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●2016年4月23日(土)
◆3月29日(火)【退院日】
今晩から、父の部屋に一緒に寝る。
まさか、リハビリ用平行棒の下に布団を敷いて寝る時が来るなんて
思わなかった。
日頃はベッドで寝ている為、客用布団で寝ると腰が痛くなる。
退院した日の夜は、なかなか寝付けないようである。
同じ姿勢で寝ていると痛みが出る為、頻繁に体位替えを要求してく
るので、私は1時間以上連続して寝る事ができない。
かなりハードな介護である。
夕食は、父の好物のお好み焼きとブリカマの塩焼き。
全て食べてくれる。
焼酎のお湯割を恐る恐る呑んだ。
「あー、うまい!」とまではいかなかったようだが、いつもの量の
1杯は飲みきる事が出来たので、満足している様子。
◆3月30日(水)
相変わらずトイレは全介助で、車椅子に乗せてトイレまで連れてい
かなければならない為、レンタルの車椅子を介護保険サービス事
業所へ発注する。
朝食は、いつもの半分しか食べられず。
昼はいつもの通り軽食。
夜は、父の大好物の手造りトンカツを揚げる。
1枚全てたいらげる。
ご近所さんから頂いたお土産のイカシュウマイも1個食べる。
焼酎のお湯割りも1杯飲み干す。
今晩は兄も我家へ来て夕食を共にしたのでお酒も美味しかったよ
うである。
今日は母の月命日。
連日の父の入院付き添いで、買物に行く時間がとれなかったの
で、兄に花を買って来てくれるよう依頼する。
夕食後、父をベッドに寝かせて、居間で兄に、父の現在の病状と今
後の治療計画を説明。
まるで部下が上司に報告するが如し。
「入院しない方法はないのか?」
「おやじはどう思っているのか?」など、上から目線で聞いてくる。
「自分はよう分からん。」って言っとたと言うと、「自分のことやろうも
ん。」と兄は不満顔。
82歳にもなっているのだから、自分の病気について事細かく知る
のは難しいという事を兄は分からない。
一緒に暮らしていないと、親の老いを感じることはできないのであ
ろう。
便が数日出ていなかったので、昨夜ラキソベロンを飲ませていた
ら、深夜3時に排便。
間に合わずオムツの中に軟便が泳ぐ。
幸い少しスパッツを汚しただけで済む。
しかし、お尻拭きが大変。
拭いても拭いてもなかなか綺麗にならず、更に掴まり立ちが長時間
できないので、何度も便器に座ったり立ったりをさせなければなら
ず一苦労。
汚れていないが、狭いトイレでの格闘で汗をかいたので、上下全部
着替えさせる。
便で汚れたスパッツはつまみ洗いして、洗濯機にほおりこむ。
自分の着ていた服も全て着替える。
喉が渇いたのか、オロナミンCを飲みたいと言うので、冷蔵庫から
取り出し、フタ付のプラスチック容器に入れ、ストローで飲ませる。
「美味しい!美味しい!」を連発しながらゴクゴク飲む。
次の尿は黄色いであろう。
次第に体位を自分で替えられるようになったので、私も少し睡眠が
とれるようになり、だいぶん身体が楽になる。
◆3月31日(木)
9時に、介護保険サービス事業所から車椅子を届けていただく。
G病院のリハビリ室から拝借していた車椅子よりコンパクトで使い
易い。
深夜、トイレ3回介助。
体位は自分で替えられるようになったが、トイレ介助があるので、
2時間以上続けて眠れない。
介護は体力勝負である。
果たして私の身体は何処までもつであろうか?
己の事ながら興味津々である。
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父の闘病記
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●2016年4月7日(木)
◆3月29日(火)【入院6日目】
朝9時に、美人先生から私の携帯に電話が入り、退院が決定した
との事。
「退院前に血液内科のe先生からお話しがあるようなので午後から
来られるという事で良いですか?」と聞かれたので、「それでお願
いします。」と答える。
午後から伺うと言ったが、退院が決まれば荷物を撤収しなければ
いけないので、朝の用事を手早く済ませて、早めに病院へ行く。
10時過ぎに病院へ到着。
病室に入ると、「早く帰ろう!」と父が言う。
入院したり退院したりする準備が、どんなに大変な事か、この人は
知らない。
「靴やツエが早く帰ろうっち言いよう。」とユーモラスなことをおっしゃ
る。
照れ隠しなのであろう。
美人先生と廊下でお会いし、そのまま一緒に病室へ入って、顔の
診察。
顔の糜爛は治まっているようだが、もう一度診察したいので、4月6
日の水曜日の10時に予約を入れたので来て欲しいと言われる。
忘れないように手帳に書き込みながら、「生きてたら来ます。」と半
分本気半分冗談で言うと、「イヤ、ダメです。絶対に来て下さい。」
と真剣な眼差しで力強く言われる。
美人先生は、本当に心優しき先生である。
昨日1.5くらいと言っていたクレアチニン値が1.1ちょっとだったよう
で、間違えていたと訂正される。
腎機能を傷めずに治療ができて良かったと、美人先生と二人で安
堵する。
顔は、一日朝と夕2回、石鹸などをよく粟立てて洗って、ただれてい
る所は、バラマイシン軟膏を塗って、出血している左目は、ブロナッ
ク点滴液を一日朝夕2回点眼するように言われる。
荷物の整理は終わったので車に積み込みたいが、e先生とまだ連
絡がとれないので、行きすりあいになるといけないと思い病室から
出られず。
