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方と型
数日前に沖縄合気会山口巌師範と合気道養神館の先生からから美しい筆字の手紙をもらった。
この二人とも同年輩の人だけど、武道家というより求道者といった方が正確かもしれない。
養神館の合気道は形から教えてくれます。
沖縄合気会の師範は合気道に形なしといいます。
習い事は長い歴史の中で、これがその道を究める最短距離と思われる形を、先ず真似て繰り返し繰り返し練習することから始まりますよね。
そしてこんな美しい文字が書けるようになるのと違うだろうか。
「明日は明日の風が吹く」とボケ〜と過ごしてきた身には、恥ずかしい限りだ。
方と型(山口巌師範自分力より) 世の中どこを向いてもギスギスしている。色んな人たちを眺めていても何か潤いがない。
自然はどっちもこっちも掘り返され、ゴミの山はいたるところに散らかっている。
時代はめまぐるしく変わり、時代にかわり切れる人は勝ち組となり、取り残された人は負け組となる。待ち組と言って評価されることを嫌う人は時をむなしく過ごし、明日の自分に後悔する。政治社会経済そして、思想信条、「何でこうなるの」は至る所にいきわたり、嘆きのトーンは高まるばかりだ。「人は世につれ歌につれ」と流れ流され時代を肯定的に生きようとしても、人の不幸はともかく、自分までも不幸になることは我慢できない。
人には方がある。それはどの方、どんな型といわれるように、自分という「かた」で自分の個性を現す。向き、不向きもあり、合う型、合わない型、そしてあるべき方と型があり、その「かた」を間違えると「変なかた」になり、かたづけられてしまう。
見せたい「かた」必ずしも見たい「かた」とは一致せず、そのズレは相対的に永遠だ。
人は人のことを気になり、自分のことに気が付かない。
自分のことに気を付けすぎると人のことが気に付かず、人から気を懸けられない。
人とはわかっているようでわからない。これを知ることを人を知るとも言っている。
つまり自分という「かた」は方向性の「方」と形の「型」により固まっているのである。
それがひとの[方]であれば少なくても自分の「型」から何でそうなるのと自分に問いかけない限り、自分の方を明日の変わった方にすることはできない。
自分の方が整理できた範囲で、他の人の方も理解できるのだろう。なぜならば同じ人間だからだ。
ゆえに「かた」によって人間の運命も決まる。努力型、投げやり型、その型の方向性に置いて行き着くところは決まるのだ。
だから自分で自分のことを「どんな方、型」と客観的に見なければいけない・・・
「カタ」は有形無形、色んなものがあるだろう。
物の形の型から使い方、心の在り方置き方、使い方。命の向け方使い方。森羅万象あらゆる存在としての有形無形が働いており、その理解の仕方、そして人の使い方。
「型」にこだわれば「型」に気づき「カタ」を求め、また無意味な「型」を消却させ、自分の在り方に到達する。
故に性の在り方、老若の在り方、全てに型があれば、必要にして必要の型があり必要なくして型は消滅する。
究極は自分の型失くして死亡する。生きながらにして死ぬ境地、「大死一番」(死ぬ気でやること)という教えもあるが、この型になりきれば、生きながらにして極楽は間違いない。
道歌
方と型向き方変えて型かわり型を正せば方が定まる
方よりは型にこだわる片心拘るこころ型硬くする
方々と型型いうに型はまり肩も抜けずに型ができるか
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」図書室直行です。







