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『荒川アンダーザブリッジ』って、みなさん、ご存じですか?
ふとしたことでドラマを知って、一気に引き込まれてしまった
カッパの格好をした村長が小栗旬くんなんだけど^^
で、元々はマンガだったということも知り、今1巻と2巻を読み終わった
いや〜、これ、もう好きなんですよねー
前からオレの記事を読んで頂いている方なら、大体理解して頂けると思いますが、
そう、例のシュール好きです^^
Beatlesの『Magical Mystery Tour』や
寺山修司の世界とか、
『ロッキー・ホラー・ショー』とか、
米米クラブのステージとか、
ワハハ本舗とか、
ベガーズ・オペラの1Stのジャケットとか、
ともかくそうしたシュールなものはとても好物だ
ただ、この『荒川アンダーザブリッジ』は、
ただ単にシュールなだけでなく、
そのシュールなシチュエーションを使って
訴えたいことをわかりやすく表現していると思うので、
シュール好きじゃない方々、普通にドラマが好きな方々にも
ウケると思う
オレはそういうのがなくて、ただ単にシュールなだけでも
充分OKなんだが、
漫画を読んでいて色々考えさせられた
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Book
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『ノルウェイの森』(87)/ 村上春樹
これは87年リリース当時、大学生の時に読んだ。
その前から、『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』、『〜ハードボイルド・ワンダーランド』、その他の短編集、エッセイなど、当時出ていた村上春樹の本は読んでいて好きな作家だったので、まさにオンタイムで、代表作を読んだことになる。
で、24年ぶりに読み返してみた。
ハード・カバーを通勤かばんの中に入れて持ち歩くのは重いし、読みづらいので文庫を買った。
親子^^
ハードカバーは、上下刊とも
1987年9月10日 第一刷発行
文庫本は上下刊とも
2010年10月6日 第36刷発行(文庫の第1刷は2004年9月15日)
で、オレは一度読んだ本は読み返さないんだが、今回読んでみて驚いたことに99.9%忘れている(爆)
覚えているのは、2つ。
ひとつは、レイコさんの家に来た、嘘つきの女の子の話。
もうひとつは、あとがき。文庫本はあつがきがついていないんだが、さっきハードカバーの方のあとがきを読んだら覚えていた。
小説の書き出しは、
僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。
三十七歳の僕が二十歳頃の自分を振り返るという展開だ。
しかし、当時、オレはこの本を読んで何を感じて、何を思ったのだろう。
その後の『ダンス・ダンス・ダンス』(88年)は読んだが、次は92年の『国境の南、太陽の西』で、もう社会人になってしまって、仕事が忙しくて小説などはほとんど読まなくなってしまって、読んでも村上龍くらいになっていたので、読んでいない。
それ以降のものも09年にリリースされて話題になった『1Q84』まで読んでいないんだけど。
しかし、確かに『ノルウェイの森』がリリースされた87年頃は確実にオレのNo.1作家だったはずだ。
でも、何を感じていたかは覚えていない。
で、24年ぶりに読み返してみた訳だ。
で、ここからが、アラフォーになったおっさんが読んだ感想になるが(笑)。
村上春樹の、誠実で、ひとつひとつを検証しながら物事を考える、ストイックな文章は全編通して貫かれていて、文章を読むととても気持ちがいい。
おぉ、この感じ。
で、まず、この小説はとにかく、よく人が死ぬ。
オレが数えたところ、以下の6名が死ぬ。
①キズキ・・・17才で自殺(直子の彼、ワタナベの親友)
②緑の母・・・脳腫瘍
③直子の姉・・・17才で自殺(直子が11才の時)
④緑の父・・・脳腫瘍
⑤ハツミ・・・自殺(ワタナベの寮の先輩、永沢がドイツに行った2年後、
他の男と結婚をして、その2年後)
⑥直子・・・21才で自殺
6名の内、4名が自殺。
しかも借金苦とかの自殺ではなく、メンタル系の自殺。
残りの2名はメンタル系ではないものの、脳腫瘍。
第二章の終わりの方に、この小説の中で唯一太字で書かれている一文、
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
おそらく、この一行が言いたくてこの小説を書いたと思わせる。
こないだ、白石一文の『僕の中の壊れていない部分』
で、死生観がオレと似ていると書いたが、
この『ノルウェイの森』の太字の
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
