全体表示

[ リスト ]

国民主権は国民の選挙監視権が確立してこそ成り立つ。単に参政権が付与されただけでは権力側の仕掛ける罠から抜け出す事はできない。選挙は国家利権を巡る戦いが本質である。権力側は決して巨大利権を手放す事はない。単に国民が参政権を得ただけではとてもこの権力側の本性に立ち向かう事はできない。相手は強力な武器を持っている。国民は丸腰だ。羊の群れを囲うように権力側は国民を囲ってしまう。権力側が羊の群れに権力を譲る事などないのである。権力はブラックマスコミを使って国民を羊の群れにしている。

参政権とは国民が政治に参加する権利で、民主主義としては当たり前の権利である。しかし、権力側は羊の群れに参政権を付与してやったと思っている。参政権という言葉自体に権力側の発想を見る。これまでは権力側と国民は完全に切り離されていたが、時代の推移に応じて権力側も一定の譲歩を見せた。その結果としての参政権である。国民は新参者という扱いである。新参者にいきなり権力を譲る権力ではない。新参者は新参者としか見られない。新参者に選挙監視権など与える訳がない。参政権だけでもありがたいと思えというところである。

参政権の中には国民に立候補する権利が含まれている。自ら権力の中に参画しようという道が用意された。しかし、羊が羊の群れから脱して羊飼いになろうという事であるから大変な事である。よって高額供託金が羊に課された。日本の場合国政選挙に立候補するのに300万円である。比例区なら600万円である。我々はこういうものが当たり前と思ってきたが、調べりゃすぐわかるが、日本の供託金の高額ぶりは異様である。英は8万円、カナダは10万円、インド2万円弱、マレーシア16万円(上院)31万円(下院)、トルコ40万円・・・。供託金制度がない国も多くあるようである。日本の供託金は異常な高さである。1975年は100万円だった。それが82年に200万円、そして92年に300万円となって今日に至る。正に天井知らずの高さでここが上限だろうという所まで行き着いている。日本の参政権は完全に権力によって管理されたもので限定的参政権である。おなじみの藤島氏が何回か国政選挙に立候補したが、その度にこの300万円の厚い壁が立ちはだかった。その様子を見て如何にこの壁が大変なものか我々も理解できた。もしこれが50万円程度なら、遥かに容易に立候補できた筈である。国政選挙に立候補するなら当然の金額であると我々も思いがちだが、それは正に羊飼いの論理に慣らされてしまった結果である。300万円という額は国民に立候補するなと言っているに等しい。政治的関心を持つ国民は無数にいる。その中から立候補する者も沢山出る筈である。それをさせない為に300万円のハードルを置く。参政権も金次第という訳である。偽装民主主義である。

少額の供託金なら意外な人物が沢山立候補して、国民の関心も高まるだろ。それが投票率を高めるだろう。供託金の高低は国民主権に関わる重大問題である。国民が自らの国家の為に立ち上がる事に何故高い壁を設けるのか。設けているのは権力側である。権力側による国民国家の私物化である。国民主権を否定する異様高額供託金に国民の関心が出てこないのは、ブラックマスコミの所為である。つまり権力側の所為である。ブラック権力が国民主権を管理状態に置いている。そんな国民主権などない。日本国民は国民主権を否定された中で選挙を行っていた。だから国民の選挙監視権などある筈がないのである。この2つの問題は完全に一体である。異様高額供託金は没収点10%で没収される。藤島氏はこれでいつも泣かされた。国民主権否定の追い討ちである。

選挙は権力に管理されるのがまずある。国民は参政権を以て民主主義と思ってはダメである。選挙監視権を得てこそ国民主権である。

この記事に


.


みんなの更新記事