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き 生糸の町 歴史も古し 百余年
古河の町がかつては「糸の町だった」と云って
どれほどの人に信じてもらえるのでしょうか?
高橋菊次郎という人によって座繰製糸が古河の地で
創められたのが明治3(1870)年、それから第二次
世界大戦の末期までの約100年間古河は糸の町と云われた
のです。
座繰製糸(ざぐりせいし)とは1人が1台の繭釜(?)の前に
座り繭を煮ながら糸を紡いでいくというものです。
私ごとですが、母がこれをやっているのを見たことがあります。
柔らかくして繭の糸を捜しやすくするためか煮ているお湯が
大変熱いのと、生きている物を煮るせいか吐き気を催す臭いが
きつかったことを憶えています。
座繰りから機械へ、日清、日露の戦役など曲折を経た古河の製糸業は
大正の初め頃は小島館、須藤、高橋、栗原、飯島等10の機械製糸工場が
ありました。また製糸業の発達は古河の人口を増加させ大正11(1922)年
当時、古河町の全人口の一割が製糸業関連の労働者だったといわれています。
隆盛を誇った古河の製糸業も大正の終わり頃から下降線をたどりはじめ
関東大震災、昭和の大恐慌により大打撃をうけ次々に閉鎖をしてゆきました。
当時の名残ではないでしょうが遊水地の中の桑の木から実をとりジャムを
作ることがあります。
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