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精神の躁鬱と個々の信頼と愛情
個々の人間の平常の精神の状態が平静な人と躁な人 鬱な人 2時座標の基本点(0点座標)が異なります。これは主観客観で決めるものではなく、精神の状態のバランス周期の平均値を0と考えます。
悩んだり落ち込んだりして自我と存在を失うネガティブ期(鬱)
楽しかったりやる気に満ちて興奮躍動するポジティブ期(躁)
バランスよく人それぞれに合ったコントロールを自然にしています。
自己の内面を嫌悪したり否定的になり、
陰に篭るメランコリー症状が長く続けば
軽度の精神病の発病と安易には、判断されますが、
その周期が細かく0点を基準に変動する場合はその振幅期間が極端に長くない場合は
自己防衛的な単純な躁鬱の状態で随時回復可能な極自然な精神状態です。
外的ストレスや内向的ストレスによって平常心の0点に大きな変動や
長期に渡るメランコリー状態が続くと精神や体調にまで変動をきたしてしまうのです。
つまり万人が精神病の要因を日常に保持しながら生きているのです。
病か病で無いかの判断は客観や主観では判断が付き難い為、
自己も他人も重度の精神病になるまでその症状に気が付かないのです。
個々それぞれに精神病の発病を防ぐ為にリラックス(精神の開放)
の方法を取得しているのです。主に睡眠や趣味遊興スポーツ、人それぞれが違った
方法で精神バランスを保つ工夫をしています。
緊張や開放、集中や無心、躁や鬱、陰と陽を体得して行き
みずから自然に自律、制御しているのです。
ではなぜ発病するのでしょうか
その多くは環境の変化による適応不能な長期のストレス
加わる原因では、幼児期からの環境適応障害(溺愛、虐待)等によって起されることが多いのです。
または多大な精神に対する衝撃(事故、解雇、離婚、死別等)で発生する事もあります。
治療はどうするのでしょう。
向精神薬の投薬治療か精神治療(カウンセリング)
誘導的な精神周期の調整と原因からの開放の手助けです。
これは非情にデリケートで困難なもので危険を伴う行為なのです。
原因(トラウマ)の特定と自己認知と容認が必用ですが信頼関係が惰弱で焦り過ぎると
逆にその恐怖や衝撃の再現で拒絶や自己逃避を受け治療を困難にしてしまうからです。
ゆっくりと原因にたどり着くまで慎重に誘導していき思考や経験を受け入れ
それらと全てを肯定しながら新しい認識や認知、許容に誘導していくわけです。
つまり遡って見付けた原因や被害過去を再び認めて全て受け入てれ貰い、
新たな精神の安楽と安定の道を探しながら失ったり否定した心を埋めて行くのです。
カウンセラーや精神科医に求められるのは
誠意と信頼を基にした共感と共有意識での原因からの開放です。
これが治療途中で拒絶や否定を受けた場合患者には更なるストレスを引き起こし
病気の進行と悪化をさせてしまうのです。
キリスト教の教えに近い部分が多く見られますが、
常識や一般論、平均で、患者の気持ちを推量することはしてはならないので、
精神科医やカウンセラーに求められる能力条件が大きいのです。
多くの場合、薬物に補助による自然治癒のきっかけを与える事だけをして
時間を掛けたまともな精神医療をする事が困難なのが現状です。
精神の治療の他にも家族や友人の無償の愛と信頼、苦悩の共有と励ましが最も有効で大切です。
精神病の遺伝以外の原因は幼児期か思春期までの間にあるので
いかに家庭教育と愛情と信頼、ふれあいが大切であるかを考える必要があります。
しかしその愛情と信頼とは
社会経験や博学に乏しい頭でっかちで未成熟な
裁判所判事が当たり前に判例学術で示す
母親だけからのものではなく
真剣に捧げられるホスピタリズムは、不変と継続であり、
男女や第三者による差異や限定はないのです。
つまり父親や祖父母、施設の指導員や養母養父によるものでも構わないのです。
現在の学説はこれが主流です。
(日本の裁判所は終戦当時の学説を採用しています。)
なぜ今、多くの者が病を持つのでしょうか?
過保護による精神発育の抑制と未発達による社会への適応障害。
虐待や放任、遺棄に、よる。感受性と自律、認知の障害。
曖昧な政治が作る社会と
我がままで未成熟な親が
婚外や離婚を通じて気の毒な子を作りだしているのです。
勝手に子は育つのではなく親と社会が子を育てるのです。
物や金に頼る子育てではなく、手作りの肌で触れ合う子育てこそ必要なのです。
また地域や社会に馴染めるように礼節と共に精神や肉体を鍛えて行くのです。
(片親を否定しているのではなく本能生態に基ずく自然な理想です。)
親の責任と愛情は体罰の辞さない程に命がけの本気で取り組む問題なのです。
世の男女は無責任で甘えだらけの生活を止めて独立し婚姻や子育てに対しての
希望や責任を深く考えを改めなければ
社会崩壊と少子化は更に悪化して行くのです。
生存競争は動物の本能原理で勝ち抜く体力精神力と学力を
競い厳正な愛情を通じて養うのことが
本来の家庭教育と学校教育には必用なのです。
生存と種の保存 知性と愛情 人間だけに与えられた課題です。
親となる人間は、自らを律して欲望を抑えて
無責任な娯楽やセックスに溺れてはならないのです。
子は家族と社会の宝物として愛情豊か、且つ厳正に育つべきなのです。
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