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体温が38.2℃まで上がった。新聞記事はハイゼンベルクの不確定原理に異を
唱えた「小澤の不等式」について日本人の研究者たちが研究会で半ば「公用
語」となっている英語ではなく日本語で議論したという話題だった。
日本語での議論だったら私も聴いてみたかったと思った。
続き
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哲学・思想
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人は、例えば他人から非難された時などに「むしろ一人の元気な子どもで
いたい。とるに足らない存在でいいよ」などと自分に言い聞かせて心を癒す
ものだ。
一般に「子ども」という言葉は否定的な意味を持ち、「大人」は肯定的な
意味を持つ。
しかし「子ども」「大人」という言葉は、意味する内容がかなり幅広く、
人によって意味合いが違う。
同じ日本でも地方によって意味合いが違うし、歴史的にも特に明治以降欧
米から近代思想が流入したために、空間的時間的に「あの人は子どもだ」と
言った場合の意味合いが大きく異なるようになってしまった。
そのために、本来は否定的に響くはずの「子ども」という言葉は「元気な
子どもでいたい」というような肯定的な文脈で語られることも出てきたのだ
ろう。
続く
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世の中にはさまざまな人がいて考え方もそれぞれ違う。
そういった違った考えを書き言葉で表してくれる人がいることは皮肉で言う
のではなく本当にありがたいと思っている。
伝統と環境の力というべきか、やはり格が違うということだろう。
違った考えとは、たとえば、「世の中の状況や人々の考えは、時々刻々を
変化していくのが現実であり、今ここにある現在のことだけにかかわるべき
で過ぎたことは言及してはいけない」とか、「正しい考えは無数にあり、ど
れか一つが正しいというわけではない」といった考えだ。
続く
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世の中にはさまざまな人がいて考え方もそれぞれ違う。
役者の演技を例に採り、期待してくれる人(たち)の要請や願望を鋭く
察知し、理解することが必要だと思っている人もいる。
つまり、役者が演技によって観客に応えることを引き合いにして、「自
分が所属する共同体が期待する行動をして期待を果たせ」と言いたいらし
い。
私は演劇には門外漢であるので、役者の演技がどのようにあるべきなの
かは分からない。
そもそも、観客の期待に応えるように役者の演技はなされるべきなのか。
それに、観客といっても舞台を観るために集まった観衆と映画を観に来た
観客とは違うだろうし、茶の間でテレビを観ている視聴者の期待に応えるの
とは違うだろう。
コアな信者の期待に応えるのと、そこまでの想い入れはないファンの期
待に応えるのだって違うだろうし、面白くなければチャンネルを変えようと
待ち構えている浮り気な居間人に応えるのはもっと違うだろう。
また、今の時間を共有する観衆と、数十年の時間のふるいにかけて評価
をする歴史という観客はまた違うだろう。
続く
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世の中にはさまざまな人がいて考え方もそれぞれ違う。
世の中の不条理に対し「なんて不条理なんだ!」と、ただ文句をいってい
ても仕方がないが、かといって文句もいわずに、「これが世の中の厳しさ
だ」と「優等生的に諦めてみせても」仕方がないと思っている人もいる。
そして「この不条理を逆に活用してやれ!」というくらいの感性を研ぎ澄
ませるのがよいらしい。
「自分が所属する共同体が期待する行動、役割を果たせ」という主張と整
合性が取れるのか疑問があるが、まあいいだろう。
「どの社会にも抑圧的な空気はあるけれども、創造者は『イタズラ』でそ
れに対抗する」などと戯言を言っているよりはましだ。
これは先の主張に当てはめれば「優等生的に諦めてみせ」る1つのタイプな
のだろう。
続く
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