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民主主義にも本物と偽物がある。本物は民主主義でいいのだが、偽物の表現をどうするかを考えたが、ブラック民主主義がいい。マスコミも選管も果ては国家までブラックで統一できているが、偽物民主主義にもこの統一法を拡張するのが自然である。選挙にも公正と不正がある。不正選挙はブラック選挙とも言い換えられる。選挙にも選挙とブラック選挙がある。ブラック選挙はブラック民主主義を生む。ブラック国家には民主主義はない。あるのはブラック民主主義である。

民主主義という言葉は如何にも性善説的である。この言葉自体に騙されてしまう。日本は民主主義国家であると全ての国民が認識している。しかし実際はブラック民主主義国家である。選挙という言葉も性善説的である。やっとそうではないという事が分かって来た。ならば、もっと大きく民主主義も決して性善説的ではないという風に認識が広がってよい。世界最悪ブラック供託金こそがこの認識を確定させるものである。

不正選挙は最近始まったものではない。1925年の最悪供託金制度導入時点から既に始まっていた。我々は川下の不正選挙で初めて不正選挙というものに気づいたが、もう遥か以前から川上に不正選挙があり続けていたのである。選挙制度が日本にも導入されたが、それは民主主義の定着を意味するものでは全くなかった。民主主義とはそんな簡単なものではなかった。何事にも両面がある。自然世界も人間世界も複雑怪奇。性善説的単純思考では物事の本質は見えて来ない。選挙も民主主義も表と裏がある。寧ろ裏があるからこそ表があるという事である。ブラックがあるからホワイトがある。宇宙も暗黒が基本である。物事の出発点はブラックと考えてもいい訳である。選挙も民主主義もブラックから始まると認識してこそ良い選挙、良い民主主義が作れると考えた方が健全というものである。

今や日本のあらゆる権力がブラック権力である。小沢事件がこれを証明し、衆参不正選挙3連発がだめ押しした。にも拘らず日本はまだ民主主義の衣を纏っている。この衣を当たり前に纏わせてはならない。ここにブラック民主主義という名称の意味がある。日本は民主主義の見事な黒いマントを纏っていたのである。この姿そのものが全てを語っている。言い訳も何もあったものじゃない。民主主義の黒いマントを着た日本は一目瞭然のブラック国家である。世界の恥晒しもここに極まる。

世界最悪ブラック供託金こそがブラック国家日本のブラック民主主義の生みの親である。そしてブラック供託金こそがブラック国家日本のアキレス腱である。ここに言論のナイフを突き立てれば、ブラック日本は行き倒れる。ブラック供託金こそが不正選挙の元凶である。これほど明らかな攻撃対象もない。集中攻撃でブラック日本も一挙崩壊である。

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