お昼を食べてから退院する予定だが、父はお昼などどうでもいいか
ら早く帰りたいと言う。
本当に入院が嫌いな人である。
昼食の膳を持って来てくれた看護師さんが、5年前に入院していた
時の病棟にいた人らしく、「覚えていますか?」と声をかけられる。
こちらは覚えていなかったのだが、よくたくさんの入院患者がいる
中で、私たち親子を覚えていたものである。
その看護師さんが病室を出た後に、「美人やったら覚えとったけ
ど・・・」とあまり品が良いとは言えない冗談を父が飛ばす。
お昼は半分程食べておしまい。
家でも昼食はいつも軽く済ますので、食べられないのであろう。
「美人先生にお酒を呑んでよいか聞くの忘れとった。」と言うと、
「聞かん方がいいよー。」と言う。
「呑んだらいけんって言われたらいけんけ?」と聞くと、「そう。」と
頷く。
まだお酒を呑む気力があるのは良い事である。
帰る準備は万端整ったのに、e先生が来られない。
手持ち無沙汰気味に待っていると、看護師さんが、e先生が血液内
科の診察室で待っておられると言いに来られる。
最上階の病室から別館地下1階にある化学療法センターまで、急
いで出向く。
娘さんだけ来て下さいとの事だったので父は病室に待たせておく。
待合室でしばらく待ってから呼ばれる。
私も緊張している。
骨髄腫の方は、悪くなっている事は間違いないが、とりあえず帯状
疱疹が治まって良かったと言って下さる。
本日採血した検査結果は、24日と比べると、
クレアチニン=1.41→1.15、カリウム=3.2→3.1、
CRP=4.94→2.31、WBC=5.6→4.1、HGB=9.4→8.1、
PLT=131→97、乳酸脱水素酵素=1376→1010、
AST=66→55、ALT=9→13であった。
抗ヘルペス薬は、腎毒性の弱い薬を選んで使ってもらったようで、
それでも腎機能は悪くなる可能性があると言われていたが、入院
当日よりもクレアチニン値が改善されていたので安心する。
入院時は、少し脱水症状を起こしていたのかもしれず、乳酸脱水
素酵素も下がっているので、骨髄腫が悪化しているのは確かだ
が、骨髄腫の悪化だけの理由で、血液状態が悪くなっているので
はなかったようである。
それでも、骨髄抑制は著しく、これは明らかに骨髄腫の病態進行
によるものである。
今後の骨髄腫の治療については、治療を行って感染症を引き起こ
し、それで亡くなる人が多いので、このまま何も治療をしないでいる
のと、治療をするのとで、余命がどちらが長くなるかは、はっきり言
って分からないと言われる。
今年に入って既に、カンジダ菌とヘルペスと感染症を続けて発症し
ているので、今後の治療でデキサメタゾンは使いづらいらしい。
ベルケイドを試すにしても、2〜3週間入院してもらわなければなら
ず、今回たった6日間入院しただけでも、せん妄が出たようなの
で、高齢者が長期間入院するのはリスクが高い、とe先生は、今後
の治療に消極的なようである。
しかし、何もしなければ確実に悪化して死ぬのだから、何かしらの
治療はしてあげたいと私は思う。
そう思っているとe先生が唐突に、「実はg先生が4月からL病院に
転勤になるので、L病院でg先生に診てもらうという事もできます
よ。」と言われる。
g先生は、5年前に献身的な治療を施し、父を三途の川から引き戻
して下さった先生である。
そしてL病院は、緩和ケア病棟に力を入れているようで、父が信頼
するg先生の元で、リハビリも行いながら、治療するタイミングが計
れるとすれば、父にとってこんなに素晴らしい環境はない。
その時私の腹は決まったが、とりあえず、4月6日に皮膚科の診察
を受けに来るので、その時良ければ一緒に血液内科も受診させて
欲しい旨お願いすると、快く了承して下さる。
6日は、皮膚科は10時の予約なので、その前に採血を終わらせ
て、採血の結果待ちの間に皮膚科で診察してもらい、その後に血
液内科の診察に来るように言われる。
とりあえず、帯状疱疹が完治するまでは、治療はしづらいので、6
日に皮膚科で帯状疱疹の経過を診てもらい、採血結果も考慮し
て、今後の治療について話すことになる。
かなり厳しい話しを予想していたが、クレアチニン値や乳酸脱水素
酵素の数値が改善された事もあり、若干だが安心材料になった。
ヘルペスの治療中に、骨髄腫がこのまま急激に悪化していく事を
予想していただけに、少し猶予をもらった気分である。
病室に戻り、父に思った程悪くなっていなかった事と、来月からg先
生がL病院に転勤になるから、今後はg先生に診てもらっても良い
とe先生から言われた事を説明する。
皮膚科に入院していた際、g先生は2度ほど父の病室を訪ねて下さ
ったようで、その時g先生が、「Mさん、私を覚えていますか?」と聞
かれたようで、「何と答えたの?」と聞くと、「知らん、と向こうむい
た。」と笑いながら言う。
父が冗談を言った事は、勿論g先生は分かったようで、父とg先生
の信頼関係は5年隔てた今でも健在のようである。
荷物を全部車に詰め込んで、会計(診療費=23185点)を済ませ、
領収印をナースステーションで見せて、父の服を着替えさせ、いざ
退院。
病院を出る前に、Sおいちゃんに電話をして、父を車からベッドまで
運ぶのを手伝ってもらう為に、家の前で待っていてくれるように依頼
する。
20分ほどで我家に着くと既にSおいちゃんが来てくれており、二人
でエッチラモッチラ父をベッドまで運ぶ。
毎週火曜日は、14時からanさんの訪問リハビリが入っているのだ