というのは、オレの死生観に近いが少し違う。
この文を真似て書き換えるとしたら、
生は死の対極としてではなく、その一部として存在している、となる。
つまり、『ノルウェイ〜』は
まず、生があって、その生の一部が死であると言っているんだが、
オレは、まず死があって、その死の一部として生があると思っている。
そして、『僕の中の〜』は、オレのそうした考えに非常に近いものを感じた。
そんなことをカミさんと話していたら、オレが十年位前に
「人生とは、不可抗力への挑戦」と言っていたと言うんだが、
オレ自身は覚えてなくて、
でもその「不可抗力への挑戦」というのは確かに、その通りだと思うし、結構カッコよくまとめたフレーズだと思い、戸惑ったが、
それが、何と紙に書かれていて、まさにオレの直筆だった(爆)
オレは何もかも忘れてしまうのか。。。。
まあ、それはそれとして、6名も死んでしまう小説で、死について否が応でも考えてしまうが、
この小説は、生き残った者達が、死んだ者を自分の中の一部として持ち続ける、そうしながら自分は生きていかなければならない、というストーリーになっているんだと思う。
また、このメンタル系での自殺というのは、社会性の獲得、若者が世の中に適合していきながら、大人になっていくということについても考えさせられる。
第十章のはじめの方で
おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。お前だってきっと辛かっただろうけど、俺だって辛いんだ。本当だよ。これというのもお前が直子を残して死んじゃったせいなんだぜ。でも俺は彼女を絶対に見捨てないよ。何故なら俺は彼女が好きだし、彼女よりは俺の方が強いからだ。そして俺は今よりももっと強くなる。そして成熟する。大人になるんだよ。そうしなくてはならないからだ。俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそうは思わない。俺はもう十代の少年じゃないんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は行きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。
と、この小説の中で、淡々として冷静な『僕』の唯一と思える、強い感情の発露の部分からもそうしたことが伺える。
社会に適合できずに、メンタル的に病み、そして最後自殺を選ぶという知り合いが周りにいる中、しっかり社会に適合していく、その為の代償もしっかり払わなければならない、好き勝手なことばかりやっていられなくて、やりたくないことをしたり、我慢もしなければ社会に適合して生きていけないということだろうか。
なるほど、アラフォーのオレなりにまとめてしまうと死についてと、若者の社会性の獲得についての小説だったのか。
で、最後にアラフォーとなったオレの感じた違和感を2つ。
ひとつは、
君は、山が崩れて海が干上がるくらい可愛い
春の熊くらい好きだよ
君のヘア・スタイルは世界中の森の木が全部倒れるくらい素晴しいよ
などの表現は、二十歳くらいの当時のオレは結構面白がって楽しんでいたはずだが、
アラフォーの今は、少々うっとおしい。
何か、気の効いたこと言ってるつもりになって、いい気になってんじゃねえよ、とつっこみたくなる(笑)。
もうひとつは、この小説、下ネタが多すぎる。
出てくる女の子が、ほとんどみんな、ずけずけと、平気で下ネタ、ばんばん喋りまくる。
直子、緑、レイコさん、みんな、そうだ。
これ確か去年映画化されてると思うんだけど、この小説の会話の部分はどれ位再現されているのか、興味深い、というか恐ろしい(笑)。
女性に年齢を聞くくらいでもセクハラとして訴えられる世の中になって十年くらい経つと思うが、そうした社会に適応してきたオレだから、こうした違和感を感じるのかわからないが、今の若い子達がこの小説を読んだらどういう風に感じるんだろうか。
ただ、カミさんもリリース当時、その下ネタの多さに辟易したと言っていたので、当時としてもインパクトがあったのではないかと思う。
それについて当時のオレがどう感じていたかはわからないんだが、
いま読むとかなりToo Muchだ。
いちいち、性的なものに結びつけちゃうんだもん。
もしかして、そうした性もこの小説のテーマとして入っているのかもしれないが、仮にそうだとしても、ここで描かれている性観というのは、あまりオレのものとは相容れない気がする。
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こないだ、『僕のなかの壊れていない部分』という本についての記事を書いたが↓
ちょっとしたことで、この本の著者、白石一文のことを知り、本屋に行ってみたらこのタイトルの文庫が置いてあり、369ページもある長編小説なのに、いきなり買って読んでみた
