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量子力学という言葉は一般化した。科学はまず見える物を対象にする。見える物見える世界の法則性を記述するのが科学である。この世は人間が作った物ではない。しかし、そこに法則性がある。人間自体がその法則から生まれ出たものだ。人間が科学するのは自らを生み出したものへの接近であり、それは自らのアイデンティティーを求める行為である。宇宙とは、物質とは、生命とは・・・と限りなく沸き起こる人間の知的好奇心。好奇心は見える物の奥に潜む見えない世界に行き着く。原子までは見える世界の理屈で理解可能だが、原子の中になるとその理屈が通用しなくなる。量子力学とはその部分の科学である。

しかし、恐らく量子力学でも分からないのではないか。もしかしたら人間のレベルでは見えない世界は分からない。追いかけても追いかけても遠ざかって行く。宇宙の産物に過ぎない人間に宇宙が分かる筈がない。人間には一定の分かる世界が用意されている。それでいいという事かも知れないのだ。

科学は人間の知的行為の一つである。科学が全てではない。人間は科学以外にも知的行為の対象を持つ。芸術や宗教や哲学などである。科学で全てが分かる筈がないからこれらの対象があるのではないか。量子力学が全てを解き明かしたとして、それで生命の事が分かるだろうか。何故物質から生命が生まれるのか。生命以前に物質さえ分からないのではないか。水の化学記号は分かるが、それが何故水になるのか。酸素原子と水素原子がくっつくと何故水になるのか。何故水という存在があるのか。量子力学ではこの部分が分からない。量子力学では存在の本質は分からない。一体何の為の量子力学なのか。結局人間の知的行為は人間のレベルを超えては行われない。宇宙の謎解きなど人間には永遠にできないという事だ。

科学というものはそんな程度のものである。ごく限られた範囲で分かったと喜ばしてくれるのが科学なのである。科学者というのはほとんどが凡庸な存在という事になる。政治も人間の知的行為の一つと言っていい。我々が見る政治家のほとんどは政治屋で凡庸である。そこからほとんどの科学者が凡庸であってもおかしくはない事になる。

マスコミとは巨大だが凡庸な発信装置である。だからブラックマスコミになる。ips細胞は遺伝子レベルの問題で、見える世界の科学である。STAP細胞はここが違うようである。細胞を特殊な状態に置いた時、初期化が起きる。この辺の不思議なカラクリは分からない。そこを小保方晴子はコツ、勘で掴んでいる。理屈じゃないから良かったのである。凡庸な科学者は理屈で生きている。だから勘で科学の深層に挑む小保方晴子に共感しない。理屈の部分で弱さを露呈した小保方晴子を理屈で生きてきた凡庸族が攻め立てる。馬鹿げた話である。理屈の科学には神の世界は永遠に閉じられる。小保方晴子は不思議少女の勘で神の扉を開けたのだ。利権屋の再現実験など永遠に成功しないに違いない。笹井博士は神の世界に通じる勘を持っていた。それ故俗物マスコミの大騒ぎに耐えられなかった。

小保方事件とは、神の感性と俗物の理屈の間に生じた事件であった。人間世界における普遍的事件とも言える。

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