全体表示

[ リスト ]

石破が笹井博士自殺の3日後の自身のブログで、そこまで追い詰めたマスコミの責任は何ら問われず、と語っていた。偽政権とは言えNo2の人間から、笹井博士自殺とマスコミの強い関係性が語られた事は非常に大きい。とは言え、マスコミの無責任性、そのマスコミのお陰で権力の座にある政党の無責任性は何ら変わらないが。何れにせよ無責任政党の幹事長までもがマスコミを笹井博士自殺の原因と表明した事は特筆しなければならない。マスコミが笹井博士自殺事件の自らの責任に無言を貫いても、最早世間は責任ありで固まっているという事になる。

笹井博士自殺の主犯はマスコミである。マスコミによる他殺事件が笹井博士自殺事件の本質である。自殺自殺とマスコミが言う時、自らの他殺は消えている。それでもこうやって政権幹事長が事実上のマスコミによる他殺と明確に表明したのである。石破がブログの中だけでなく公の場でこの点を発言したら凄い事になるが、それは絶対にあるまい。ブログという個人空間だったからあり得た発言だったのだ。ネット空間は万人に平等という真理がそこに見えて来る。

私が石破ブログをフォローする訳もなく、この記事の存在は偶然知ったのだが、私にとっては正に掘り出し物であった。半月以上も経って知った事になるが、グッドタイミングだったかも知れない。大いに上昇気流を作ってくれそうだ。マスコミは自らの巨大発信力で国民意識を自在に操れる。自分に都合が悪い状況になれば、他に話題を逸らせる。巨大な発信力が攻撃にも防御にも絶大な武器になる。一体何の為の巨大発信力なのか。マスコミの根本を問う問題である。

マスコミは表現の自由という民主主義の大黒柱に存在の根本を置く。マスコミに圧力を加えようとする動きが出ると、マスコミは待ってましたとばかりに表現の自由と言う権利を振り翳す。如何なる抑圧的動きも悪として攻撃する。またそれが説得力があった。それはマスコミ性善説が存在したからだ。しかしマスコミとはマスコミ業であり、性善説など初めからある訳もない。マスコミ業は巨大な発信力という恐ろしい武器を持つ。表現の自由をこの武器の使用に際して理論武装の盾とする。そして民主主義を矛の巨大発信力で攻撃する。マスコミと民主主義の矛盾の関係である。マスコミ業は民主主義を利用して破壊し、営業利益を極大化する。

民主主義にとってマスコミ業は徹底規制の対象である。その巨大な発信力はマスコミ業に独占させるべきものではない。表現の自由はマスコミ業の盾ではない。発信力の巨大さに強い規制が掛かるのは当然の事である。これが民主主義国家の国民のマスコミ業に対する理論武装の矛になる。マスコミ業の為の表現の自由など無いのである。表現の自由は飽くまで民主主義の為である。表現の自由は矛盾を内包する。

無責任政党幹事長石破茂が笹井博士自殺の責任をマスコミに問うた事は、ブログの中の事であったが、その権力の位置の高さによって極めて重大である。これに理論の肉付けをすれば、マスコミ業規制を国民理解の中で実行できる。笹井博士自殺事件はその可能性に道を開くものだった。石破茂が扉を開ける役割を果してくれたように思う。

この記事に


.


みんなの更新記事