どきどき斎塾

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●恵美須町
 停留場の東側に大阪のシンボル、通天閣がそびえています。明治36年に開かれた第5回内国勧業博覧会の跡地に、パリのエッフェル塔をモデルに建てられました。現在の通天閣は、昭和31年に高さ約103mで再建されたもの。塔の下には、名作戯曲「王将」の主人公で将棋名人の坂田三吉を偲んで立てられた王将碑があります。 停留場から西へ約300mの今宮戎神社は“えべっさん”の名で親しまれる商売繁盛の神様。毎年1月10日に行われる「十日戎」には、多くの参拝客でにぎわいます。古くてどこかなつかいしい大阪の風情が色濃く残っているところです。

●南霞町
 他線との連絡:地下鉄 御堂筋線・堺筋線「動物園前」、JR線「新今宮」、南海本線・高野線「新今宮」停留場から東へ約200mのジャンジャン横丁は活気にあふれる庶民の町。その東方の阪神高速阿倍野ランプ入り口東側には、難波利三の小説ですっかり有名になった「てんのじ村記念碑」があります。

●今池
 日本のシェークスピアとよばれる浄瑠璃作家近松門左衛門の碑は、停留場から東北へ約300mの松乃木大明神の中にあります。この神社には三味線の胴の形をした「猫塚」もあります。三味線の皮にされてしまった猫たちの供養にと、芸人や邦楽家によって作られました。

●松田町
 松田町という町名は今はなく、駅名だけに名残があります。停留場から東へ約200mの西宝寺(さいほうじ)境内の波切不動尊(なみきりふどうそん)は、別名を“水かけ不動明王”といい、昭和14年、現在の北津守で発掘されたものです。戦時中、度重なる空襲にあいながらも難をのがれたことから信仰者が増え、崇敬されています。

●北天下茶屋
 停留場から東へ約300m行くと聖天山古墳があります。その西側にある正円寺本尊大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)は、天台宗山門派の祖慈覚大師(じかくだいし)の作と伝えられています。他に釈迦堂、一願不動、護摩堂、和合殿、地蔵堂などがあります。

●聖天坂
 しっとりとした昔の大阪の情緒が残るところ。停留場の西側を南北に延びる道は、豊臣秀吉が住吉大社へ参詣した道筋ともいわれる旧住吉街道。周辺には古い史跡が点在しています。停留場から西へ約100m行くと天下茶屋公園があり、公園東向かいの安養寺(あんようじ)には、近松門左衛門の名作「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」に登場する紙屋治兵衛の妻おさんの墓があります。

●天神ノ森
 停留場の西に天満宮、東に阿部野神社。神社に囲まれた閑静なところ。天満宮は別名を“紹鴎(じょうおう”の森」ともいい、千利休の師武野紹鴎(たけのじょうおう)が茶室を構えたところといわれています。秀吉が淀君の安産を祈願したと伝えられる“子安石”があることから、“子安天神”ともよばれています。この天満宮横を通る旧紀州街道の西側には、秀吉が茶の湯をたしなんだといわれる「天下茶屋跡」の碑があります。

●東玉出
 今は大阪市の一部ですが、明治時代以前はここは農村地帯でした。産物のかぼちゃは昔から“こつまなんきん”の愛称で賞味され、旧紀州街道の西側を“勝間街道(こつまかいどう)”ともよびました。停留場から西へ約400mの生根神社(いくねじんじゃ)の夏祭りに出る「だいがく」は、府指定民俗文化財として有名です。

●住吉鳥居前
 日本有数の神社として関西一の初詣客を誇る住吉大社は停留場の目の前。航海の守り神として古くから信仰されてきました。四つの本宮は、「住吉造り」で国宝に指定され、また、石舞台・南門・楽所は国の重要文化財です。境内には、摂社・末社が点在しています。特に「楠珺社(なんくんしゃ)」は毎月初めの辰の日が祭日であることから“初辰(はったつ)さん”とよばれています。この“初辰さん”に4年間で48回の月参りを重ねると、「四十八辰=始終発達」するとされ、家業の発展を願う参拝客でにぎわっています。
 境内にある約700基の石燈籠は、北は北海道から南は九州まで各種の業界から奉納されています。また、この石燈籠には、江戸時代の南画家・池大雅(いけのたいが)や儒学者・頼山陽(らいさんよう)など名人の筆跡が刻まれています。

