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ではでは千馬山城1の続きと参ります。


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再び登場の現地縄張り図。
 この案内板ですが、城の歴史などは一切触れてないんですねぇ。

 一般的にこの位の戦術級の山城では城の築城者・築城年・用途が明確に判明してるケースは極めて稀です。
 
 従って、地元の教育委員会が城址に建てる案内板は、「〇〇と伝わる」と語尾を濁して伝承を載せるか、潔く解説を全て省くかのいずれかになる場合が多いですね。

 この千馬山城の歴史ですが、「関東の名城を歩く南関東編」では築城は16世紀中頃から末、築城者は用土新左衛門。 築城目的は後北条氏の秩父支配の為、 とあります。

場所柄 後北条氏との関連性は間違いないでしょう、特に荒川をそのまま下れば北条氏邦居城の鉢形城に至るので。


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主郭の裏側(西北の尾根道)に降ります。


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降りて主郭を見上げて撮影。
絶壁と言ってもよい切岸によって裏側は守られいます。


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ここにも半ば埋もれた石積み遺構が残ります。


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西北の尾根道は細尾根を利用した郭です。千馬山城の搦め手でしょうかね。


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こちらは2郭から東の郭Ⅱへ降りる道がある辺りの堀底・・縄張り図にある道は消滅しているのか虎ロープで通行止めの措置が取られています。


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東の郭方向は諦めて3郭方面へ向かいます。
 こちらは2郭と3郭方面を分ける堀切。


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3郭の先端を目指します。


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絶景ポイント。荒川流域が良く見えます。


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こちらは3郭と城外を分ける2重堀切の様子、ですが光の加減と撮影の下手が合わさって判り難いですね。


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石積みで補強されていた痕跡があります。


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戻りながら再び、東の郭 への道があったと思しき場所を再度撮影。
 降りたら道の痕跡くらいは残っているかな? と


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好奇心に負けて竹藪に突入です。
画像は少し降りてから振り返って撮影したもの。
 
 予想どおりと言いますか、道なんて全くありません・・・とにかく荒れ放題の竹藪ですね、真冬以外は大変な目に遭いそうですよ。


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それにもめげず石積みを発見。


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 段々の小郭群と竪堀があるようですが、藪が酷くて縄張りの全体像を掴めず。


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下の方にまだ段郭は続きます。 が、ちょっと降りられないです。


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小郭の一つ。


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 いやいや 〜 ちょっともう限界です。  

 だいぶ判断が遅いですがここで撤退です。


所要時間 1時間半


千馬山城の評価は 4 とさせて下さい。

 廃墟と化したお隣の天神山城よりは多少の整備がなされている分、城巡りはまだましと言う所でしょうか。
 それにしても、城に辿り着くまでが判り難い事。
 
 折角 関東では珍しい石積み遺構が残る山城なのでもう少し整備されてもいいかと思いますが。

 随所に残る石積みを伴った堀切等はこの千馬山城の見所の一つと言えるでしょう。

  • 方向音痴の我が輩、事前に充分に下調べしても登り口みつけられなくて、適当な場所から直登りしそうです。
    しかし、本格的な山城としていい感じですね。
    自治体としては城主が誰かわからないと整備する気が起こらないのかな?

    馬《●▲●》助ヒヒーン♪

    [ 馬秀のすけ ]

    2019/4/10(水) 午前 8:05

    返信する
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    馬秀のすけさん コメ有難う御座います。
    自治体の意向はご推察のとおりかもしれないですね。ここは主郭に案内板があるだけまだましですが・・こんなに判り難い道案内で一体何人の人が案内板を見たというのでしょうか。

    黒鍬

    2019/4/28(日) 午後 10:21

    返信する

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