赤いちゃんちゃんこ

退職して約1年、趣味のことあれこれと

許我かるた

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  地理と歴史 調べて重固 古河志書く

 小出重固(こいでしげかた)国学者にして、和歌にも通じている
文化人の面だけでなく、かなりの実務家であったようで、土井家十代利厚、
幕府老中のころ用人として古河藩の為に働くだけでなく、諸侯の為にも
その実務力を発揮して重用されたようです。
 しかし公事の処置を誤り、古河に移されました。隠居してから後は
国史の勉強と歌詠みの日々を送っていたようです。家中随一といわれた
蔵書を誇るだけでなく、本を大事にすることでも知られ、借りても約束の
日までに返さない者や、本にキズをつけた者には二度と本を貸さなかった
ようです。
 十一代利位のとき命を受けて、領内の地誌及び社寺や古い家の由緒などを
調べた「古河志」を著しました。

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  生糸の町 歴史も古し 百余年

 古河の町がかつては「糸の町だった」と云って
どれほどの人に信じてもらえるのでしょうか?

 高橋菊次郎という人によって座繰製糸が古河の地で
創められたのが明治3(1870)年、それから第二次
世界大戦の末期までの約100年間古河は糸の町と云われた
のです。
座繰製糸(ざぐりせいし)とは1人が1台の繭釜(?)の前に
座り繭を煮ながら糸を紡いでいくというものです。
私ごとですが、母がこれをやっているのを見たことがあります。
柔らかくして繭の糸を捜しやすくするためか煮ているお湯が
大変熱いのと、生きている物を煮るせいか吐き気を催す臭いが
きつかったことを憶えています。

 座繰りから機械へ、日清、日露の戦役など曲折を経た古河の製糸業は
大正の初め頃は小島館、須藤、高橋、栗原、飯島等10の機械製糸工場が
ありました。また製糸業の発達は古河の人口を増加させ大正11(1922)年
当時、古河町の全人口の一割が製糸業関連の労働者だったといわれています。
 
 隆盛を誇った古河の製糸業も大正の終わり頃から下降線をたどりはじめ
関東大震災、昭和の大恐慌により大打撃をうけ次々に閉鎖をしてゆきました。

 当時の名残ではないでしょうが遊水地の中の桑の木から実をとりジャムを
作ることがあります。

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  平右衛門 苦しむ里人 よく助け

 小森谷平右衛門 元文3(1738)年に生まれて
13歳の時に父の職であった中田(宿)新田村の名主になり
安永年間の水害のため村が疲弊し助郷の役に耐えられない状況となり
平右衛門は古河の庁に訴え、江戸にもその窮状が認められ助郷免除を
許され村民から大いに感謝されただけでなく、天明3年の浅間山の
大爆発、同じ6年の洪水、寛政2年の冷害時にも私財をなげうって
村民の窮状を救ったようです。

 そのため森平大権現という神号を贈られ祠を建てられたが、平右衛門は
これを公のところに置くのは恥ずかしと自分の敷地内に置いたとのことです。

 神号まで贈られて村人から慕われた平右衛門ですが文政3(1820)年
3月に83歳で亡くなりました。死して後「宝林院釈正意寿翁居士」と
追号されたようです。

 以上の記事は「古河市史 別巻」に依ったのですが文章が漢文でして
レ点等は打ってあるものなのですが、私の力では読みきれなかったため
誤読があったかもしれません。予めお断りしておきます。

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  堀秀成 天皇さまに ご進講

 文政2(1819)年、古河藩江戸藩邸に生まれて天保10
(1839)年、古河に戻った秀成。
いわゆる天才肌の人で凡人の物差しでは計れなかった人物のようです。
「古河市史別巻」よれば「幼より学を好み、読書を以って楽となし、
俗事に染まず、人以て異童」と呼ばれ、国学を学び、身体の鍛錬には
「水防消火の真似」をして、町の人からは変人扱いをされていたようです。
しかしその知識は広く深く、話をさせれば聞く者をして感動させ「門内
常に青輩の絶ゆる」ことはなかったようです。
 
 維新のとき神官になって武蔵氷川神社、東京神田神社などの宮司になり
勢力の拡大に大いに寄与したようです。
 北海道にキリスト教が入り信者が増加し、門徒が激減してゆくさまを
憂いたお坊さん達が機会を捉えて説法をしても信者が増えず、神官も
頑張るのですが効果がなくて困っていたとき「秀成乃ち出、或る市街に
教導会を設け、大いに神道を説く。その談通俗にして、意味深長、時あって
奇となり復正に帰す。=略= 衆大いに悦び =略= 耶蘇の場を去り」
沢山の人が氏子や門徒に戻ったそうです。

 写真後方が新三国橋、橋下辺りが古河城の南辺「立崎郭」や
「頼政郭」があった場所でしょうか。


 

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  理想郷 めざすわれらの 市民憲章

 昭和55(1980)年、旧古河市は市制50周年を迎えました。
市民憲章はその時に制定されたのですが、この憲章がなかなかで、
当時を知っている人に伺うと殆んどの方が存在そのものを知らない
(お忘れになったのかもしれません)、存在は知っていても中身は
知らないという、特別中身のない(憲章などとあらたまるとこのような
ものになってしまうものなのでしょうね)憲章だったようです。

 1、自然を愛し、自然を残し、緑ゆたかな美しいまちをつくります。
 2、心身を鍛え、教養を深め、文化のかおり高いまちをつくります。
 3、人権を尊重し、心の通いあう、あたたかいまちをつくります。
 4、交通事故や災害のない、安心して住めるまちをつくります。
 5、仕事にはげみ、生き生きとした明日の古河市をつくります。

 どうでしょうか?

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