全体表示

[ リスト ]

世界最悪供託金は立派な不正選挙である。国民はほとんど全てが単に投票者である故に、この不正選挙に気づいていない。国民のほとんどは没収される事を覚悟で300万円も出して立候補しようとはしない。この20年以上日本は経済成長せず、国民は貧しい生活を強いられている。300万円とか600万円とかの世界最悪供託金は一般国民に政治の場に足を踏み入れるなと言っているに等しい。これは一般国民に対する不正選挙行為である。

選挙は立候補者が居て国民が投票して成り立つ。最初の立候補の段階で一般国民に不正を仕掛ければ、その選挙は既に不正選挙である。一般国民を代表する立候補者が現れないようにした選挙は、国民の為の選挙ではない。世界最悪供託金の下で行われ続けた日本の選挙に国民が無関心になって行ったのも当然である。一般国民は実直である。この実直さが国家を底辺から支えている。そんな実直国民の為の政治を行うのが本来の政治である。小沢一朗が言う国民の生活が第一の政治はそういう意味である。しかし、実直国民を代表する立候補者が出て来なければ本来の政治は行えない。そうしているのが世界最悪供託金である。とんでもない不正である。

不正選挙と言うと国民が投票した後の事を言うのが今の常識だが、それは言わば不正選挙の川下部分であり、川上部分にもう1つ別のものがある事を見逃してはいけない訳である。国政選挙は巨大なシステムであり、不正選挙も正に大河の如しである。不正な大河の上流には世界最悪供託金が仕掛けられていた。下流の不正の源は上流にある。下流の不正だけを論っていても不正の大河は消滅しない。上流の不正こそ不正の本質なのである。不正選挙とは要するに国民の為の選挙ではない選挙である。選挙の出発点に世界最悪の不正が仕掛けられてしまえば、国民の為の選挙が行われる筈がない。不正選挙の追及は上流から始めなければならない。上流の不正を排除しない限り不正の大河は消滅しない。国民の立場に立つ立候補者は世界最悪供託金を納めつつ、その世界最悪ぶりを国民に訴えるべきである。そしてその廃止を公約にするべきである。国民に不正選挙がこういう形で仕掛けられている事に気付かせるべきである。

下流の不正は陰でこそこそやるものだが、上流の不正は堂々たる制度の不正である。国民の目の前に堂々と不正の看板が掛けられている。国民が気付きさえすれば、この看板を撤去させる事は簡単である。上流と下流の不正は様態が違う。不正追及なら上流こそ狙い目である。欧州の大半と米は供託金制度がないという事実は強烈で、泡沫候補者を排除するという理由だけでは如何にも弱い。事実の前に詭弁は通じない。

この記事に


.


みんなの更新記事