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 社会の木鐸という言葉はかつては偽神話として新聞に使われたが、そもそも木鐸とは個人に対して用いるもので組織体で経済体である新聞社に使われる筈のない言葉であった。世間の新聞というものに対する曖昧なそして性善説的見方が、社会の木鐸という最高の褒め言葉を新聞に与える事になったと言える。

しかし、最早小沢事件によってそれが完全に誤りであった事が分かった。新聞とその配下のテレビは世俗権力と完全に癒着し、性悪説で見なければならないものである事が分かった。社会の木鐸と正に真逆の社会の敵・害悪であった。しかし、連中は国民にそう思われたら生きていけないから、巧妙な手口で国民を騙し木鐸神話への疑念が起きないようにした。先進的国民の集まりであるネット界では完全に木鐸神話は崩壊したが、一般国民は未だに性善説を成り立たせている。かつてのような神話ではなくても、オリンピックやワールドカップでマスコミにどっぷり浸かる国民は、マスコミを性悪説では見ない。オリンピックやワールドカップはマスコミを利用し、マスコミも助けられている。WinWin関係にある訳である。世界中の国民がマスコミの正体に中々気づけない。世界中の人々にとってマスコミ問題は難しい。

情報は人間にとって欠くべからざるものだ。この部分をマスコミが圧倒的に支配している故に、世界中の人々はマスコミの支配下に入らざるを得ない。食糧を供給する者を性悪説では見れないように、情報を供給する者も性悪説では見れない人間である。人間の弱さと言える。ここに民主主義成立の困難さがある。一般の市民とマスコミは敵対関係にならない。マスコミの正体に気づく事は本当に難しい。

だからこそ、ネット言論の登場だと思う。ネット言論がマスコミの正体を暴く事がそのまま社会の木鐸機能の蘇生に繋がる。ネット言論はネット国民の言論であり、個人の言論活動の集積である。ネット言論こそ社会の木鐸という事である。ネットにもいろいろある。ネット言論に値する者は自然に分かる。言論の名に値する文章を書ける人間は限られる。不思議な事にマスコミの正体を暴く言論活動を続けた者はいなかった。「マスゴミ」は乱舞すれど、それだけは言論の形にはならない。マスゴミの乱舞が本格的言論の出現を阻んだとも言える。

マスコミの正体を明らかにする言論が必要だった。民主主義の破壊者マスコミの正体が暴かれなければ、民主主義は国民の手に渡らない。ブラックマスコミという言葉はマスコミの正体を表した言葉である。この言葉に拘る事で言論展開が継続される。小沢事件も衆参不正選挙も都知事選も、ブラックマスコミが犯人、即ち民主主義の破壊者であった。

マスコミは必ずブラック化する。その事を暴くのがネット言論である。ネット言論こそが社会の木鐸になる。偽木鐸神話が暴かれた時、国民は民主主義と国民主権を手にする。

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