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吉見百穴にある地下軍需工場跡
2012年2月訪問
 
 久々に近代ネタを掲載します。
吉見百穴は、日本史の授業でも登場するので名前だけでも覚えている方も多いと思いますが 古墳時代に造られた横穴式墳墓です。
 その特異な景観から 議論をよびコロポックル!の住居説まで飛び出していたとか。
 
 
イメージ 1
 
穴が百もありそうなので百穴なのでしょうね。 柔らかい凝灰岩の山肌をくり抜いて作られており、当時は更に緑泥片岩の蓋で玄室は塞がれていたそうです。
 観光客が沢山おります。
 
 
 

詳しい地図で見る
 場所は この辺りです。 標識が街中至る所に出ているので迷うことはないでしょう。
 
ちなみに 標識のアルファベット表記はhyakuana でした。 ヒャッケツと習った記憶があるので疑問に思い調べたら両方正解のようです。
 道路挟んでかの有名な武州松山城址がありますが、そちらの模様は又別の機会で。
 
 
イメージ 2
壁面上部までびっしりと穴が穿たれています。
 ちなみに中に入れる穴もあります。 入口は狭いながら、内部はドーム状の広い空間で、床は排水を考慮してか外側に若干の勾配が付けられていました。
 内部は 何となく撮影を遠慮しております。
 
 
 
イメージ 3
 
 こちらは 先の戦時中に掘られた地下施設の入り口です。
  ここでは3本あって 真っすぐ伸びたトンネルが内部で横トンネルと交差する井桁の様な造りでした。
 
解説板によると 中島飛行機大宮工場のエンジン製作部門を、そっくりここに移転し、空襲から守る為に造られたそうです。
  実際は本格稼働する前に終戦を迎えているようです。
 
 
イメージ 4
壁も天井も素掘りのまま、 床も凸凹が残り ここで本当にエンジンの製造ができたのかちょっと疑問です。
 
 
イメージ 5
 奥は真っ暗でかなり怖いですよ。 フラッシュの光も奥まで届きません。
 公開されている範囲は地下工場の極一部だそうです。 
  左上に光の玉? が写り込んでますが、手前の埃がフラッシュの光を反射しているだけです。
 
 
イメージ 6
奥には行けないように塞がれています。
 
 
イメージ 7
振り返って撮影。 
 このトンネルを掘ったのは全国各地から集められた3000〜3500人の朝鮮人労働者だったそうです。
 後々揉めそうな状況ですが、現地の案内板によると
 
 「堀削工事に従事たい最後の朝鮮人と言われた人の帰国に際し関係者により催された懇談会の席上、 日本と朝鮮との平和を希望して植えられたムクゲの苗木は、現在もこの地で生長を続けています。」
 
 と あります。 
 デリケートな問題なのでこの位にしますね。
 
おまけネタ
 
イメージ 8
埋蔵文化センターにあった 地元高校生作成の松山城の模型です。
 ケースの手前にスイッチがあって、本郭等の各ボタンを押すと赤とか緑のランプが付く仕掛けになってます。 
 
 
 
 
 
 

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