熟年夫婦の明日香村移住日記

05年にしぐれさんと憧れの飛鳥に転居した、元東大全共闘、ムラ弁護士のカキシャンの文化に目覚める日記

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逆説の日本史9で井沢さんは、次のように独自の見解を述べています。

長篠の合戦は、織田軍と武田軍が激突した合戦で、戦国一強いといわれた武田騎馬隊を織田軍が馬防柵と3000挺の鉄砲で粉砕し、鉄砲の優位性と織田信長の天下取りを決定付けたとされる、日本史上最も有名な合戦です。

この時、織田軍の鉄砲隊は、当時の火縄銃では、連続発砲が出来ないため、3列の備えを敷き、一隊が射撃する内に他の隊は射撃準備をするという方法を採って、武田騎馬隊を撃滅したとされているわけです。

こうした鉄砲の使い方に信長の天才性を認めることは、既に常識なのですが、井沢さんは、更に考察を進めています。

確かに鉄砲の破壊力は、すごいですが、しかし、当時は火縄銃ですから、3列に別れていても機関銃のような連続発砲と言うことは不可能ですし、走る騎馬に命中させることもそんなに簡単なことではない、ということから、井沢さんの独自の考察が始まるのです。

そのヒントは、蒙古襲来の時の絵(画像)にありました。絵では、日本の武士の乗った馬が暴れているようすと蒙古軍は、矢を撃ちかけている姿のみが描かれていますが、実は、この時蒙古軍は、「鉄炮 」という手投げ弾を使用しており、その爆裂音に驚いた馬が暴れているのだそうです。

そもそも馬は、感覚に鋭敏な動物で、戦場でも大きな音を聞くと驚いて暴れてしまうことが多いそうです。そのため明治以降の軍馬は、特別の戦場訓練を施していたそうですが、長篠の合戦の時の馬は、何しろ3000挺の火縄銃の一斉発砲という日本史上初めての爆裂音を聞かされた訳ですから、その驚きは大変なもので、こうして進みを止めて混乱する武田騎馬隊を、狙い打ちにすることによって、織田軍は勝利を得たのであろう、と言うわけです。

火縄銃の音による馬の混乱を見抜いていたであろうところに織田信長の天才性があったという井沢理論の独自性がここでも認めることが出来ます。

倭寇の真実

逆説の日本史 9を読んで

カキシャンの先祖は、瀬戸内海の塩飽海賊(水軍)であることはまず間違いなく、従って中国に倭寇として出張っていたものだとこれまで考えておりました。

 倭寇によって滅ぼされたと言われる明ですが、しかし、井沢さんによれば、この「倭寇」のうち本物の日本人は極めて少なく、その内実は、倭寇を名乗った中国窮民がほとんどであったことが、中国自身の資料で証明できるようです。

 かといって真の日本人倭寇がいたことも間違いないようですので、この点は間違えてはいけませんが、歴史の真実に向き合う姿勢をしっかり持たなければいけないな、と再認識しました。

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画像上3枚は、発掘地の全景

画像下は、遠景に甘樫丘が写っています。

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読売2007.3.28朝刊を見て、朝7時にカメラを持って現地へ。

現地は、奥山交差点から数百メートル南の、県道・桜井・明日香・吉野線沿いの、丘陵地上にあり、今も住居地としては、最も高い場所にあると言ってよいと思います。

当時、ここまで高級住宅地が、広がっていたとすれば、飛鳥時代後半には、飛鳥盆地全体が、都邑として利用され尽くし、手狭になって、すぐ北に藤原京を建設しなければならなかった事情が、よく理解出来ます。

また、平安〜中世時代の遺構も発掘されたということから、もいったん放棄された飛鳥の都に遅くとも中世から新たな人々の営みが復活したことが確認されると思います。

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