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マスコミがマスコミらしくあるのはスポーツ中継の時だ。野球サッカー相撲オリンピックを伝えるマスコミは、マスコミ本来の使命を果たす。スポーツの実践者はマスコミと無関係だ。マスコミ人間には手も足も出ないスポーツ選手のパフォーマンスをテレビ映像にして伝える。そこには何の細工もない。スポーツ選手が完全な主役である。マスコミはメディアつまり媒体に過ぎない。国民はスポーツ選手の生のパフォーマンスを見ている。マスコミとはこういうものである。こうあらねばならない。媒体に徹さなくてはならない。

ところが、政治関係になるとマスコミは媒体ではなく主役になる。マスコミの巨大な発信力は媒体だけには止まらない。政治に於いては巨大な発信力は巨大な武器である。マスコミ自体に政治的傾向があるのは当たり前であり、マスコミ自らがこの巨大な武器を利用するのはあまりにも当然である。マスコミに政治的中立性を求める事は初めから無理である。おまけに民間マスコミは民間企業であるから、スポンサーの意向に左右される弱い存在である。原発を持つ電力会社は大きなスポンサーだから、マスコミは反原発の立場が取り難い。民間マスコミはあまりにも不確かな存在である。こんなものに巨大な発信力を与える事が危険である事は馬鹿でも分かる話である。安倍のお友達がNHKの会長になったり、読売のナベツネなどの事を考えれば、危険が現実問題である事にすぐ気づく。

国民主権にとって危険なマスコミは断じて存在を許してはならない。マスコミの本質を考えれば、日本国民のマスコミ鵜呑み度世界一が如何に危険で脅威であるかすぐに分かる。NHKでの選挙時の政見放送を思い起こそう。各候補者は公職選挙法に基づいて完全に公平に扱われる。この事を利用する候補者も出てくるが、完全な公平とは民主主義の原則である。しかし、放送を受け持つNHK自体が完全な公平な存在などでは全くない。こんなおかしな話があろうか。選挙での候補者に法律が適用される時、マスコミにも全く同じ拘束的な法律が適用されなくてはならない。当たり前の話である。

巨大な武器を持つマスコミは、完全に公平な存在でなければならない。政治性など絶対にあってはならない。政見放送時の完全公平がつまらない印象を与える事は誰もが知るところだが、完全公平はそういうもので民主主義の為には当然なのである。巨大な武器を持つマスコミには表現の自由などない。完全公平の厳格な拘束の中で政治報道を行わなくてはならない。今のようなマスコミ独自の世論調査などあり得ないのである。マスコミの世論調査が当たり前に受け入れられている理由は何だろうか。それはやはりマスコミの巨大な発信力を国民が無意識に理解している事が根底にあるという事である。マスコミは自らの巨大な発信力を利用して世論調査を行えているという事になる。それならば、マスコミは完全公平な存在でなければならない。世論調査のやり方も完全に統一しなければならない。設問の仕方で誘導するみたいなやり方は絶対厳禁である。

完全公平な政治報道は味気ないものになるだろう。しかし、それでいいのである。国民主権の為にマスコミの巨大な発信力は厳格に縛られなければならない。今のようなやり方は考えられない。マスコミのやりたい放題の政治報道が行われている。だから、小沢事件だったのであり、衆参不正選挙だったのであり、小保方事件だったのである。全ての政治報道がマスコミの自作自演で行われてきた。その結果の安倍極右カルト政権であった。

マスコミ、特にテレビは国民主権、民主主義の為に徹底的な規制がかけられなくてはならない。選挙時の政見放送が参考になる。決まり切ったやり方で政治報道をしなくてはならない。これを経験して初めて国民はマスコミのやりたい放題の異様に気づく。今の日本は完全に報道犯罪が行われている国である。民主主義が成り立つ訳がない。マスコミ、特にテレビは断固としてがんじがらめに規制しなければならない。国民はマスコミの本来の姿に気づかなくてはならない。

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