湯の旅

心と体の疲れを癒せる温泉を求めての旅

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赤倉温泉街の中心高台に位置して、天気の良い日には日本海に浮かぶ佐渡ヶ島まで見渡せる、文人墨客に愛された宿明治風格を漂わせる香嶽楼がある。

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「石湯」岩の間から湧きだす温泉 は「石湯野飼いの牛が傷ついた脚をこの湯でいやしたので『牛湯』と呼ばれていた。戦国時代、真田一族が傷をいやしたことで知られ、「真田幸村の隠し湯」と伝わり、池波正太郎の『真田太平記』にも登場する。

別所温泉は、信州で最も古い歴史をもつ温泉の一つである。古代からこの出湯の効能はひろく知れわたり、それが神仏の霊験と考えられてまず観音様がまつられた。北向観音がそれである。
この観音を中心として長楽・安楽(国宝八角三重塔)・常楽のいわゆる三ヶ寺ができ、別所は仏教・学問の中心地ともなった、「信州の鎌倉」と呼ばれている。
 
「大湯」木曽義仲が御湯屋を新築して愛妾「葵の前」と入浴し「葵の湯」と呼ばれていたと伝えられる。北条義政が信濃の守護職としてこの地に居を構え、「北条の湯」と呼ばれていたこともある。
後に、大炊御門大納言が愛用し「大湯」と呼ばれるようになった。吉川英治の『新平家物語』にも登場する。
 

日本三大名泉温泉(清少納言)「ひらかな」にすればこうも表現が違ってきますから・・・・・


中宮定子に仕えた清少納言「枕草子」第117段に「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」とうたわれている「三名大泉」のひとつ。ともに天皇家と関わりが深く、神の湯としてもてはやされ皇族を中心とする公家文化が繁栄した平安時代都から神宮参拝に向かう途中「湯ごり」で身を清める。これが当時の正式な参拝でした。榊原温泉の名は古くは地名を取って「ななくり(七栗)の湯」と呼んだ。

別所温泉は七苦離(ななくり)七久里(ななくり)の湯」別所温泉が、武家社会と結びつき、北向観音を初めとする寺内町の湯垢離の場として発展したと言われている。

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「大師湯」天長二年(八二五年平安時代)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音堂建立のため当地に来錫の折 好んで、入浴したので大師湯と名付けられた。
かつては北向山に参詣した籠の者が夜通し入替わり利用したので「籠の湯」ともいわれた、又昔矢傷を負った堆子が湯あみして傷をいやしたので「雑子湯」とも呼んだこともある。

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別所温泉(長野県)

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北条氏の別荘地として栄え別所と云われる様になつた・・・安楽寺参道
 
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北条義政が信濃の守護職としてこの地に鎌倉文化を今日に伝える文化財が多数現存している。
京都法勝寺に八角九重塔が在ったが応仁の乱(1468年)、奈良西大寺などに存在したが、戦乱などで失われた,日本に現存する近世以前の八角塔(国宝)としては唯一のものである。
 

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富貴畑高原温泉は小さな温泉郷・ホテル富貴森林の自慢はなんと云っても日本一の総木曽檜の露天と貸切展望露天風呂が魅力です1階ベランダからは南木曽の山を望み木曽ならではの総檜造り露天風呂、底板も檜独特の節目が盛り上がって足をくすぶり気持ち良く長湯ができます、満天の星空を観賞してみてこの値段で会席料理の良さには驚かせた又旧中山道妻籠宿の散策にも便利な立地である。
 
木曽檜は吉野檜よりも年輪幅が細く、やわらかく、加工しやすいため造作材、建具材に適しているとされる、曹洞宗の大本山永平寺に新築された接賓に於いて、柱は吉野檜、造作材、タルキなどは木曽檜が用いられました。
高野檜は水に強く耐久性に優れている船造作に平城京跡から文書木簡して多く出た事で耐久性(千年)に優れていのを証明した

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