が、今日は時間をずらして16時に来てくれる事になった。
帰宅早々、リハビリは出来ないので、anさんに今までの経過の説
明と父にマッサージを施してもらう。anさんが機転を利かせて、リ
ハビリ室から車椅子を借りて来てくれて助かった。
すっかり足が弱っており、自分で歩行器を使って移動する事ができ
なくなっている。
今日から、私が父の部屋に一緒に寝て、トイレ介助を行うことにす
る。
まずは、家に連れて帰る事ができたので、第一関門突破である。
私の体力と気力が続く限り、父の希望を出来るだけ叶えてあげた
いと思う。
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●2016年4月4日(月)
◆3月27日(日)【入院4日目】
朝8時48分に、C病院から私の携帯に電話が入り、心臓が止まり
そうになる。
皮膚科の美人先生からの電話で、昨夜父が自分が何処にいるか
分からないと言って少し不安定になっており、夜中に動いて怪我を
してはいけないので、センサーを付ける事の同意書を書いて欲しい
旨の連絡であった。
帯状疱疹の方は、まだ予断を許さないが、今朝診察したところ瘡
蓋が出来てきているので良くなって来ている兆候であると言われ
る。
昨日見た感じでは、悪化しているように見えたので、とりあえず美
人先生の見解に胸をなでおろす。
今日も見舞いに行くので、その時に同意書を書く事をお伝えする。
午前中、気晴らしに菜園の豆類に支柱立てを行う。
随分茎が伸びており、花もチラホラ咲いている。
早く手を欲しがっていたので、豆も嬉しがっていた。
私が菜園で作業をしていると、近所の人が父の容態を心配して聞
いてくる。
家に連れて帰れるように頑張っているとだけ伝える。
13時過ぎに病室へ到着。
スヤスヤと眠っていたので起こさず。
テーブルの上に、尿でズボンを汚したのだが替えがなく、病衣を貸
し出しているので、売店でズボンのチケットを1枚買って来て欲しい
と、メモが貼ってあった。
早速1階の売店まで降りて、チケットを購入。
1枚100円也。
最上階の病棟へ戻って、病室へ入ると、父はお目覚め。
顔の腫れは昨日と見た目は変わっていないが、今朝美人先生が
言われた通り、小さな瘡蓋がポチポチできていた。
早く退院させたいという気持ちがあるものだから、あまり着替えを
持ち込まなかったのだが、汚した時の事を考えて、今日は多めに
着替えを持って来た。
父が、またウトウトし始めた隙に、持って来た荷物をロッカーに入れ
る。
荷物の整理中に、父の布団の上にポンポン仮置きしていたら、私
が父の背中を叩いたように感じたらしく、「なんね?」と言うので、
「服を置かしてもらいよるんよ。お父さんは敏感やね。」。と言うと、
「分かるよー」と反応が良い。
家から持って来た浄水器の水を水筒に入れ替えたりしていると、看
護師さんが来たので、先ほど購入したチケットを渡しながら、「昨夜
はお手数をおかけしたみたいで、すいません。」と謝ると、「いえい
え」と恐縮される。
「今朝、美人先生から電話でお聞きしたのですが、何か同意書を書
かないといけないんでしょ。」と言うと、「あとから当直の先生から
説明がありますので、その時にサインをお願いします。」との事。
「それより個室が空いたので、今から個室の部屋に移ります。」と
唐突に言われ、ギクッとする。
個室に移動しなければならない程、そんなに父の容態は悪いの
か?
個室はトイレもあって部屋も広いのでと言われるが、5年前にC病
院で治療中に三途の川を渡りかけた時、個室に移された時の暗い
記憶が蘇る。
予後の厳しい患者は、他の患者から離して個室に入れられるの
が、C病院の決まりのようであるから、そんなに父の容態は予断を
許さないのであろうかと思ったりしたが、採血検査も明日だし、帯
状疱疹も悪化している訳ではないと今朝美人先生から聞いたばか
りなので、私の考えすぎかと気持ちを落ち着かせる。
丁度父がトイレに行きたいとナースコールしたので、車椅子でトイ
レに連れて行ってもらっている間に、ベッドを動かし部屋を移動す
る。
たった今入れた荷物をまた全部出す。
「綺麗に整理されていたのにすいません。」と看護師さんが恐縮さ
れる。
看護師さんがそう言われるほど、本当に上着と下着を1枚1枚丁寧
に丸めて入れていたのだった。
荷物を入れる前に部屋移動を聞いていたら良かったが、間が悪か
った。
しかし、こんな事をいちいち気にしていたら介護はやっていられな
い。
父の介護をするお陰で、短気な気性が治り、気も長くなり、我なが
ら己の性格の変化を感慨深く思う。
5年前に黄泉の国へ旅立つ準備の為に入っていた個室は2階にあ
ったが、今回は最上階なので見晴らしが良くとても開放的である。
今までの病室は二人部屋の廊下側だったので景色も無い上、狭く
て窮屈だった。
更に同室の隣のベッドに寝ている男性は、耳が遠いようで、お見舞
い客と病室内で話す時、見舞い客も揃って大声で話すので、煩い
ことこの上ない。
また、C病院は病室でも携帯電話の使用が可能なようで、隣の男
性の携帯電話が度々鳴り、その男性がイヤホンを付けてテレビを
見ている時など、携帯電話の呼び出し音が鳴りっぱなしな事がよく
あった。
その度に、向かいのナースステーションから看護師さんが飛んで来
て、その男性に携帯の着信を知らせるのである。
どれだけ煩いか想像がつくであろう。
呼び出し音などはバイブにしていればよさそうなものだが、そんな
配慮が全くない人であった。
電話で話す声も耳の遠い人は、びっくりするような大声でしゃべる。
