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ではでは 小田原城総構1の続きと参ります。

 所で、城の周りを更に防衛ラインで覆う総構え、この発想は小田原城が初のように思われる事もありますね。

 しかし、お城を巡ってますと、城本体から離れた所に堀を巡らせてる事は結構あります。 遠構え とか呼ばれることもあるようです。
 
 例えば、城の3方が河川によって守られているとします。

1方だけが地続きの立地の場合、その一方だけに城から離れた地点に堀を渡すとか、敵の攻撃が予想される方面の防禦の縦深を確保する目的で築かれてる事が多いようです。 
 
 主防衛線は城の外郭部ですが、接敵までの時間を稼ぐ意味合いが強いですかね。
 
 しかし、小田原城では思い切って外側のラインを主防衛ラインにしている点が画期的だったのかと考えてます。
 
 では接敵までの縦深はどこで確保したのか と言えば箱根山中に残る「山中城」などの戦術級の要塞群ではなかったのかと。
 
・・・話がマニアック過ぎてきましたので ここでウンチクは終わります。

イメージ 1
再び登場の案内図。
オレンジの6番からの紹介になります。


イメージ 2
6の辺り  
 総構え城下張出
 住宅地に残る空き地に見えますが、違います。


イメージ 3
奥まで進むとご覧の通りの空堀遺構が姿を現します。


イメージ 4
その案内板。


イメージ 5
堀底側から見上げて撮影。
 いい具合に残ってますね。


イメージ 6
麓から城下張出を方面を撮影。
総構えのある谷津丘陵末端部に位置します。


イメージ 7
 市街地をしばらく歩き  7 の辺りまで移動しました。
 小田原城模擬天守とJRの線路を挟んだ位置になります。
 
ここには八幡山古郭東郭の切岸地形が一部再現されています。
 

イメージ 8
途中まで登って撮影。


イメージ 9
天守閣が近くに見えます。


イメージ 10
あちらは賑わってますね、 向こうからはどう見えているのでしょうか?
 変な人が枯草の写真撮ってる〜 と見えているのでしょうかねぇ


イメージ 11
 何と言ってもこちらは誰もいません・・・同じ小田原城でもこの差。
アウェー感が凄まじいい。
 
ちなみに、今回も天守閣方面はパスしてます。
 時間が足りないのも一つですが、訪問優先度もまた低い。

 戦国期城郭が醸し出す独特な緊張感が好きでなので、私の中の小田原城は断然こっち。


イメージ 12
さてこちらは 小田原高校の脇 8の辺りにある案内板です。


イメージ 13
そして 同地点の三味線堀の様子。 
と言っても現状ではよく判りませんし、高校の敷地なので余りゆっくり見ていられない雰囲気。


イメージ 14
再び小峯の大堀切の地点まで戻り、大堀切より外側に位置する突端状の総構えを見学します。

こちらは 9の辺り。
 小峰大堀切「西堀」末端部の御鐘の台の石碑。


イメージ 15
その脇の埋め立てられた「西堀」の案内板。


イメージ 16
付近の「西堀」は上端部の石列を残してほぼ埋没してます。


イメージ 17
こちらは 10の辺り。

 総構え突端部西側を守る土塁線。 
 土塁の切れ目から総構えライン外側に降りられるようです。
 

イメージ 18
土塁上は不法投棄で荒れ気味。


イメージ 19
石積みの跡ですかね、土塁の際に散乱してます。


イメージ 20
土塁線の外側は長い腰郭状の平坦地が続きます。
 こちらは虎口から腰郭を見上げて撮影したもの。


イメージ 21
元に戻り突端部を更に進みます。


イメージ 22
11の手前辺りの様子。
 みかん畑の中を進みます。
 
 自然の段丘面か切岸かは判断に苦しみますが このような崖端が続きます。


イメージ 23
11の辺り。
総構え先端部はなだらかに下り、広い車道にぶつかって終わります。
 恐らく地形は改変されているでしょう。


イメージ 32
戻って12の辺りの案内板。
自然地形の総構えを外側から撮影する目的で移動しました。


イメージ 24
総構えライン東外側を守る空堀が良好に残っています。


イメージ 25
そのまま堀底を進むと・・・突端部を断ち切る大堀切が見えてきました。
 これが小峯堀切「西堀」の残存部分。 今回初めて見ます。


イメージ 26
折角なのでお邪魔します。

 堀の規模は東堀に匹敵しますね、半分埋められたのが惜しいですが今回「西堀」の見学が叶ったのかが嬉しいですね。
 
堀底に畝堀状の石積みが見えますが これは後世のものと思います。


イメージ 27
堀上から撮影。 
 この圧倒的な迫力。


イメージ 28
付近詳細図。
3本の堀切が織りなす複雑な防御線に痺れます。


イメージ 31
「現在位置付近」の様子。
 堀は埋まってますが土塁は健在。


イメージ 29
「西堀」内側に走る土塁線。幅を広くとってますね。


イメージ 30
「現在位置」付近の中堀との連結部の土塁。

 西堀は立ち入り可能な部分が限られてます。 注意しての見学が必要です。

 今回の小田原城総構え巡りは以上になります。



所要時間 3時間半

小田原城総構えの評価は 5 とさせて下さい。

 
 これでやっと3分の一程度は小田原城を巡れたでしょうか。 あと何回足を運べば小田原城コンプリートできるのやら・・です。

 さて、総構えの現状ですが 予想よりも残ってました。
今回は丘陵地の遺構ばかりを見たのでそのような印象を持ったのかも知れません。
 
 天守閣もいいですが、総構えもいいですよ。 

 と、言いますか総構えの方が断然いいですね。 観光資源にはならないかもしれないですが。

 所で、 
江戸期における近代化整備の際に、八幡古郭や総構えは放棄されました。
 
 通常なら邪魔な堀は埋まられ耕作地化されるのが一般的ですが、実際には地形的に現在でも明瞭に残されています。
 
 これは意図的に静態保存されていたのでしょう。
 
 特にアキレス腱とも言える小峯の稜線を守る大堀切は地形だけ残っていれば有事にはすぐ現役復帰できますし。


 さて、総構えの効果についての私見です。

 有名な秀吉軍による小田原攻めでは、北条氏は貝のように城に籠って無為に時間を浪費し結局降伏しました というのが一般的な見解でしょう。
 
 城で逼塞してる間に、秀吉は戦場で茶会を開いたり石垣山に坂東武者があっと驚く近代的な石垣造りの城を築いたりと。
「小田原評定」という言葉もありますね。

 私見では、時間を無視に浪費していたのは秀吉側も同じではなかったのかと考えてます。
 全国から兵を動員しながらこの総構えさえ突破できてないのですから。

それに自身の大坂城にも同じ総構えを造ってますし、効果がなければ居城に同じものを築く訳がないでしょう。


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