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小田原城 総構

訪問 2018年 2月

駐車場 有り(城山公園Pを利用)
案内板 有り(部分的)


 土の城と言えばやはり後北条氏は外せないでしょう。
その北条氏のお城で筆頭と言えば本城である小田原城、7年振りの続編になります。 
 
 前回は時間制約の関係で小峯の大堀切のみの中途半端な内容に終わってました。

 で、いよいよ徹底的に小田原城の紹介ですか? と訊かれれば今回も違います。
 
 戦国最大級の巨大城郭を一度に見切れる訳もなく、丘陵地に散在する総構えに絞った見学になっております。


イメージ 1
  小田原城 総構 稲荷森

場所は以下のURLを参照して下さい。


所で 皆さんは「城」という言葉にどんなものをイメージしますか?


イメージ 34

大抵はこんなイメージでしょうか。 これは小田原城復元天守閣。
 石垣と天守閣の組み合わせ、いかにも日本の城です。
 
小田原城は江戸初期に整備された近世城郭の顔と 北条氏時代の中世土の城の二つの顔を持ちます。


イメージ 35

ちなみに個人的に「城」と言えばこっちです。

これも小田原城、天守とは線路を挟んで向かい合ってます。

 江戸時代初期、石垣造りの近世城郭に整備される際に、城の規模が縮小されました。     
    その為、中世期の遺構が近世遺構に埋没せずに併存しているのが小田原城の特徴でしょうか。

但し、中世期の遺構は近代の市街地化の波に多くが埋もれ、現状は北西方面の丘陵地帯と一部が市街地に散在する程度となっています。



イメージ 2
こちらは現地八幡古郭付近に掲示されている縄張り図です。

小田原城の現状は城の中央を新幹線と東海道線によって分断されてます。
 
 中心部に石垣造りの近世城郭部分、線路を挟んでその背後の丘陵地に八幡古郭と呼ばれる旧小田原城中枢部が控えてます。
 
  それらと城下町、北西部の丘陵地を全てカバーする形で「総構」と呼ばれる外郭防禦ラインが構築されています。
 
 全長9キロとも言われる総構えはあまりにも有名ですが、これは豊臣軍の侵攻に備えて築かれたものであって、稼働して期間は極僅かに過ぎません。


イメージ 33
 縄張り図に今回の見学ルートと郭の位置関係を加筆しました。
 
 緑丸が現在小田原城址公園として整備されている近世城郭の遺構。
関東では珍しい石垣造りの城郭で、主に江戸初期に大久保氏によって整備されました。

 青丸が八幡古郭の辺り。北条氏時代初期の主郭部とも呼ばれる所ですが 現在は小田原高校等があり遺構の残り具合は余りよろしくありません。

 八幡古郭にある P が城山公園の駐車場です。
 今回ここからスタートし赤矢印が今回、オレンジ矢印部分を次回の紹介とします。
 
 ほぼ半日かけて北西部の総構えを中心に廻りましたが、それでも全体の3割程度でしょうか。
 
 やはり小田原城は規格外の規模としか言いようがありませんね。


イメージ 32
こちらは 地形をざっくりと地図に落とし込みました。
オレンジの範囲は丘陵地になります。
 
 箱根外輪山から延びる尾根筋が小峯の大堀切の所で三又に分岐し、両翼は総構えのラインに、中央のラインはそのまま小田原城の中枢部に至ります。

 つまり、北西部の総構えで唯一地続きになっているポイントが小峯の大堀切になります。
 
 ここを突破されるともう城の中枢まで一気に到達されます。その為に小峯には3重にもなる大堀切で厳重に遮断されてます。

 