父は、耳は正常なので、我家では穏やかな日常を過ごしている。
耳の遠い人が家の中に一緒に住んでいると大変であろうと想像す
る。
現在点滴している抗ヘルペス薬は、腎毒性が若干あるらしく、父の
病気を考慮して、なるべく腎機能に影響のない薬を選んでもらって
いるが、それでも多少は害が出るかもしれないと言われている。
今のところ、尿はたくさん出ているようなので、腎機能は正常に保
たれているようである。
5年前に告知を受けた際は、既に多発性骨髄腫の末期状態だった
ので、どのような容態が骨髄腫の悪化を知らせているのかを、ある
程度学習している。
その経験は、今の私の強みである。
本日二度目の荷物整理を終えた所で、今日の当直医という女医さ
んが、抑制帯使用の同意書を持って来られ、説明を受ける。
夜、自分が何処にいるか分からない、幻覚を見るなどの兆候が見
られたので、安全の為、抑制帯を必要に応じて付ける事を同意して
欲しいとの事なので了承してサインをする。
5年前の入院時もこの同意書を書いた。
精神科のドクターにも意見を聞くと、認知症ではなく、朝になれば正
常に戻ったので、恐らくせん妄であろうとの事。
夜必要と判断したら薬を飲んでもらうと言われたので、薬の名前を
聞くとリスペリドンと言われた。
統合失調症によく使われる薬である。
抑制帯を付ける事は構わないが、なるべく薬は使わないようにして
欲しいとこちらの希望を伝える。
毎晩飲んでいただくわけではなく、頓服として処方を考えていると
言われる。
人手不足が原因であろうが、現在日本の病院では、高齢者に対し
て、深夜に処方される精神安定剤や睡眠導入剤の薬の乱用が目
立つ。
これでたちまち、せん妄が進み、2週間も入院していると薬漬けに
された高齢者の心身はボロボロになり、入院前とは別人のようにな
って退院させられる。
社会的問題としてクローズアップするべき事象であると私は思うの
だが、問題提起しても改善する予算も気概もないので、誰も指摘を
しないのであろう。
当直医は、若い女医さんだったが、終始怒ったような顔で説明をす
るので、笑いをこらえるのに苦労する。
恐らく、舐められてはいけないという虚勢か、抑制帯の使用を同意
してもらう時に、以前患者家族に何か抗議されたか等、顔を強張ら
せて説明しなければいけない何かトラウマがあったのであろう。
父が付けられている抑制帯の名称は、体動コール「うーご君」。
いつも思うことだが、介護用品や医療用品に付けられるこの手の
名前は、センスが無さ過ぎると思う。
ネーミングで売る商品ではないからかもしれないが、もう少しセンス
を磨いて欲しいものである。
ゆったりとした個室で、夕食を食べさせて、今日のノルマはこれに
ておしまい。
夕食もけっこう良く食べたし、帯状疱疹の治療も順調だし、病室も
快適な個室になったので、明日からまた気持ちを新たに頑張ろうと
己を鼓舞しながら帰宅する。
◆3月28日(月)【入院5日目】
13時前に病院へ到着。
天気は良好。
このところ連日天気が良いので、それだけでも気が晴れる。
病室に入ると、元気なく寝ている。
着替えが置いてあったので、風呂に入ったのか聞くと、午前中に入
れてもらったとの事。
皮膚科の主治医の美人先生が入室される。
帯状疱疹の診察。
左目も真っ赤になっていて、口の中も帯状疱疹の跡があるが、幸
いピークは過ぎたようで、今日の点滴を終えれば、あとは内服薬も
飲まずに自然に良くなるらしい。
それでも、顔の状態が良くなるのは、2〜3週間かかるとの事。
今朝の採血結果も、心配していたクレアチニンの数値も1.5くらい
で、それほど悪化していなかったので、安心したと言われる。
よって、皮膚科としては退院許可を出せるが、あとは血液内科のe
先生の判断次第だが、間の悪いことに外出されたらしく、夕方に戻
られるかどうかも分からないとの事。
採血をより詳しい検査にまわしている為、結果が出るのに時間が
かかり、e先生が外出するまでに、データが出なかったようで、間に
合わなかったらしい。
e先生が今日戻って来られなければ、退院できるか否かは明日の
朝しか分からないと言われてしまう。
「明日退院許可が下りても、退院は明後日になるんじゃないです
か?」と聞くと、「本当なら退院の前日に許可が下りなければいけ
ないが、特別に、明日の午前中に退院許可が出れば午後に退院
できるように取り計らうので、それでよろしいですか?」と言われた
ので、その配慮をありがたくお受けする。
14時点滴開始。
本日で点滴も終わり。
点滴を始めて直ぐに、PTのanさんがお忍びで突然お見舞いに来
てくれた。
anさんの顔を見るなり、途端に父が泣き出す。
anさんが父の担当になって既に4年が経過。
父が多発性骨髄腫の告知を受けた時は、まだanさんは学生であ
った。
時の流れをしみじみ思う。
anさんが心配しているだろうと、メールで経過を知らせようと思った
りもしたが、仕事の邪魔になってはいけないと思い留まり報告をし
ていなかった。
anさんも父の事が気になっていたが、私に連絡してよいものかどう
か迷っていたとの事。
色々考えるより、病院に行った方が早いと考え、思い切って訪ねて
来てくれたようである。
個室に入っていたのでビックリして、入室前に足がすくんだと言わ
れる。
思ったより元気そうで安心しましたと破顔一笑。
帯状疱疹も治りつつあり、皮膚科からは退院許可が下りたので、
血液内科の先生の判断次第で、早ければ明日退院できると言う
と、とても喜んでくれた。
