全体表示

[ リスト ]

アクセス禁止処分を受けていた神州の泉氏がこの1月26日に亡くなられていたという。去年の9月に突然倒れられたそうで救急車で運ばれたという。重い糖尿病を患っていたという。今朝になって突然こういう情報を得た。植草氏や独りファシズム氏が故人への思いをブログに綴っている。

神州の泉氏のブログをクリックしても削除処分の通知が出て来るだけである。niftyの処分が今や言論弾圧の証拠として輝く結果となってしまった訳である。考えてみると私は初めてネット言論という戦場に於いて戦友の死を経験したという感じがしている。神州の泉氏や独りファシズム氏の言論は私が好むものとは違う。私から見ると言説が悲観的過ぎる。どんなに悲観的に見えても人間のやる事であるから必ず出口は見つかるという根本的楽観が私にはある。しかし方向が違えどネット言論に於いて重要人物という評価は変わらなかった。そんな人物の死を初めて経験した訳である。ネット言論活動に参戦して8年から9年になるかと思うが、これだけの時間が経つとこういう経験も出て来るのは自然かも知れない。後5年10年でまた経験する事になるかも知れない。自分自身どうなるか分からない。しかし、今回の経験はネット言論に一つの新たなページ、歴史のページを加えるものとなったと感じる。

ネット言論とはブラック権力との戦いである。ネット言論人は正に戦場の戦士である。ブラックマスコミがブラック権力の道具である中で、ネット言論こそが唯一の言論戦争の主役である。神州の泉氏の死は正に言論戦争の戦場に於ける戦死である。週3日の人工透析を受けながらの言論活動を展開していたそうで、壮絶である。ネット言論戦士は程度の違いこそあれ何れも似たような状況下にあると思われる。直接的見返りなどとは縁もゆかりもない事に多大なエネルギーを消耗している。支えているのは悪に対する怒りである。国家国民を思う気持ちである。正に性善説人間の所業がネット言論なのである。神州の泉氏は絵に描いたような性善説人物であった。あまりにも性善説的である人間が極悪権力の国に生きていれば、どれほどのストレスを受けるだろうか。もしかするとこのストレスが神州の泉氏の病状悪化を促したのではないか。そもそもの病気自体ストレスが遠因だったかも知れない。人間あまりにも精神的に追い込まれると免疫力の低下から病気を誘発するものである。

神州の泉氏のブログ削除処分と死が短期間に続いて、氏の個性との関係を感じてしまう。本当に悲しくなる程の純粋さである。神州の泉というブログ名称が名は体を表すを感じさせる。亡くなってしまった者はもう返らない。私は氏の心、魂を私の中で受け継ぎたいと思う。ネット言論は戦場の戦いである。戦死する者も出る。その死を嘆いている暇はない。戦場の戦いに休みはない。戦友の死を乗り越えて前進しなければならない。

私は神州の泉氏はその死によってネット言論の北極星になったと思う。暗い夜空に方角を教えてくれる北極星は希望の光だ。純粋な神州の泉氏に最もふさわしい形容ではないか。ネット言論とは強烈な行動である。神州の泉氏は死によって最大の光を発すると考え得る。言論弾圧など全く無関係で、弾圧も光に変換されてしまう。

神州の泉氏は天空の美しい星となった。ネット言論界に常に輝く。その命は永遠である。私もそうありたい。ネット言論とはやりがいのある素晴らしい世界である。我々はいつも神州の泉の北極星に見守られている。神州の泉氏はネット言論の歴史を作ってくれた。人間はその存在によって最大のメッセージを発するものである。美しい生き方こそが最後に報いを授けられる。肉体を超越した永遠の命、神州の泉。

この記事に


.


みんなの更新記事