|
世界平和道農園にて、里芋の植え付けとカボチャの苗の移植を行なう。
里芋の種は、通常小芋を使うのだが、私は親芋も植える。
普通は、このような小芋を種にする。
種がたくさんあったので、二畝使ってしまった。
畝の真ん中に親芋を植えて、サイドに小芋を植えた。
カボチャの苗は、種から育てた栗坊と雪化粧。
葉っぱに穴が開いているのは、ナメクジの悪戯。
カボチャの畝は、農園の奥の院に作った。
畝が余ったので、今生育中の苗を次回持って来よう。
春の風は強いので、風に振られて茎を痛めないように囲いをする。
1月末に植えたジャガイモは、スクスクと育っている。
その後に植えたジャガイモは、かすかに芽が出た程度。
豆が、少し生っていたので、初収穫。
左はスナックエンドウで、右はべた豆。
毎年今の時期は、畝と苗作りに追われる。
ナス、キュウリ、トマト、ズッキーニなどの苗が並ぶ。
全て種から育てた。
カボチャは、生で食べられるコリンキーやプッチーニなど、
ユニークな種を購入して、育てている。
農園で作業中に、選挙演説が聞こえてきた。
声だけ聞こえるが、農園からは候補者の姿は見えない。
そう言えば、4年前の統一地方選挙は、東日本大震災直後で、福島第一原発事故も重なり、まだ行方不明者が多数いらっしゃったのに、東北地方の一部を除いて、選挙を強行した日本国というシステムに、強い怒りを覚えた事を思い出した。
当時、私のその憤懣が、「政治家なんかいらない」というブログを書かせた。
4年経った今、「政治家なんかいらない」という思いは、益々強くなっている。
政治家が理想を語らなくなって久しい。
政治は現実だと言うのなら、いっそ全て官僚に任せてしまえばいい。
理想を語らない政治家は、ヒノモト日本では不要である。
さりとて、政治を放棄するには、社会人としては失格であろうから、選挙公報などを見て、投票する人を吟味する。
しかし、福岡県知事選挙は、候補者が二人しかおらず、現職を推薦する党が、自民党、民主党、公明党、維新の党、社民党、県農政連と、抱き付き選挙で、これでは現職の小川洋さんが当選するのは確実であろう。
面白いのは、もう一人の候補者が無党派を表明しているが、共産党の県議会選挙カーから、「知事選挙は、後藤富和に一票を」と呼びかけている事である。
共産党の公認や推薦を受けないのは、共産党アレルギーの人たちに配慮しての事であろうことは理解できるが、県議会議員の選挙カーで、こう言われてしまっては、「共産党が応援しています」と言って回っているようなものである。
国政選挙では、「小選挙区は自民党(候補者名)、比例は公明党とお書き下さい。」とのフレーズが、すっかり定着してしまい、それをみっともないと思わないメンタリティーが、この国の政治をダメにしている。
私の独論だが、橋下徹さんが、自民党公認候補で大阪府知事選挙で初当選できたのは、いつもは必ず独自候補をたてる共産党が、橋下さんの対抗馬を応援したからであろうと私は推測している。
共産党に抱きつかれた対抗馬は、気の毒であったが後の祭りである。
それから始まる大阪府政の混乱は、目を覆うばかりで、それを他山の石とするのなら、福岡県知事選挙は、これでいいのであろうか。
それにしても、選挙の一番の争点を原発再稼動問題と捉え、原発の再稼動に反対している有権者は、共産党が応援する候補者に入れるしかない。
民主党は、再稼動に賛成しているので、現職を推薦するのは理解できるが、社民党の推薦は理解に苦しむ。
もう、社民党は終わってしまったのでしょう。
然るに、社民党だけではない。
先般、自民党への追悼文をブログにアップしたが、今年9月の自民党総裁選挙で、安倍晋三さんを下ろせなければ、自民党は終わる。
この事を知っている自民党議員は、果たしてどれくらいいるのであろうか?
一日農園にはまれて、個人的には楽しい時を過ごせたが、野菜作りに興ずる場合ではない事も、薄々感じ始めた今日この頃である。
時代は、とっくに有事に入っている。
ゆかり人の皆さん。
選挙には、必ず行きましょうね。
|
全体表示
[ リスト ]





意思がなければ、責任もない。我が国の上に立つ人には責任が無い。責任者を探すと苦労する。責任者とは、犠牲者のことである。犠牲者を出すなの言葉に尽きる。とかく、この世は、無責任。
意思の説明はなく、ただ事柄に成り行きを説明する。
意思はないので、文章にならない内容は、議論の対象にはならない。
議論が無くて、談合がある。矛盾の有無は論外で、ものの上下で決着する。
この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。原発事故でもそうだろう。
矛盾を放置するのでは、過ちは繰り返します。
2015/4/10(金) 午前 6:15 [ nog*t*ra ]