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できてるじゃないか・・

 と言われそうですがこの所 画像の投稿で不具合が発生。 

ヤフーブログでは 1記事あたり30MBの制限があるのですが、制限未満でも全て容量オーバー扱いになるようで、エラー表示が出て投稿不能です。

 
 あれですかね・・早めの立ち退き要求?

不本意ですが、本ブログでのお城記事の投稿は 終了です。

 ヤフー側の通知によると提供する他社ブログへの移行ツールでは頂いたコメントの移行はできない・・

 ならば と言う事でFC2ブログのデータインポート機能を使って、ヤフーブログのデータをコピーしてみました。


FC2ブログ版の「ちょっと山城に」へはこちらから

ネット情報どおりにコメントも無事引っ越しができたようで一安心。


 まだFC2で記事は書いてませんが全体的な印象としては、レイアウトなどの詳細設定の自由度が高いですね。
 機能を使いこなせればはてなブログよりもいいかも。

でもアクセス解析機能がないんですね、ひとまずアクセスカウンターだけは付けてみましたが、これじゃどの記事が注目を浴びてるのか全く判りません。

 ヤフーブログ停止まではまだ少し時間が残されてますので、それまで色々いじってから引っ越し先を決めようかと。



 6月も下旬に入り、既にかなりのブロガーの方がヤフーブログから脱出をされているようです。
  
 編集機能の停止まであと2か月ちょっと言うタイミングでは当然の流れかもしれませんが・・


イメージ 1


 さてさて、当ブログの近況ですが移転先は決まってません。それどころから最近はサボってばかりの状態です。

 それでも移転先の模索という訳で先日「はてなブログ」の無料版を開設し、 そこで今後の運用試験として「上ノ山城」の記事ををアップしてみました。
 
 
無料版のはてなブログは機能制限が多くあり、ヤフーブログの方が機能として充実している印象がありますね。



 はてな版の「ちょっと山城に」はこちら


神宮寺城

訪問 2018年 3月

駐車場 無し(駐車余地有り)
案内板 有り(縄張り図無し)


 単発で茨城のお城紹介になります。

神宮寺城を一言でいうなら ザ関東平野のお城 でしょうか。
 地形の起伏が乏しい地域になりますので土塁と空堀を主体とした防禦構造になります。
 また神宮寺城の特徴としては、防衛よりも城域の確保に主眼が置かれていたような縄張りを持っています。


イメージ 1
 神宮寺城 1郭2郭間の空堀


場所は以下のURLを参照して下さい。


イメージ 2
神宮寺城の位置をグーグルマップに落とし込みました。
 
 霞ケ浦がいつもより大きい・・ですよね、 これは以前紹介したFL00D MAPS で水面を6m上げて低地を水没させた状態です。

 これで 中世まで存在した香取海を再現しました。
 水域はあくまでも推測ですが、まぁ中世の関東平野は我々が思うよりもずっと内海が内陸まで侵食している水郷だったと思います。

 こうすると、今では関東平野にポツンと残る神宮寺城ですが、当時は半島の先端に築かれた立地であった事が判ると思います。


イメージ 3
適当な縄張図が入手できなかったので又しても余呉さんのホームページから借用させていただいております。

 現在残る縄張りは比較的単調な物になります。
 平坦地に空堀と土塁を巡らせて幾つかの郭を設けています。


イメージ 4
図の上端にある県道107号沿いに城の案内があります。
 
 車はこの脇に停められましたが・・この時なにやら造成工事がされていたので現在停められるかは不明です。


イメージ 5
城の歴史は意外と古く南北朝時代の南朝方が城に拠っていた事が示唆されています。
 後半にでてくる小田城・関城・大宝城 偶然にも全て訪問済でした。

 なにか南朝方に縁でもあるんですかね・・


イメージ 6
さっそくお邪魔します。
 正面の森が1郭の空堀と土塁線。


イメージ 7
でも その手前にも浅い空堀が残存してます。


イメージ 8
畑側にも僅かに空堀の地形が確認できます。


イメージ 9
畑側の空堀を縄張り図に加筆した所。
 本来は工場の敷地まで延びていたのかもしれませんね。


イメージ 10
こちらは1郭の空堀に接近して撮影した所。 古い城郭遺構ですがこの辺りは良く遺構が残されてます。


イメージ 11
空堀がきれいなラインを描いてますね。


イメージ 12
こちらは1郭土塁の上から郭内部を撮影した所。広大な敷地が確保されています。


イメージ 13
土塁上の石碑。


イメージ 14
1郭内部に降りて全体を撮影。 


イメージ 15
土塁に沿って溝状に掘られた地形が残ります。
 これは郭内部の排水用ですかね。


イメージ 16
虎口を抜けて2郭へ


イメージ 17
1郭・2郭間の空堀は荒れ果てた竹藪でとても入れてものじゃないです。


イメージ 18
1郭の土塁線上から2郭方向を撮影。
 2郭内部も荒れ放題で、ちょっと入る気がおきません。


イメージ 19
土塁線だけは歩ける状態です。


イメージ 20
場所は変えましてこちらは3郭の状況。
切岸地形が僅かに残存します。


イメージ 21
土塁も微妙な具合に残っていますが 3郭の遺構はかなり改変されてますね。




神宮寺城の評価は 3 とさせて下さい。

平地の遺構としては残存具合はまぁまぁと言った所でしょうか。
 
 縄張としてはシンプルですが空堀・土塁はかなりの規模で造作されており見ごたえがあります。

 現在残る縄張りから推測すると本来はもっともっと城域は広かったのでしょうね。
 同じ茨城の小田城の様に幾つもの郭を多層構造で連結していたのではなかったのかと・・


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