜5あたりで『施設』に入れられてし

まうという災難に見舞われる。

原因は3度目の男性との不仲により、大きかった夫だけを残して2人の子供を連れ母が蒸発してし

まったのだった。

困った男性は、養父である立場によって夫を施設に入れてしまう。

「なぜ、自分がここにいるのか?どうして来たのか?家族はどこに行ってしまったのか?」

なにもわからぬまま、夫は施設で生活するしかなかった。

半年くらいして、その事を耳にした祖父が慌てて施設に迎えに来た。

その頃、財も失っていた祖父は某県の県庁関連施設の管理人という仕事を住み込みでしており、祖父

と施設を出ることが出来た夫だが、以後の住まいはその県庁関連施設の中(管理人用の住まい)とな

った。

しばらくは別の意味で ”普通でない ”毎日を過ごし、その後母が迎えに来たようだ。

その時はまた3度目の男性と生活をしていたので、また夫もその中に戻った。



それから関東圏に移り狭いアパート住まい、中学生以降をそこで過ごしている。

勿論自分の部屋などはもてなかったので、高校生の時に同じアパートの別室を借りてアルバイトをしな

がら家賃を払って生活を始めた。

その後、母は3度目の男性と別れる。

夫は24歳の時にマンションを購入、母・妹・弟を住まわせる。経済的にもすべての面倒をみて、妹と

弟には父親としての役割もしなければならなかった。

しかし、自身はきちんとした父の愛情を知らなかったのだと思う。

躾と称して妹・弟を木刀で叩くという事も、多々していたようだった。

その当時の恐怖もあってか、妹・弟はいい大人になるまでは兄としての夫を避けていた感がある。

しばらくして母は年下の男性と知り合い内縁関係の事実婚となる。



夫は私と結婚するまで、1人で生活をしながら酒癖の悪い母を中心とした親族の面倒を見ていた。

心が休まる時がなかったという。

住んでいた部屋の壁にはいくつもの拳で作った穴が開いていた。

私が聞いたのはほんの一部なのでしょう。

心の痛手は、その何倍もあったのだと思います。



こういった生い立ちが、私との結婚後の生活に見えかくれするようになった悩みの要因の1つである

と思っている。



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