日本の危機 憲法解釈 平和と人権の乱用

曲がって行く良き日本の精神文化と伝統を救う為に

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私の育った頃の主観的日本の姿を書いてみます。

父親は無口で頑固だった。四六時中家には居なかった。
お願い事や希望は全て父の判断で決定すると母親は言っていたが
母親の意見が強かったのは後で大人になり知ったが母が父親を立てていたのだ。

無口な理由は外で父は人徳者であり。地域の人々に笑顔で様々な相談や福祉を行っていたので
家では喋らず黙っていつでも茶を飲んでいる印象が強かった。
滅多に怒らないが 悪い事をすると(嘘や隠し事、我侭、兄弟喧嘩)理由も聞かず
拳骨が飛んできた。
母親は病弱だったので父が朝早くから毎日朝食と夕食を作ってくれた
小学校に上がってから私も手伝いをしていた。
玄関掃除、味噌汁作り お風呂掃除と夕食の買い物が日課だった。

病弱な母親も昼間は働いていた。その代わり母親の祖母がよく長期に滞在して家事をしてくれていた。
母親の祖母は父親に敬意を払い父の前では挨拶以外話をしなかったが
私にとって明治初め生まれの祖母は父親以上に怖い存在だった。

両親の実家はそれぞれ名家だったが一切贅沢はしない家柄であった。
小遣い銭は余り貰えず おやつ等も与えられると食べるだけだった。

夕食は父が箸をつけるまで食べられなかった。
しかしどんな事情があろうと家族全員で夕食を共にしていました。

実家では食事や風呂 日常に 祖父母 父親 母親 子供達の不文律が
あり 年寄りは特段に尊敬されていた。

他の家庭も殆どが同じような家族関係で運営されていたように感じる。
学校と言えば神聖な場所で教師に対して父母とも著しく敬意を払っていた。

早く父を追い越したい。早く独立して自力で成功したい。
子供ながらに思いました。
勉強をしてスポーツをして社会で誰にも負けない人間になりたかった。

暖かいご飯を食べられる事に知らずと両親と先祖に感謝を持って生きてきました。
家族の役割や関係に上下や支配関係が有ったのではなく自然の尊敬と敬愛を
それぞれが感じ、役割を理解して、尊重と愛情でお互いが支え有っていたのではと思います。
レジャーと言えば家族での墓参りとか年始参りが楽しいお出かけでしたが
従兄弟や叔父叔母に会える事は、格段の楽しみでした。

家族は不文律であっても愛情と尊敬で譲り合って助け合うものだと思います。

女が偉い 男が偉い 非常に寂しい世の中になりました。
どうして現代の子供が不安定になったかは一目瞭然

押し付けの自由や平等がいらない男女共同参画の法律まで作って家族関係を破壊しているからです。
日本の風土や文化にあったお互いの助け合い譲り合いが保たれればと思います。

みなさん思い起して下さい。家族とは何か?幸福とは何なのかを?
不満を言う事より満足を知る事が子の為の手本であるのでは?

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