一か八か、だし、まあ何かに救いを求めたい様な気分だったのではないだろうか
小説を読むなんて結構久しぶりかも
死ぬほど仕事に追われている30代後半のサラリーマンの話しだったし、文章もすこぶる良くて読みやすく、デビュー作の『一瞬の光』もすぐ買っていま読んでいる処だ
こちらは600ページ近くあるのだが(汗)、いま真ん中あたりまできた
これまた読みやすく、次へ次へ読みたくなる構成が素晴しいと思う
『僕のなかの壊れていない部分』は死生観がオレに似ているところが多くて、非常に嬉しく、「あなたの死生観はどんなものですか?」と訊かれたら、この本を差し出してもいいと思ったくらいだったので、デビュー作、『一瞬の光』ではどう書かれているのかが興味がある
ま、まだ半分しか読んでいないので、『一瞬の光』ではどうだったかは読み終わって書く機会があれば記事にしますけど
で、だいぶ横道にそれてしまったが、
タイトルでそそられてしまう本で
『ぼくが電話をかけている場所』だ
村上春樹が訳したレイモンド・カーヴァーの短編集
多分、いまから25年くらい前に読んだ本だ
内容は忘れた(爆)
この頃は村上春樹をとにかく沢山読んでいて、そのうち、最近話題の『ノルウェイの森』もリリースされて、速攻で買った頃で、村上春樹が訳している本もむさぼり読んでいた
『ノルウェイの森』も内容は忘れてしまったが(爆)、久しぶりに読んでみようかな、今のオレは何を感じるかな?
それにしても、『ぼくが電話をかけている場所』、えらくそそられるタイトルじゃありませんか?
次は、『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』
これも20年以上前に読んだ、谷川俊太郎の詩集だ
こうやって引っ張り出したんだから読んでみればいいんだけど、どういうことが書かれていたかは忘れた(爆)
夜中の台所で、どんなシチュエーションかわかりませんが、どんな詞が書いてあるのか、相当興味を惹かれませんか?
最後は、大大大好きな高橋源一郎の『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』
かなりシュールなタイトルですが、絶対買いたくなりませんか?
これも書いてある内容は忘れましたが(爆)
なんてったって20年以上前なので。。
高橋源一郎には他にも
『ジェイムス・ジョイスを読んだ猫』 や
『朝、起きて、君には言うことが何もないなら』 などなど
かなりタイトルだけで買いたくなってしまう本が多いのだが、
『しまうま語』が一番好きかな
それにしてもいま並べてみて、かなり満足してるんだが、
どれも『ぼくが(は)』で、
しかも電話も含めて、話すという動詞だね
何だろ、オレだけかな? こういうタイトルに惹かれるのは@@
ぼくがぼくはぼくがぼくは、台所でしまうま語を電話で台所でしまうま語を電話で台所でしまうま語を電話で、
きみに話しかけたしゃべった頃電話をかけている場所、きみに話しかけたしゃべった頃電話をかけている場所
ぼくが、夜中に台所できみにしまうま語で電話をかけていた頃(爆)?
遊び過ぎましたm(__)m
カーヴァーも含めて、四大巨匠に謝ります
円高すすんでいるなー
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『僕のなかの壊れていない部分』 白石一文 2002年8月 光文社刊
ふとしたことで、この作家のことを知り、この本の『僕のなかの壊れていない部分』というタイトルにひかれて、珍しく本を買って読んだ
買ったのは、2009年7月10日発行の10刷の光文社文庫だ
まあ600円くらいだから、ひょいと文庫を買うこともないとも言えないが、
ほとんどどんな作家かも、どんな内容かも知らずに400ページ近くの長編小説を買うなんてのは、
よほど、このタイトルが今のオレのモードにフィットしていたからかもしれない
そしてかなりテンポよく読み終わることが出来た
死生観がオレに似ているな〜と思うことが多かった
で、デビュー作の『一瞬の光』も昨日買い、読み始めた処だ
Wikiで調べてみたら、この方のお父さんも弟さんも作家らしい
有名な人なんだろうな〜
どなたかご存じの方、いらっしゃったらご教示下さいませ
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あまりにおどろおどろしい絵なので、背表紙どまりにさせて頂きました。 あまりのもの凄い世界観に衝撃を受けてもう20年くらいになるのかな〜。 まあその20年間の内で読んでいたのは最初の1〜2年だとは思うけど。 強烈な個性は変えがたいものがあると思う。 ご存知の方がいらっしゃったら是非コメを入れて下さいませ。
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