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相変わらず、海岸の近くまでしか自分の車は行くことは叶いませんが・・・
海岸一杯にひしめく流氷ですが、まだまだこの厚みでは「きしみ」は聞こえる程になっていません・・・
今朝は6年生の4回のスキー授業のうち、インフルエンザと吹雪による中止により、予備日を充当しての授業になります。
平穏にスキー授業を4回終えたのは、2学年生のみとなり・・・・
1年生は吹雪のため1回を中止
3年生はインフルエンザによる学級閉鎖
4年生はインフルエンザと吹雪により中止
5年生はインフルエンザにより中止・・・予備日も中止
6年生はインフルエンザにより中止
結果、予備日は芭露小・湧小3年、4年、6年が使うことに・・・
こんな年は初めてです。
16年に及ぶ、自分のスキー授業の年月ですが、年に1〜2回の中止があるかないか?
それが今年度については・・・・?
指導に当たった当時よりは、自分の技術も力量も比較にならない位に、レベルアップしたのが実感できますが、如何せん、年令は確実に積み重なっているわけで、力量と年令が比例して進んでゆくのは致し方ありません。
でもねっ
技術の本質って、意外と安易なところにあると思っているのです。
子ども達とスキーを一緒に戯れていると、実に意外なところにレベルアップのヒントが隠されているのが分かるようになります。
同居家族に、痴呆症が表れてからはや2年になりますが、日々進んでいるのが実感できるようになってきました。
自己の世界で生きてきた2人ですから、人の言うことなど聞くこともなく、3日連続で知り合いから電話連絡があり、雪道で車道の真ん中を歩いていて、運転手さんから注意を受けたりしているのですが、なにせ、耳が聞こえなくなっていても認めたくない・・・・
2台持っていた車は、先日納得に時間を要しましたが、なんとか1台は引き取ってもらいました。
いまも、同業者から連絡が入りました。
同じような内容・・・・でした。
先方には、感謝のお礼と又のご指摘をお願いをしました。
「徘徊」の一歩手前まできているようです。
これからが自分達の正念場となるでしょう。
息子夫婦に、年を重ねる順番というものと、親子の姿を見せてゆくようにしないとなりません・・・から!!
地方というものの、最大の価値はつながりと縁です。
煩わしい人と人の関係も、つながりという事でとらまえてみれば、すてたものではありません。
それにしても、Dfというカメラ
最高です。
取って出し・・・・加工も必要としない程の画質と操作感
画像の善し悪しは、自分のレベルの低さとレンズの所為です。
あしからず・・・・
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流氷への想い
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その敷地内に設置されている展望台
夏の間は、オホーツクマリンブルーを楽しむ施設です。
冬期はというと、閉鎖はしていなかったのですが、展望台を利用する人のマナーの欠如により、展望台入口や展望台の外に出て、眺望を楽しんだ後に開閉ドアをしっかり閉じない為、吹雪等により展望室内に雪が侵入して使用できなるなどした為、流氷到来の時期に使えなくなるなど、不便な施設の運営となっていました・・・が
人事異動により、2年前、「湧鮮館」の責任者が変わると、敷地内施設利用の提供もサービスの一貫として、1昨年より展望台駐車場の除雪など、利用する人にはありがたい・・・事です。
歴史という、先人達「祖父母、曾祖父母・・・」たちの営みが創り出した歩み・・・・は、過去のものではなく、未来への指針となるものであり、自らの規範とするべきものを、なんら心にとどめる事もなく恥ずべき歩みを晒して、鑑みる事のない老人達の実に多い事か・・・・?
教育とは、先の世代の背中をみせる事の、類例の伝達に他ならないと思うのは自分だけなのだろうか?
「ならぬものはならぬものです」・・・福島、会津藩の子弟教育理念
教育と躾は異質なものであるものを、教育現場にお任せでは人は育まれる事はないでしょう。
導く立場にある者は、理屈、小理屈、屁理屈を言うものに・・・生命、人権蔑視につながる事は、言葉ではなく身を以て教え込む
道徳意識
規範意識
凡人の最たる存在を自負してはばからない自分
だが、恥ずかしい・・・という意識は多くもっている。
自分の行い、自分の物言い、自分足跡・・・
「人に後ろ指を指される」
「天知る地知る人が知る」・・・お天道様が見ている・・・よ(亡くなった母がよく言っていた言葉)
極貧を恥じる事はなく、惰眠こそ恥じるべきもの
今回の、「湧鮮館」の責任者の行いは、自分にとっても流氷観光にとってもありがたい事・・・
ありがとうございます。
この場を借りて御礼まで・・・
今日の海岸への道を除雪してくれた、町観光協会の会長「刈谷一郎」有り難うさんです。
お礼を・・・
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自分には、一度として同じ姿には見えないのです。
陽が昇る横に、ぽつんとみえる枯れた雑草の穂
絵的には邪魔な存在なのですが、これとて命あるモノ・・・・
丸ごと抱え込んでこその自分の絵
最後になりますが
昨日のは
50m f=1.8 f=1.4レンズは高くて・・・今回はあきらめました。
ニコンという会社、50年前から使っていますが。
頑固でね
カメラ本体が進化を続ける中、レンズも当然進化をしているのですが、本体とレンズをつなげるマウントは、決して替えようとはしていませんから、50年前のレンズでも使えるっちゃ使えてしまう・・・
当然、画質には影響をしてくるのは致し方ありません・・・・が、カメラで遊ぶ事は出来るんです。
自分のように、人に自慢をしたり、写真を楽しむ・・・・・って事に興味のない人もいる。
カメラ本体を楽しむのでもなく
ひたすら流氷だけ
それも一点でしか写さないという人も・・・
頑固者でしょう?
自画自賛するのでもない
ただ自己満足と、過去の自分と向かい逢う為にだけ・・・
流氷は、過去の家族の形態を甦らせてくれる
つめたさも
風の音も
軋む音も
なつかしく
祖父母
両親
兄弟
歩んできた途
それらを胸に想い起こさせる・・・
海岸でほほを叩く強風が
自分本来に戻す。
自分にとっての「永遠の0」は流氷なのです。
一人の内面に宿る想いというものは・・・・かさねた歴史というものは
ときとして
みずからも忘却の彼方に・・・
自分は幸せな人だと思います。
まいねん
形はかわれども、必ず訪れて・・・・引き戻してくれる存在のある事が・・・・
なにはともあれ
ひとはひと・・・・
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