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逆説の日本史9で井沢さんは、次のように独自の見解を述べています。
長篠の合戦は、織田軍と武田軍が激突した合戦で、戦国一強いといわれた武田騎馬隊を織田軍が馬防柵と3000挺の鉄砲で粉砕し、鉄砲の優位性と織田信長の天下取りを決定付けたとされる、日本史上最も有名な合戦です。
この時、織田軍の鉄砲隊は、当時の火縄銃では、連続発砲が出来ないため、3列の備えを敷き、一隊が射撃する内に他の隊は射撃準備をするという方法を採って、武田騎馬隊を撃滅したとされているわけです。
こうした鉄砲の使い方に信長の天才性を認めることは、既に常識なのですが、井沢さんは、更に考察を進めています。
確かに鉄砲の破壊力は、すごいですが、しかし、当時は火縄銃ですから、3列に別れていても機関銃のような連続発砲と言うことは不可能ですし、走る騎馬に命中させることもそんなに簡単なことではない、ということから、井沢さんの独自の考察が始まるのです。
そのヒントは、蒙古襲来の時の絵(画像)にありました。絵では、日本の武士の乗った馬が暴れているようすと蒙古軍は、矢を撃ちかけている姿のみが描かれていますが、実は、この時蒙古軍は、「鉄炮 」という手投げ弾を使用しており、その爆裂音に驚いた馬が暴れているのだそうです。
そもそも馬は、感覚に鋭敏な動物で、戦場でも大きな音を聞くと驚いて暴れてしまうことが多いそうです。そのため明治以降の軍馬は、特別の戦場訓練を施していたそうですが、長篠の合戦の時の馬は、何しろ3000挺の火縄銃の一斉発砲という日本史上初めての爆裂音を聞かされた訳ですから、その驚きは大変なもので、こうして進みを止めて混乱する武田騎馬隊を、狙い打ちにすることによって、織田軍は勝利を得たのであろう、と言うわけです。
火縄銃の音による馬の混乱を見抜いていたであろうところに織田信長の天才性があったという井沢理論の独自性がここでも認めることが出来ます。
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