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安倍の妙な解散総選挙。ブラックマスコミは有権者がどこに入れていいか分からないというような事を強調しているようだ。白票棄権が増えて、多分低投票率で組織票の自公が勝利という筋書きが用意されているようだ。つまりまたしても不正選挙を現実としなければならない流れのようである。しかし一方で中露連合の厳しい目、ネット国民の監視の目があり、前回までよりも不正選挙実行のリスクは高まっている。週刊誌では自民の大幅議席減も予測されている。不正選挙実行のリスクの高まりは疑いなく、正常な神経なら怖くて尻込みする所だが、偽ユダヤにはこれしかなくリスク覚悟でやって来そうでもある。何れにせよ見ものだ。

不正選挙と小沢事件は一体であり、小沢事件が完全犯罪成立状況下では偽ユダヤの不正選挙実行の動機付けが消える事はない。従って我々国民は常に不正選挙実行の恐れを感じなくてはならなくなる。我々国民は不正選挙と共に小沢事件をも声を大にして糾弾し続けなければならない。小沢事件の風化、過去化は不正選挙阻止にとってマイナスである事を知る必要がある。

我々は実に野蛮な時代に生きているものである。表面的にはスマートな文明社会であるが、一歩中に踏み込んでみれば依然として未開社会の本質が根を張っている。素晴らしいオリンピックが開かれているすぐそばで、市民生活の場に爆弾ミサイルが打ち込まれている。ナチス信奉者が堂々と街中で存在をアピールしている。これが21世紀の人類社会の姿だろうか。半端でない狂い方である。不正選挙などという漫画のようなとんでもない事が現実に当たり前にある。人類の知的レベルに関しては根本的な再考が必要である。

第3次世界大戦の策謀があると言われる。偽ユダヤがロシアを巻き込もうとしている。また日中戦争を引き起こそうとしている。一体人間は何を考えているのか。何か根本的におかしい。こんな状況の中では不正選挙など当たり前である。人間の根源の部分に何か重大な欠陥があるに違いない。戦争も不正選挙も数という点で共通している。数の原初的認識は動物にもあるそうである。何れにせよ数というものは物を見考える動物の知的能力の最高点と見なし得る。数の認識が高度化する事で人間は文明を築き上げる事ができた言える。建築物は数の認識があってあり得る。数の認識があるから国家ができる。数の認識が貨幣を生み出す。科学の母は数学と言われる。人類文明は数学の上にある。

数の認識が国家を生み出し、科学を発展させ、産業革命を起こす。同時に数の認識が人間の集団を数字化し軍隊を生み出す。数の認識は文明を高度化しもするが、軍隊を作って戦争も引き起こす。戦争は数の勝ち負けである。こちらが100万の軍隊。あちらが50万の軍隊なら、こちらの勝ちである。或いはこちらが1万の戦車、あちらが5千の戦車なら、こちらの勝ちである。国家の戦争は双方のGDPの数字の戦争とも言える。人間は数字に置き換えられ、戦争で苦しむ人間の実態は捨て去られる。戦争は数が魔物である証明である。

人間は歴史の経緯の中で民主主義を生み出した。選挙を通して国民が権力をコントロールできるようにした。しかし、現実は国民は相変わらず権力の奴隷である。そこに数の認識、数の魔物が存在する。選挙は数の認識の産物である。しかし、数の魔物は未だ認識されていない。数の上にある選挙民主主義は魔物に取り付かれたままである。第3次世界大戦の策謀と不正選挙は数の魔物が生み出した点で共通している。選挙を数の魔物から解放する事が民主主義蘇生の必要条件であり、人類が民主主義を獲得できれば第3次世界大戦の策謀も阻止できる。数というものに目を向け、数の本質を認識する事が必要である。人間は数を超えて行かねばならない。数に支配されていてはいけないのである。

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