しばらく談笑してから、名残惜しそうに退室される。
anさんと入れ替わるように、ケアマネのbさんが来られる。
ケアマネは、担当患者が入院した際は、病室に訪問するのが仕事
なので、堂々と来られる。
ひとしきり、これまでの経過と、今後の見通しについて話し合う。
足腰の状態は、退院してから、家での動きを見てみないと分からな
いので、現在レンタルしている他に必要なものがあれば、早急に検
討するとbさんに話す。
父が夕食を食べ終わるまで病室に居たが、結局e先生は帰って来
られなかったようで、明日退院できるかどうか分からないまま、病
室を後にする。
兎に角、帯状疱疹だけでも治って良かったと思う事にする。
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●2016年4月3日(日)
◆3月25日(金)【入院2日目】
14時前に駐車場へ到着。
C病院は有料だが、その分G病院に比べて駐車場が満車で停めら
れない事がないのが良い。
昨日は検査漬けで、車椅子に乗りっぱなしだったので、とても疲れ
て元気がなかったが、今日病室に駆けつけると、看護師さんと明る
く話していた。
体調は良いようでホッとする。
左頬の赤みは若干広がっているようだが、痛みは無く悪化もしてい
ないとの事。
点滴を始めてから2〜3日でバタバタと悪化する事があると皮膚科
の主治医の美人先生から言われていたので心配していたが、とり
あえず今日の所は安心する。
朝食と昼食はきちんと食べたとの事。
午後から点滴を始めて直ぐにお風呂に呼ばれ、一旦中断したの
で、点滴が終わるのが遅くなる。
ここでのお風呂は、椅子に座ったままで、かけ流し式清拭のよう
で、G病院のように寝たままとはいかず、お風呂とは言え簡易的な
清拭のようである。
一般的に、皮膚科での入院日数はそれほど長くないであろうから、
お風呂も簡易に済ませるのであろう。
オロナミンCを飲みたいと言うので、自動販売機から買って来て、フ
タ付のプラスチックコップに移して、ストローで飲ませる。
「あー、美味しい!」を連発しながら飲む。
現在飲んでいる薬の確認の為に薬剤師が来られたので、説明す
る。
この病棟は、男性の看護師が多い。
父の担当も男性看護師。
皮膚科の美人先生の助手の研修医が挨拶に来られる。
その方も女医さん。
これまでの父の病気の経過を話していると、ヒョッコリe先生が入室
されてビックリする。
「e先生の悪口を言っていなくて良かったですね。」と私が軽口をた
たき、強張っている研修医を笑わせてあげる。
e先生は微妙な表情。
少なくとも不快には思われていない様子。
e先生曰く、帯状疱疹が治まらないと骨髄腫の治療はできないの
で、5日間点滴して状態が良ければ一旦退院してもらうが、このま
ま悪くなっていくようであれば、後は血液内科で引き継いでそのま
ま入院してもらうと、今言わなくてもよさそうな事を父が寝ている前
で平気で言われる。
よって、「いや、私が絶対につれて帰ります。」と宣言しなくてはい
けない破目になる。
いつもe先生の説明はネガティブ。
これはe先生の癖なのであろうから仕方がない。
16時前に、主治医の美人先生入室。診察をしていただく。
今のところ悪化はしていないようだが、まだ菌の勢いは衰えていな
いので、油断はできないとの事。
又、免疫疾患の病気を抱えている患者さんは、極稀だが、全身に
飛び火して悪化するような場合があるので、そうなった時には、個
室に移って集中治療を行う事になると、非常に物騒な事をおっしゃ
る。
免疫機能が低下しているので仕方がないが、あまり怖い話しをしな
いで欲しいものである。
夕食の時間まで、半日近く病室にいたが、入れ替わり立ち代り、父
の病状を診に先生が入室される。
これまで診に来られた先生は全て女医さん。
皮膚科の先生は女性が多いようである。
恐らく、免疫疾患の患者がヘルペスを患った症例として、診ておく
ように言われたのであろう。
帯状疱疹が顔に出る事は珍しいようなので、それもゾロゾロ先生や
研修医が診に来る理由かもしれない。
◆3月26日(土)【入院3日目】
5年前、多発性骨髄腫の告知をされて、直ぐに受けた治療により、
三途の川を渡りかけた時以来のピンチに、昨夜は私も良く眠れな
かった。
嫌がる父を説得して、もう少し早くC病院に連れて行くべきだった
か?とか、入院を厭わずベルケイドを早く試させておけば良かった
か?など、考えても詮無きことを考えながら夜が明ける。
「たら・れば」を考えればキリが無いし、生産性のある脳みその使
い方では無いが、考えを抑えるのは難しい。
毎週土曜日の小倉でのお役目を果たし、14時過ぎに病院へ到着。
14時45分点滴開始。
バイタルチェック。
血圧134/63、検温37.4度。
微熱有り。
薬がヘルペスと闘っている熱なのであろうか。
左頬の赤みが悪化しているようで、左目まで腫れ上がっている。
昨日着ていた寝巻きが変わっており、上着を着せてもらっていなか
ったので、ナースコールして聞くと、失禁したので着替えさせたとの
事。
尿5回分吸収の夜用リハビリパンツと尿5回分吸収するパットを併
用しているのに、何故漏れるのか不思議。
今日は、お昼を食べ損なったので、売店でシーチキン巻きとお茶を
買って来て、父のベッド横で食べる。
病室では、患者以外は飲食禁止なので、急いで口に詰め込む。
持参している尿採りパットが、大量に無くなっているので、トイレに
は連れて行ってもらっていない様子。
車椅子で連れて行くと言っていたが、父がトイレに行きたいとナー