●安立町
 停留場名は、今から380年ほど前にここに住んでいた半井安立(なかばいあんりゅう)という名医にちなんでいます。停留場の西側を通る旧紀州街道沿いには、歴史が感じられる格子戸や白壁の土蔵などを残す古い商家が続きます。少し南へ歩くと、右側に霰松原(あられまつばら)の万葉歌碑があります。
“霰打つ あられ松原すみのえの 弟日(おとひ)おとめと見れど飽かぬかも” 長皇子(ながのみこ)

●我孫子道
 阪堺電車の本社や車庫があります。カラフルにペイントされた電車の写生会場として、子供たちでにぎわいます。停留場から東へ約600mの旧熊野街道にある極楽寺には、南北朝時代(約650年前)の武将楠正成(くすのきまさしげ)の奉献と伝わる古い石燈籠があります。

●大和川
 この川を境に、北側は大阪市、南側は堺市です。大和川は昔、大和平野の多くの水を集め、柏原に出て石川と合流し河内平野に流れていました。しかし、雨期の増水時には洪水が絶えなかったため、今から約300年前に中甚兵衛(なかじんべえ)らの努力によって、柏原から西へ堺まで新大和川(現在の大和川)がひかれました。このため、地続きだった大阪と堺はこの大和川で分断されることになりました。阪堺電車の鉄橋には「明治44年横河橋梁製作所」と印されていて、開通当時の名残をとどめています。

●高須神社
 下り停留場の西側には高須神社があります。堺の鉄砲鍛冶芝辻理右衛門(しばつじりえもん)は、大坂冬の陣で徳川家康から、500丁もの鉄砲製造を命じられ、直ちに納品しました。
その功績が認められて、この地を授けられ、彼は鉄砲鍛冶の繁栄を願って高須神社を建立しました。

●綾ノ町
 停留場前の旧紀州街道の少し北に、堺の初代鉄砲鍛冶榎並屋勘左衛門(えなみやかんざえもん)と、鉄砲鍛冶の第一人者である芝辻理右衛門(しばつじりえもん)屋敷跡の碑があります。

●神明町
 停留場から東へ約300mの西本願寺堺別院は“北の御坊”とよばれ、堺に遺る最大の木造建築物です。明治4年から10年間、堺県庁が置かれていたことでも知られています。堺に生まれた明治の歌人与謝野晶子はここに何度も立ち寄ったといわれ、境内の本堂前に歌碑がたてられています。また、北側の覚応寺では、当時の若き住職河野鉄南が晶子を文学に導いたということから、毎月5月29日(晶子の命日)に白桜忌(はくおうき)が催されます。

●妙国寺前
 停留場から東へ約300mの妙国寺は、明治維新直後の堺事件で土佐十一烈士が割腹した寺としても有名です。この烈士たちの亡骸は向かいの宝珠院(ほうじゅいん)に葬られ、この墓は国の史跡となっています。また、妙国寺の境内にある「大蘇鉄」は大人数でやっと抱えられるほどの見事な大きさで、国の天然記念物に指定され、この寺は“蘇鉄寺”ともよばれています。 堺刃物伝統産業会館(堺HAMONOミュージアム)が2000年7月にオープンしました。「匠」の技術によって作り出される堺の産業を展示しているほか、実演を行うコーナーなどもあります。

●花田口
 停留場の西側にあるザビエル公園は、室町時代の堺の豪商日比屋了慶(ひびやりょうけい)の屋敷があったところで、フランシスコ・ザビエルが堺で布教活動をしていたことを記念してこの名がつけられました。

