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  小沢事件に於いて一体何度全国紙も地方紙も小沢非難の社説を書きまくったであろうか。新聞社と言う報道機関だか言論機関だかよく分からない民間組織の正体は、小沢事件で完全に露わになった。報道機関なら報道をすればいい。報道とは出来事を伝える事だ。出来事に関して自分が判断して、自説を自ら報じるとは、ちょっと節操がない。出来事を判断するのは報道を受けた国民である。国民の判断の前に報道側が判断して国民に伝えるとはどういう事だ。それこそ誘導ではないか。その誘導に元々悪意があれば、洗脳という事になる。報道機関だの言論機関だのの話ではない。これは完全に民主主義に対する極悪犯罪である。社説というものには、そういう面が厳然とあるのである。小沢事件がその事を証明した。小沢事件に於ける報道犯罪に対して、社説全面禁止という厳罰は必定である。今も当たり前の顔して毎日社説を書いて自ら報じている。全く許されない事である。

  究極の言論は神の言葉である。言論には巨大な力が潜在する。最高裁の如何わしい判決などより重いのである。新聞社の社説などは言論のレベルではない。単なる主張である。産経などは正直に「主張」とかやっている。報道機関が自ら主張したら報道機関ではなくなる。単なる自己主張新聞だ。自己主張したいがゆえに報道機関の真似事をしているという事になる。産経、読売などは典型的偽報道機関である。他も本質的に変わらない。産経読売は露骨なだけだ。

  新聞社は報道機関の筈だが報道機関ではない。偽言論機関となって偽報道機関となった。結局、新聞社の正体は権力の為の世論誘導機関、世論工作機関である。もっと言えば、新聞社は自らを権力と思っているに違いない。小沢事件がその事を語っている。民主主義の為に国民の為の報道機関であるべき新聞社が、権力の為の世論誘導工作機関となり果てたのであるから、民主主義が木端微塵になったのも当たり前である。小沢事件とは新聞社、マスコミによる民主主義破壊事件であった。

  言論という言葉にはピンからキリまで含まれる訳であるが、ネット言論の登場によって新聞社の言論などは偽物である事が分かった。およそ言論というからには、民主主義に貢献するものでなければならない。小沢事件の首謀者である新聞マスコミは民主主義破壊者であり、そこにある言論紛いのものは偽言論である。小沢事件はこういう結論を出すのである。小沢事件からこういう結論を出さなくてはならなかったのである。

  新聞マスコミは言論によって叩き潰される事になる。偽言論を言論が駆逐するのである。

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