スコールをしないので、わざわざ声かけまでして連れて行ってくれ
ないのであろう。
今は、帯状疱疹を治す事を優先させた方が良いと思うので、私もト
イレについては煩く言わない事にする。
「米ぬか三升持っとたら養子には行くな」
「シラミツブシが、草の根を分けてでも捜し出せに繋がった。」等、
変な話しばかりして二人で盛り上がる。
15時30分、兄入室。
いつも突然。
無理やり外出の仕事を作って会社を抜け出したとの事。
昨日メールで、帯状疱疹の悪化はしていないようであると知らせて
いたのだが、兄が見た時より悪化しているように見えるので、「どう
なっているのか?お前のメールで安心していたのに・・・。」と言わ
れてしまう。
今日は土曜日なので、まだ主治医と会えていないので私も分から
ないと言っておく。
兄は5分ほどで退室。
相変わらず神出鬼没なり。
16時過ぎ、化膿性皮膚疾患用剤のバラマイシン軟膏を塗る為、車
椅子に移って処置室へ連れて行かれる。
「ベッドで寝たまましましょうか?」と聞かれたが、リハビリも兼ね
て、処置室でのケアをお願いする。
看護師さんと私の二人で、車椅子に乗せると、「トイレに行きた
い。」と言い出したので、そのままトイレへ連れて行く。
尿採りパット交換だけでリハビリパンツまで浸透なし。
点滴をしたままでの移動は大変で、トイレも同じく手間取る。
高齢者は入院したら寝たきりになる場合が多いので、それが一番
困ると私が看護師さんに言うと、今日の午前中に、父を車椅子に
乗せてナースステーション内にしばらく置いていてくれたようで、寝
たきりにならないように、そういうケアもしているとアピールされる。
その辺は、きちんと考えてくれているようで安心する。
17時30分再び車椅子でトイレへ。
夕食は、むせて食べられず、お握り半分とシャケ二口。
看護師さんに今日の朝食と昼食の食べ具合を調べてもらったら、
10割9割だったと言われたので、夕食は残すのを許す。
無理やり食べさせても、むせて肺に入って誤嚥性肺炎にでもなれ
ば、これまた大変な事になる。
今日は、午後短時間のうちに、車椅子に乗ったり降りたりを三回も
したので、疲れたのであろう。
あまりにゲホゲホ言うので、タン吸引してもらったが、まったく取れ
ず、苦しいだけに終わる。
結局、19時近くまでいたが、主治医の美人先生にはお目にかかれ
ず、赤みが広がっているように見える左頬と腫れ上がっている左目
の状態が、果たして悪化なのか否か確認とれず。
痛みは無いようで、目も見えるし、食事をする際、口の中も特に痛
まないようなので、それだけは安心材料であるが、美人先生の見
解を聞くまで心配は続く。
夕食が終わると、他にする事もないので、「できるだけ、ご飯は食
べんといけんよ。」と言い残して、病室を後にする。
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●2016年3月31日(木)
◆3月18日(金)
夜中に二度ベルで起こされる。
つかまり立ちが思うように出来ず、手すりを持っていても足が立た
ないようである。
トイレに行くのに介助が必要になる。
最初は、G病院に22日間入院していた事による足腰の弱りであろ
うと考えていたのだが、昨日のG病院での採血結果を見る限り、多
発性骨髄腫の病態悪化に伴う身体の衰えかもしれない。
今日訪問リハビリに来たanさんに私の懸念を伝える。
直ぐにC病院に連れて行った方が良いかもしれないと思い、「昼か
らC病院に行くね?」と父に聞くと、首を横に振りながらシクシク泣
き出す。
それをanさんが見て貰い泣き。
どうしたら良いのか逡巡する。
とりあえず、今日のC病院行きは父の意思を尊重し思い留まる。
明日から三連休なので、受診予約はそれ以降になる。
患者本人が行きたがらないのだから仕方なし。
バタバタと骨髄腫が悪化しない事を願うしかない。
19日の土曜日は、所用で早朝から夕方まで福岡市に行かなくては
ならず、それを父に話すと、「そんなに長い時間家におらんと?」と
不安げな様子。
取り止めようかと思ってもみたが、父のせいで貴重な機会を失った
と後で私が父を恨むのも不本意なので、思い切って行くことにす
る。
いつもより1時間早く朝食をとらせ、お昼はベッドサイドテーブルに
準備して置いておく。
帰宅は19時近くになるので夕食は通常より遅くなるが、帰って一緒
に食べれば良い。
「キャンセルしようか?」と何度か父に打診したが、「行ってもいい
よ。」と言ってくれたのでお言葉に甘える。
トイレに行く途中で、ヘタリこんだとしても、大分陽気も暖かくなって
きたので、風邪はひかないであろう。
「もし万が一、床に倒れても無理して立とうとせんで、そのまま寝と
き。」と人様が聞いたら、老人虐待と思われる事を父に言うと、
「うん。そうする。」と神妙に応える。
二人だけの長い介護生活においては、こういう問答は日常茶飯事
である。
素晴らしく知的欲求の満たされた一日を過ごし帰宅すると、父がベ
ッドの横に座り込んでいた。
「いつからそうしとると?」と聞くと、「1時間前くらいから・・・」と言う
ので、「よう頑張ったね。」と褒めながらベッドに抱え上げる。
動くと息もゼイゼイするので、多発性骨髄腫の病態進行による貧血
症状であろう。
だんだんお酒も受け付けなくなって、三分の一残し、翌日は半分残
し、遂にお酒を口にしなくなった時点で、父もC病院行きをようやく
観念したようである。
3月23日が満月なので、父の今の病態が、もし緊急に治療を施さ
