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一般国民が投票権を持つに至るまでには多くの困難があった。今でこそ世界中で選挙は当たり前だが、少し前までそうではなかった。権力側が簡単に権力を国民に手渡す筈がなかった訳である。この事は実は今も根本的に何ら変わっていない。選挙はあれど不正選挙なら無意味だ。選挙のシステムは巨大であり、権力側には幾らでも操作可能だ。選挙にはそういう危機要素がある事を国民に知らせないようにしている。つまり、選挙の公正神話が意図的に作られている。何も報じない事が最も効果的な神話作りになる。国民が一旦選挙の危機要素を知ったら黙っちゃいない。だから、権力側は徹底的にそれを報じない。権力側の総力を挙げた不作為が選挙の公正神話を生む。原発の安全神話も権力側が総力を挙げて作った訳であるが、こちらは不作為の反対の方向だった。選挙の公正神話は不作為こそが最有効だ。

権力側は永遠に権力を保持したい。国民には奴隷でいてもらいたい。民主主義の世の中になっても権力側の本音は今も昔も同じである。巨大な選挙システムは常に危機要素を孕んでいる。その要素の中でも見逃されて来たのが供託金問題である。権力側は国民の投票権を認めても、被選挙権(立候補権)は認めたくないのが本音の筈である。立候補自体に制限を設けておけば、選挙結果は権力側に都合が良いものになる。国民が選べる範囲を初めから制限してしまえば、国民の投票権など有名無実である。欧州の先進民主主義国は大半が供託金制度が存在しない。この事実は重大である。欧州の権力層でも本音は供託金を高く設定したい筈である。しかし、国民の普通の意識がそれを許さない。欧州の民主主義にとっては高額供託金はあり得ない。それは権力側の露骨な選挙介入となる。フランスは僅か2万円の供託金さえ批判されて廃止した。最早金額の問題ではなく、制度の有無問題である。供託金は権力側の国民主権への介入という捉え方がされる。個人主義の欧州では自然にそういう意識が出来上がる。この点は本当に羨ましい。欧州では何かあればすぐ大きなデモが起きる。時には行き過ぎて騒乱も起きる。個人主義の風土には高額供託金は根付かせたくても無理という事である。欧州では権力側による不正選挙が難しい状況がある。

日本の世界最悪供託金は個人主義ではない日本の風土、つまりお上意識の風土が受け入れさせてしまったものである。お上意識と国民主権は真逆の関係である。日本の権力側は国民のお上意識を利用して高額供託金の導入維持に成功した。日本の権力の背後には偽ユダヤがおり、配下のブラックマスコミに供託金問題を扱わせなかった。一旦出来上がった制度は一部の反対論だけでは壊れない。権力とブラックマスコミで日本のブラック供託金制度は今日まで維持された。

ブラック供託金制度擁護論の最たるものが、泡沫候補の排除である。これは国民全体に受け入れられている。しかし、泡沫候補という言葉自体が国民主権の無視である。この言葉はブラックマスコミが盛んに使ったものだろう。この言葉を使う事でブラック供託金制度を擁護して来た事になる。国民は泡沫候補という言葉の罠に嵌ってはならない。泡沫候補こそ一般国民なのである。悪政に怒って立候補する国民は泡沫候補ではない。貴重な候補者である。何故そんな候補者が実際に泡沫になってしまうのか。そこにブラック供託金があるのだ。泡沫候補者が文字通り泡の如く溢れ出して来たなら風景は一変する。泡が1つか2つしか出てこれない為に泡沫候補者となってしまうのである。泡も沢山になれば大きな泡ができる。溢れ出す泡の群れは怖い位だ。小さな泡が溢れ出せば自ずから大きな泡になる動きが起きる。反原発の国民的うねりなどは必ず政党化へと繋がる筈である。反消費税、反TPP、反集団的自衛権のうねりも同じである。反安倍の国民的うねりは大きな国民政党実現へと向かう。既成の政党もこの大きなうねりに押し流される。国民から沸き起こる泡の群れが安倍政権を飲み込んでしまう。

民主主義を否定するブラック供託金が如何に日本の選挙を有名無実化しているか。言論の力によってブラック供託金を廃止に追い込んで行かねばならない。

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