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第5列じゃなく第五列が正しいようだが、私は寧ろ第5列を使いたい。何故ならそこに数字があるからである。数こそ客観的概念の象徴である。第5列という新語の特徴は数が含まれる事である。数を含む言葉は純粋な客観性を持つ。1列目、2列目、3列目の意味の単純な5列目の意味の第5列もあるが、第が来ている意味は中々重い。第5列には最高の客観性がある。この部分が素晴らしいのである。恐らくこういう発想でこの言葉を捉える者はいまいと思う。私がブラックマスコミという言葉に特別なものを感じたのと通じるものがある。数が齎す客観性は最高という事をここでしっかり強調しておきたい。

第5列は偽ユダヤの人類支配を内包できる。最高の客観性故である。偽ユダヤは人口は極々僅かである。それが何故に人類を支配できたのか。巨大な人口で支配する体力勝負ではなく、権力の上手な使い方で人類を支配したのが偽ユダヤであった。偽ユダヤは第5列をフルに使って世界権力を掌握したのだ。第5列の言葉自体はスペイン内乱の1930年代に生じたものだが、偽ユダヤは遥か以前から行動としてやっていた。やはり、西洋の合理主義が生み出した考え方だと思う。日本人にはそこまでの合理性、客観性が持てない。ある意味連中は大したものである。

第5列は西洋由来の言葉であり概念である。現在の日本は偽ユダヤ支配が行き着く所まで行き着いた姿をしている。だから、日本本来の概念では捉え切れない。西洋由来の概念でないとピッタリの表現ができない。目の前にとんでもない現実がある。しかし、それが適切に表現されていなかった。どんな表現を持って来てもこのひどさをバッチリと表現できない。安倍政権はひどい政権である。野田もひどかった。菅はまだマシだったかも知れない。松下政経、橋下維新、ひどいものである。検察、最高裁、ひどいものである。そして、マスコミ。極めつけのひどさである。こういう目の前のとんでもないひどさを一体どう表現したら良かったのだ。いろんな表現でこのひどさを表そうとしたのだが、あまりのひどさにどんな表現も追いつかなかった。日本人はそこまで悪党になれない。日本人の脳ではそこまでの客観性を持てない。

野田も安倍も第5列政権であった。松下政経は第5列養成塾だった。検察最高裁は第5列機関だった。自民も公明も維新もみんなも第5列政党だった。偽ユダヤは敗戦日本を完璧な第5列支配国家にした。日本の民主主義は完全に第5列に支配された。日本の姿は第5列概念の中にすっぽり収まる。

一体この絶望的な日本をどうやって蘇らせるのか。まず何よりも重要な事は、現状を簡潔に表現できる言葉を持つ事である。自己認識が正確にできていないと話にならない。国民全体でそれができなくてはならない。正確な表現無しにそれは不可能である。ネット言論は現実を正確に適切に表現する事で力を得る。動画が力を持つのも同じ理屈である。動画は現実を丸ごとそのまま表現する。ネット言論は現実を客観的に表現する。どこまでも客観性を追求してこそネット言論は最大の力を得る。

ブラックマスコミは第5列マスコミと言い直せる。これほど国家にとって有害な存在はない。

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