なければいけない状態であれば、24日の予約が望ましい。
その思惑通り、e先生の予約を取る。
◆3月24日(木)
1月14日以来のC病院行き。
2ヶ月以上治療を中断しており、採血結果を見るのが恐ろしい。
診察券を機械に入れると、ちゃんとe先生が予約を入れて下さって
おり、血液内科が表示される。
画面をタッチして、戻って来た診察券と出て来たレシートを持って、
父が乗った車椅子を押して採血室へ向かう。
受付で、検尿コップが渡される。尿検査がある事を知らず、家で採
取してきていなかったので、仕方なく車椅子用トイレに父と一緒に
入って採取を試みる。
出掛けにトイレは済ませて来たので出るハズも無く、父が便器に座
って、「出らん。」と言う。
ごもっともである。
受付で、「オムツをしているので、オシッコがとれませんでした。」と
検尿コップを戻す。
それなら仕方がないとシブシブ了承され、次に採血室へと誘われ
る。
採血は4本。
2ヶ月以上ご無沙汰なので、M蛋白検査等様々な検査項目にチェ
ックが入っているのであろう。
採血を終えて、別館地下1階の化学療法センターへe先生の診察を
受けるために向かう。
採血の検査結果が出るまで1時間くらいかかるので、看護師さんに
頼んでベッドに横にならせてもらう。
父をベッドに寝かせて、私が待合室のソファーで本を読んでいる
と、e先生が来られたのでご挨拶する。
「Mさんは?」と聞かれたので、「ベッドに寝かせてもらっていま
す。」と言うとe先生が父の寝ているベッドまで行かれる。
「お久しぶりですね。体調はいかがですか?」とe先生が父の顔を
覗き込まれる。
その時e先生が少し慌てた様子で、「え!このブツブツはいつか
ら?痛くない?」と父の左頬の出来物を見て言われる。
「何も痛くないです。」と父が答えるが、「もしかしたら帯状疱疹かも
しれないから、直ぐに皮膚科を受診して下さい。」と言われ、「え?
今からですか?」と私が驚いて言うと、「そうです。僕が今から皮膚
科の先生に診ていただける様に連絡しておきますから、これから
直ぐに皮膚科に行って診てもらって下さい。」と急かされる。
皮膚科は初めての受診なので、1階の受付で新患予約をしなけれ
ばいけないとの事で、一旦私だけ受付に向かい、その手続きを済
ませて、再び父の寝ているベッドまで戻って、寝ていた父を起こし
車椅子に乗せ、別館2階の皮膚科に向かう。
皮膚科外来は、午前中に終わっているようで、待合室はガランとし
て誰一人いない。
その場所にe先生も待っていてくれて、一緒に診察室に入る。
皮膚科の先生は女医さんで、まだ若くてとても美しい。
ピンセットで左頬の皮脂を採取し、バックヤードに戻って1分も経た
ないうちに、「やっぱりヘルペスです。」と慌てた様子で言われる。
言われた患者本人と私は事の重大さを認識しておらず、ただ二人
してポカーンとしている。
e先生は、やれやれという顔をされている。
帯状疱疹って、身体だけに出来るものではなかったのか。
顔にも出来るとは知らなかった。
病体が左頬に限局しているか否かを調べる為、これから更に、耳
鼻咽喉科と眼科に診察へ行くように指示される。
幸い大学病院は、あらゆる病気の診療体制が完備されているの
で、その点素早い対応が出来る。
耳鼻咽喉科は、先日擬声が出た時に受診したが、眼科は初めてな
ので、また1階の受付まで行き手続きを済ませる。
まずは、眼科を受診。
視力検査を終えた後、診察室へ入る。
眼科のドクターは男性。
何故か不機嫌。
機械越しに父の左目を診るなり、「手術痕があるやないですか?」
と突飛な事を言うので、「白内障の手術を受けました。」と言うと、
「何処で?」と聞かれたので、「L病院でです。」と答える。
「ちゃんと検査にいかないと・・・」と言われたので、「もう検査は必
要ないと言われたのですが・・・」と返すと、「手術したら、1年に1回
は定期検査しないと。」とブッキラボウに言う。
「じゃあ、今度いつ行ったら良いですか?」と聞くと、「今日診たか
ら、次は来年でいいから。」と言われたので、「来年まで生きとるか
どうか・・・。」と、私がとっさに口走ってしまったものだから、更にム
ッとされてしまう。
私は本心がポロッと出てしまったのだが、眼科のドクターにしてみ
れば、ふざけていると思われたのであろう。
しかし、最初から不機嫌で、ヘルペスに罹患していないか否かを診
てもらう為に受診しているのに、的外れな質問ばかりするから、こ
ちらもイラだってしまう。
最後にやっと、「ヘルペスは、目の方は大丈夫。」と言われ、ようや
く解放される。
眼科の看護師さんに、耳鼻咽喉科の場所を聞くと案内しますと言
われ一緒に付いて来てくれる。
車椅子を押しながら父に、「眼科の先生から怒られたね。」と私が
言うと、案内してくれている看護師さんが、「ああいう言い方しか出
来ない先生なんですよ。すいません。」と何故か看護師さんが代わ
って謝ってくれる。
こちらにしてみれば、来年の眼科受診など考えられる状態ではない
のだが、眼科の先生からすれば、患者の眼しか、それこそ眼中に
ないのであろうから、話しがすれ違うのも当然といえば当然。
更に、外来患者の多い所に、イレギュラーで一人追加された事も眼
科の先生がイラつく原因だったのであろう。
度量のない医者である。
耳鼻咽喉科の先生は女性で優しく直ぐに診察して下さる。
幸いな事に、鼻や耳や口までヘルペスは浸潤していないとの事。
その結果を持って、皮膚科へ戻る。
外来診察時間が終わり閑散とした皮膚科の待合室で待っている