●大小路
 停留場から東北へ約200mの菅原神社は“天神さん”の名で親しまれています。境内には堺戎神社および日本最古の薬祖神社(やくそじんじゃ)が祀られています。
また、府の文化財に指定されている楼門(ろうもん)には、千利休の師武野紹鴎(たけのじょうおう)が愛用した「椿の井」があり、都会では珍しく初夏にはホタルの観賞ができます。

●宿院
 停留場から西南へ約100m行くと、茶道を大成させた千利休屋敷跡の石碑が立っています。停留場の西北には、与謝野晶子(よさのあきこ)生家跡にちなんだ歌碑があります。停留場から東へ約100mの宿院頓宮(お旅所)では、毎年7月31日の夜に大鳥大社、8月1日の夜に住吉大社の神輿(みこし)を迎えて神事が行われます。その北側へ約100m入ると“大寺さん”で知られる開口神社(あぐちじんじゃ)があり“八窓(はっそう)の席”とよばれる茶室があります。また、停留場から東へ約350mの祥雲寺は、別名を“松の寺”ともいい、庭園は府の文化財に指定されています。

●寺地町
 停留場から東南へ約200mの少林寺は、狂言師にとって一人前になるための“試練の曲”といわれる名作狂言「釣狐(つりきつね)」の舞台で知られています。境内の竹も「釣狐」の登場人物白蔵主(はくぞうす)が使った竹と伝えられています。

●御陵前
 停留場から東へ約200mの臨江寺(りんこうじ)には、安土桃山時代の豪商今井一門、武野紹鴎(たけのじょうおう)の墓があります。その東側の南宗寺(なんしゅうじ)は、千利休が茶道の修業を行った寺として有名。境内には千家一門の供養塔や茶室実相庵(じっそうあん)などがあります。枯山水の庭園は桃山様式をよく伝え、国の名勝指定を受けています。この南宗寺から東へ約100mの大安寺はNHK大河ドラマ「黄金の日々」で有名になった安土桃山時代の貿易商呂宋助左衛門(るそんすけざえもん)ゆかりの寺です。本堂と現存する豪華な襖画(ふすまえ)76面は国の重要文化財となっています。 停留場から西南へ約250mの船待神社(ふなまちじんじゃ)は、菅原道真公が太宰府(だざいふ)に下るとき、この地で船を待ったという故事に由来しています。

●東湊
停留場から東へ約1.5kmの履中陵(百舌鳥陵山<みささぎやま>古墳)は、仁徳陵・応神陵につぐ大きさで、墳丘の長さ363m、後円部直径203m、前方部幅237mの前方後円墳です

●石津
 停留場から東へ約600mの石津神社は、日本最古の戎神の神社として崇敬を集めています。境内の天満宮には菅原道真公を祀っています。停留場から西北へ約200mの石津太神社(いわつたじんじゃ)は、「やっさいほっさい」の火祭りで知られています。その南にある太陽橋の南詰には南北朝時代の武将北畠顕家(きたばたけあきいえ)の供養塔があります。

●船尾
 停留場から東南へ約800mの四ツ池遺跡は、南北1km、東西600mにおよぶ弥生時代の集落遺跡です。

●浜寺駅前
南北朝時代に三光国師が建てた大雄寺(たいゆうじ)を“浜の寺”とよんだのがこの地名の由来です。この地は、万葉集にも歌われた白砂青松(はくしゃせいしょう)の地でした。明治になってこの松を切って売却しようという動きがあるのを大久保利通が知って驚き、当時の堺県令を動かして伐採を中止させたといわれます。このときの利通の嘆きを歌に託した惜松碑(せきしょうひ)が残っています。
“おとにきく 高師の浜の松が枝も 世のあだ波はのがれざりけり”
 大久保利通の奔走によって救われた松林は、明治初期に開設された浜寺公園内に120年以上経つ今も、見事な枝ぶりを見せています。園内には、プール・ばら園・交通遊園などもあって、府民の憩いの場となっています。
また、停留場からすぐの南海電鉄浜寺公園駅舎は、明治の代表的な建築家辰野金吾の設計で、明治40年に建てられた本格的な洋風デザインの建築物です。

※この資料は阪堺電車のHPを参考にさせていただきました。


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