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総務省のHPにはこうある。

正しい選挙を見守ることは、私たちのくらしを守ることです。
私たちの意思が、正確に政治に反映されるためには、選挙自体が公正に行われなければなりません。だから、選挙は、公的な機関の人々によって常に厳しく管理されています。正しい選挙を見守ることは、民主主義を守り、そして私たちのくらしを守ることなのです。


実に重大な文章である。何故に衆参不正選挙が堂々と3回連続で挙行できたのか。根本的な原因理由がある筈である。そこを抉り出さなくてはならない。選挙管理委員会は総務省の縄張りの中にある。上の文章であっるが、今でこそそのイカサマぶりが分かるが、これを読んで根本的疑問を抱く国民はまずいない。そうだから堂々と総務省がHPに載せるのである。しかし十分に考えを深めた後にこの文章を見ると、連中の思惑がミエミエである。

>正しい選挙を見守ることは、私たちのくらしを守ることです。

見守るという言葉が使われている。この言葉の印象は強いものではない。辞書にある例は「子供の成長を見守る」「成り行きを見守る」・・・見守るとはその者が対象に直に或いは強く関わる形で見るのではない。子供の成長とか、成り行きとかは対象の自然の流れ具合を第三者的に見ている状況である。見守る者はその場を動かない。何か事があれば動くが、基本的に静かな流れがある。距離を取って寛大鷹揚な態度で見る。国民にある筈の開票監視権は見守るのではない。不正を厳しくチェックするのである。距離を取っていたのでは厳しいチェックなどできない。開票監視では見守っている場合ではない。

>選挙自体が公正に行われなければなりません。だから、選挙は、公的な機関の人々によって常に厳しく管理されています。

選挙を厳しく監視するのは国民ではなく、公的な機関の人々とぬかしやがっている。監視ではなく管理と言っているのも注意である。監視と言うべきであるが、意味が不正を前提にしている印象を与えるから管理に格下げしているのである。管理は全体が正常に動作するように注意を払う事である。特に何かに注意している訳ではない。監視とは監視カメラと言うように、不正を注意して見る事である。厳しく管理と言って監視のニュアンスも幾分込めているが、監視という言葉には程遠い。全体を大きく見るのが管理であり、不正に集中して見るのが監視である。見る様態が丸で違う。選挙が公正である為には絶対に不正の侵入を防がなくてはならず、監視が必要なのである。言っている意味はほとんど監視であるのに、管理という言葉で止めているのは意図があるのだ。監視は不正と直結するから使えないのだ。選挙管理委員会は選挙監視員会でなくてはならない。しかし、捜査機関以外の公的機関は管理までが精々だ。だから、不足分を国民に求めなくてはならないのである。監視するのは国民なのである。

>正しい選挙を見守ることは、私たちのくらしを守ることです。・・・選挙を監視する事は、私たちのくらしを守ることです。と置き換えなくてはならない。正しい選挙は公的機関が行いますと言っている。国民の皆様はそれを見守って下さいという事だ。正しい選挙を見守るという表現も奇妙である。正しい選挙なら見守る必要はないではないか。そもそも選挙を見守るという表現がおかしい。監視という言葉を使うべきところを全部見守るに置き換えるから奇妙な表現に陥るのである。

総務省のHPには国民の参観すら記述が無い。見守るに全部込めている訳である。具体的な見守り方が記されていない。ここを記すとボロが出るからである。見守るという便利な言葉で全てをごまかしている。しかし、国民は選挙を監視するのである。主権者として自らの一票が確実に正しく開票集計される事を追跡する権利ががる。公的機関だから完全に公正と言うのは全くの幻想である。公的機関とは権力機関であり、巨大利権機関である。選挙の主役は国民である。投票し、開票を監視する事で主権者である実感を得られる。総務省はその主権者国民に公的機関の正しい開票集計ぶりを見守って下さいと言っている。選挙の主役は公的機関ですという訳である。

総務省のHPの記述が如何にごまかしであるかが明らかになった。これは公正な選挙にとって脅威以外の何物でもない。衆参不正選挙3連発はこの総務省のごまかしが根底にある。このごまかしが全国の選管が監視国民を参観席に追い遣る根拠を与えている。総務省は国民の監視権を無実化し、不正選挙の為の十分な余白を用意していたのである。総務省のHPはとんでもない代物であり、不正選挙そのもの、不正選挙の中心核と言っていい。

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