全体表示

[ リスト ]

銀行ほど国民がその存在に疑問を感じない組織もないのではないか。警察などは国民の不信を買う事はしょっちゅうだ。検察は小沢事件で権威は崩壊した。最高裁も同じである。政府機関は多かれ少なかれ国民に不満を持たれたりおかしーんじゃねと思われる事がある。それはその政策が国民生活に影響するからである。

それなら銀行はどうであろうか。銀行は政策遂行機関ではない。国民が預金したり金を借りたりする機関だ。国民は銀行が民間である事は知っているが、まるでその存在は政府が如しである。地方銀行や信用金庫などの地域に馴染みの銀行もあるが、それでも地方の役所みたいな感じはある。まして大きな都市銀行は中央政府機関の如しである。政府みたいな機関だが、国民は銀行に疑問や疑念を感じる事はほとんどない。銀行の貸し剥がしという悪名高い行為もあるが、それは政策に対する批判とは出所が違う。影響を蒙る国民はほんの一部であり、その不満批判が国民全体に共有される事はない。銀行は国民の命とも言えるお金を預かったり貸し出す機関で、その存在が疑問を持たれる理由がない。従って、銀行の中の銀行である日本銀行はもしかして最高裁より権威があるかと国民に思われているのではないだろうか。少なくとも日本銀行は最高裁と並び立つほどの権威を放っている。しかし小沢事件で最高裁は権威も失墜したから、日本銀行が権威を未だ無傷状態で保持している唯一の存在ではなかろうかという事になる。日銀総裁というものは最高裁長官並みのステータスがあるのではないだろうか。その割には存在が控えめでますます日本的権威に合致する。歴代総裁は何故かそんな印象の者達であった。ところが安倍が黒田を選んでから印象が崩れ出した。NHKの籾井と双璧の如何わしい印象である。

日銀って本当にそんなに権威があるものなのか。存在が怪しいという事とは無関係なのか。小沢事件以降あらゆる権力機関、類似機関の権威が崩壊したが、日本銀行だけは免れていた。その存在は大人しく国民の命と生活に不可欠の金を預かる存在で、国民は批判の目を向ける理由が無かった。

しかし、今や日本は民主主義が完全に崩壊し偽ユダヤ米の完全な傀儡国に成り果て無残な姿を晒している。ここまで悲惨な姿に成り果てた事に日本銀行は何の関わりもないのだろうか。アベノミクスは日銀黒田と共にある。日本銀行も何かおかしんじゃないか。一人無関係という事は変じゃないか。国民が気づいていないだけじゃないか。

銀行は大人しい存在であるが、街中では最も堂々としている。全国の一等地に堂々たるビルを所有している。支店だって負けてない。大通りに面した所に居を構えている。営業時間も役所以上に早めの店じまいである。大人しいが威圧的。それが銀行である。何か変だ。

銀行なんか街中にあってもしょうがない。やってる事は金の出し入れだけである。銀行があったって街は活性化しない。銀行が軒を連ねたってどうしようもない。

銀行ってなんか変だ。殊更に疑問や疑念を生じさせる存在ではないが、じんわりと疑問が生じてくる存在だ。民主主義が崩壊した今の日本でこの銀行と言う存在の疑問を解き明かす事は、最後の関門だったように思う。最も存在に疑問を持たれ難い銀行にこそ、民主主義崩壊の元凶的原因があったのではないか。

日本の銀行の中の銀行日本銀行は、財務省認可法人という国立銀行の装いをした民間銀行である。国立粉飾銀行と言っていい。何でそんな妙な装いをする必要があるのか。堂々と日本国立銀行でいいではないか。日本銀行なんて如何にも国立銀行の印象を与えておいて、認可法人なんておかし過ぎる。何かそこに隠し事がある。

まだ日本に銀行なんて近代的なものがなく、これから西洋を見真似て銀行制度を取り入れようとしていた時、西洋の銀行即ち偽ユダヤ銀行に上手い具合に絡め取られたのだ。偽ユダヤは日本の支配階級を上手に取り込み偽ユダヤの銀行制度の支配下に置いた。国民の全く与り知らぬ歴史の1ページである。国民は何も知らぬまま日本銀行のお札を使わされるようになった。誰がこの事に疑問を持とうか。偽ユダヤは国家の中央銀行を支配下に置く事で、国家に対する支配権を確立した。通貨は国家主権の象徴である。その通貨の発行元が中央銀行で、それが外国に支配されたんじゃどうしようもない。国家主権崩壊である。そんな国に国民主権などある訳がない。

銀行と民主主義の関係は不可分である。通貨発行は国家主権の象徴であり、認可法人がやるものか。ここに途轍もないごまかしがあったのである。民主主義の粉飾は通貨発行に於ける粉飾に根源があったと言える。金融の根源に粉飾があれば、民主主義は成立しない。隠された銀行問題は民主主義問題であったのだ。銀行が独立せねば国家の独立もない。日本銀行を日本国立粉飾銀行と命名する。

この記事に


.


みんなの更新記事