と、美人の女医さんが直ぐに駆けつけて下さり、e先生まで加わり
再び診察。
顔に帯状疱疹が出来た場合、眼や耳や鼻や口に広がる事も懸念
されるとの事だが、一番やっかいなのが脳にヘルペスが浸潤した
時らしい。
命に関わるとの事。
「今日から、直ぐに入院してもらって、点滴治療を5日間行いますの
でいいですか?」と聞かれる。
皮膚科の女医さんは、優しく美しい顔で、残酷な宣告を父に行う。
良いも悪いも、何が何かさっぱり理解できない状況で、とりあえず
皮膚科の病棟に入院する事になる。
思いもよらぬ展開に父と二人してアングリする。
e先生からも、ヘルペスが完治しないと骨髄腫の治療どころではな
いと言われてしまう。
父を車椅子に乗せて待たせて、1階で入院手続きを行う。
採血結果待ちでゆったりベッドに寝ていた父は、たたき起こされ、
皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科の診察を受け、入院が決まると、胸部
レントゲン検査と心電図検査も追加され、それを全て履行した為、
ヘトヘトになっている。
大学病院というところは、元気な患者しか受診できないとつくづく思
う。
そうこうしているうちに、採血結果も出たようで、結果は思ったとお
り最悪。
総蛋白=9.6、アルブミン=2.9、補正カルシウム=9.5、
クレアチニン=1.41、カリウム=3.2、CRP=4.94、WBC=5.6、
HGB=9.4、PLT=131、IgG=5132、IgA=47、IgM=20、
乳酸脱水素酵素=1376、尿酸=12.6であった。
e先生は相変わらず、ネガティブな話のオンパレード。
連れて帰る事は難しいかもしれない等と言われる。
e先生は悪い先生ではないのだが、こういう事態になると、ネガティ
ブ情報のみ伝えられるので、患者側はメンタルを保つのが大変で
ある。
いずれにしても、帯状疱疹を治さないと、骨髄腫の治療は出来ない
との事なので、取り敢えずはヘルペスの治療に専念する為、皮膚
科病棟に入院する事になる。
病棟は最上階で見晴らしは良いが、案内された一般病棟は、二人
部屋の廊下側なので素晴らしい景色の恩恵は無い。
G病院では個室に入院していたので、窮屈さに辟易するが、5日間
の予定なので我慢するしかない。
美人の皮膚科の女医さんが、e先生を伴って、病室まで説明に来ら
れる。
今から直ぐに抗生物質の点滴を行い、それを今日を含めて5日間
行い様子を見る。
今のところ幸い帯状疱疹は左頬に限局しているが、免疫疾患があ
るので、急激に悪化していく事もあり得る。
点滴し始めてから2〜3日間が勝負で、急激に悪化する場合は、そ
の間に病態が拡がっていくらしい。
そうなった場合は、更に入院が長引き、その時は血液内科に病室
を移動になるかもしれない。
ここでe先生が、「そうなれば、もう家に帰れない可能性もありま
す。」なんて物騒な事をおっしゃる。
ましてや、父が寝ているベッドの横で。
父は今、どんな気持ちで聞いているのであろうか?
患者のメンタルについての配慮が欲しいと思うのは私の我侭なの
であろうか?
少しカチンと来たので、「絶対に連れて帰ります。」とe先生と女医さ
んにタンカをきってしまう。
入院の為の荷物を家に取りに帰り、バタバタと荷物を整える。
今日出かける際に、父を部屋から車まで移動させるのを手伝ってく
れたSおいちゃんにも今日から入院になった事を電話で知らせる。
Sおいちゃんは、骨髄腫の治療の為の入院と思ったようで、ヘルペ
スに罹っていたのでそれの治療の為の入院だと説明すると驚かれ
る。
2月5日に、G病院から退院したばかりなので、入院用の荷物はま
とめてあるが、細々としたモノは病院ごとに違い、例えばC病院で
はスリッパは不可で、転倒防止の為に、かかとが納まる履物では
ないといけないようで、G病院で使っていたスリッパは持ち込めな
い。
丁度以前リハビリ用に使っていた上履きがあったので、それを持っ
て行く。
オムツは持参するようにとの事で、荷物はかさばるが、経済的には
G病院に比べるとオムツ代は安くつきそうである。
面会時間は20時までなので、それまでに荷物を持ち込み病室のロ
ッカーに納めなければならない。
朝干していた洗濯物を取り込み、太郎と花子にえさをあげ、急ピッ
チでC病院へ戻る。
19時過ぎに、C病院へ到着。
夕食は既に食べ終えており、食べられたか聞くと、鮭が出て美味し
かったと言ったので、思ったより気落ちしていないようで、ひとまず
安堵する。
ロッカーに荷物を入れていると、看護師さんが点滴の準備を始め
て、早速点滴開始。
またしても父の大嫌いな点滴とのお付き合いが5日間続く。
可哀想であるが、仕方がない。
今のところ、痛みは全く無いようで、美人先生曰く、普通ここまで赤
みが出てくると痛む人が多いと言われていたので、その点は不幸
中の幸い。
これから悪化しないように、ただただ祈るしかない。
考えても心配してもどうしようもないので、疲労困憊の自身の身体
を休める為、後ろ髪を引かれる思いで病室を後にする。
「お父さん、頑張ってね。」
(私の知的欲求を満足させてくれた方のサイン本。
握手までしていただいた。
私は、こういう学者さんを心底尊敬する。
朴教授は、「アメリカの鏡・日本」の著者であるヘレン・ミアーズ氏
に匹敵する魂の持ち主である。
こんな崇高な魂を抱いている教授を評価できない韓国は、可哀想
である。)
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