イメージ 3
 さて、前置きが長くなりましたここが城山公園です。
車をここの駐車場に停め、総構えの残存遺構を順に廻る事にします。


イメージ 4
 1番の辺り。 公園を奥に進みますと早速現れる小峯大堀切の土塁線。 

 この辺りは7年前にも取り上げましたのでサラッといきます。
 
 大堀切は手前から「東堀」「中堀」「西堀」と分かれていますが、これは東堀の土塁線の様子。

 最も保存状態が良い堀切です。土塁の切れ目から堀切内部へ邪魔します。


イメージ 5
 土塁から覗き込んだ東大堀切の様子。 相変わらず規格外の巨大堀切で圧倒されます。
 
 北条氏が存亡を掛けて掘って掘って掘りまくった大堀切は半端な規模じゃないですよ。


イメージ 6
これは最も外側に位置する「西堀」の案内板。
 この案内、以前は無かったですねぇ。
 と、言いますか前は私有地で入れなかったですね。


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「現在位置」から赤枠が解放域になります。
 
 細い回廊を通って西堀に行けるようですが、実際には民家の門扉があって私有地につき立ち入り禁止って書いてあるんですね。
 
 これはやっぱり駄目なのかなぁ と警戒しつつこの時は入ってません。


イメージ 8
こちらは東堀の堀底から見上げて撮影した画像。
 
 定番のアングルですが・・ ここだけを訪れても十分に北条氏時代の小田原城の規模は体感できるでしょうね。


イメージ 9
東堀はずーと進むと 相模湾が一望できるビューポイントになります。
 歩道の先が崖線になってますが、これが総構えの防衛線になります。


イメージ 10
中堀は現在道路に転用されてますが当時の迫力は伝わってきます。
 堀は意図的にクランクされてますね。


イメージ 11
こちらは2の辺り。

 総構の内側から撮影した小峯大堀切「西堀」の土塁線を遠景から撮影した画像。
 土塁を石積みで補強してあるのは当時の物なのかは不明です。


イメージ 12
大堀切を後にしまして、総構え北東ラインに沿って進みます。
 総構え尾根筋上は平坦な畑作地になっています。

 ちなみに、道は大変狭く車を停める余地はありません。


イメージ 13
3の辺り。
狭い舗装路をしばらく歩くと「総構稲荷森」の傾いた標柱があります。
標柱に従い畑の中を進みます。 
 

イメージ 14
そのまま進むと、崖状の総構えラインが見えて来ます。
 

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総構え稲荷森の案内板。
 
この防衛ラインは谷津丘陵の崖端地形を上手く利用して造られています。


イメージ 16
足元を見ると堀底は遥かに下。ちょっと怖い位です。


イメージ 27
土塁の嵩上げもあるので余計高低差があります。


イメージ 17
江戸期の古地図と総構えラインを合成した案内図。


イメージ 24
堀底から見上げたアングルです。


イメージ 18
崖下にはちゃんと空堀も走ってます。


イメージ 19
稲荷森から小峯の「西堀」に行けるようなので


イメージ 20
総構えラインを進みます。


イメージ 21
投石用の河原石ですかね? 確証はありませんが。


イメージ 22
ラピュタ的な所を通過します。


イメージ 23
抜けた先は何故か茶畑・・・正面の崖面は総構えのラインのようですが「西堀」はどこでしょうか?
 私有地の為 ここから撤退です。



イメージ 25
稲荷森を過ぎてこちらは 4の辺り。
 総構え山ノ神堀切。

 堀底は埋められますね、かつては総構えのある谷津丘陵を分断していたようです。


イメージ 26
その案内板。


イメージ 28
こちらは 5の辺り。
 保存されてない総構えの現況です。

 地形としては総構えの切岸は明瞭に残されてますが、堀は消滅しているようです。


イメージ 29
多少ピンボケしてますが崖ラインはずっと続いてますね。


イメージ 30
案内板も設置されてます。


イメージ 31
画像は5から6へ移動中に撮影した 小田原城中心部の遠景。

赤丸の所に天守閣の屋根が僅かに見えます。
 
 赤丸から右手の森が八幡古郭のある尾根筋のライン。 高低差のある地形が判りますか?



小田原城総構2に続きます。


  • こんにちはー!
    小田原城の惣構に感嘆した秀吉は、大坂城・京都御土居に採用し、その後の近世城下町のモデルとなった。
    惣構は、防御の最高傑作だと思います。

    3年前だったかな?
    小田原城の惣構、全部回りました。
    1日かかりましたよ。
    小峰大堀切は嬉しくて三回ぐらい往復しました。
    三重の堀なんて他では考えられない。
    ホントに凄い。
    ただ、西堀・東堀はよく理解できなかった。
    稲荷森、堀切の下に降りたんですか?
    さすがですね。
    西堀へ行けるとわかってたら降りたのに、残念無念。

    馬《●▲●》助ヒヒーン♪

    [ 馬秀のすけ ]

    2019/1/9(水) 午後 4:31

    返信する
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    馬秀のすけさん コメ有難う御座います。
    既に回られてましたか、一日はかかるでしょうね。

    西堀は確か以前は公開されてなかったはずです。今回見られましたので次回掲載します。
    防禦の最高傑作、まさにその通りかと。

    黒鍬

    2019/1/12(土) 午後 6:35

    返信する

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