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小沢政権を阻んだ国政不正選挙が3連発であった。2010年民主党代表選も不正選挙だった。この時、小沢は菅に勝っていた。小沢政権ができていた筈だった。小沢政権は小沢事件をでっち上げられて潰された。2009年の事である。2015年の今、これらの事を振り返る必要がある。民主主義国家である筈の日本が民主主義国家ではない事があまりにも明白になった。国民の為の小沢政権が何か強烈な力で潰された事がこの6年間であった。民主主義が完全に機能不全に陥っている事が判明した。何かの力が民主主義を壊している。その答えが偽ユダヤであった。

法律的には民主主義が用意されている。しかし、強烈な意図を以てすれば法律を無実化できる。やり方は色々ある。法律は形だけ、民主主義は表面だけという事になる。恐らく法律的にも穴が意図的に用意されていただろう。そうでなければ、ここまで続けて民主主義が無実化される事もなかったに違ない。選挙について考え続けている訳であるが、自分史に於いて初めてである。誰にとっても事情は同じであろう。我々は選挙というものが当たり前の時代に生まれ育った。所与のもので一々深く考える事もなかった。しかしあまりのおかしい現実を前に深く考え始めた。そして思う事が出てきた。それが選挙制度に仕掛けられた巧妙な罠である。国民の選挙監視権が抜け落ちていた。国民には参政権が与えられているが、参加だけさせておいて決定権は与えられていない。従来からの権力は時代の推移と共に権力の衣を取り換えてきた。今権力は民主主義という衣を纏っているが、この衣は偽物であった。

権力は決定する力である。民主主義とは国民が決定する力を持つ事であるが、権力はここにごまかしを挿入した。決定する場に国民を参加させはしたが、決定権は与えなかった。参加させる事で決定権を持ったように国民に思わせた。権力は決定力は国民に譲らなかった。権力側の最後の抵抗とも言える。国民に決定力を与えたように見せかけて、その実与えていなかった。権力は自ら権力を手放す事はないのだ。何としても権力を持ち続けようとする。偽ユダヤ権力とはそういうものだったのである。権力を維持する為に策謀を巡らす事を自らの歴史とした連中であった。民主主義の衣を纏う時代になっても、権力の肝心要は手放さなかったのだ。参政権で国民をごまかしたのである。投票する、または自ら立候補する事を可能にする事ですっかり民主主義が実現したように思わせた。小さな選挙なら国民の投票結果が正しく表れて、国民は民主主義に確信を持つ。しかし、大きな選挙、決定的な選挙に於いては思うような結果が出ない。しかし、決定的不信感までには至らない。身の回りの小さな選挙の経験が判断を鈍らせてしまう。権力側も神経を使うだろうが、肝心要の防衛には万全で余裕である。ブラックマスコミを保有している事が余裕の最も大きい理由だろう。

国民は権力側から参政権を恵んでもらってごまかされて来た。政治権力決定過程に参加させられて喜んだだけだった。権力というものを全く知らない、全く経験していない国民には権力の肝心要が分からないのも当然である。権力側はそこに付け込んで巧妙に罠を仕掛けたのだ。無垢な国民は罠に嵌っても気づかない。哀れな姿である。しかしもうそういう時も過去になる。国民もこれだけやられれば学習する。権力側の仕掛けた罠に気づく。選挙というものを根本から考える事で罠が見えてくる。権力側は参政権だけで国民をごまかして来たのである。民主主義を破壊した罪は途方もない。

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