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朝日新聞に、東大襖クラブの記事があり、懐かしく記事を見ました。 カキシャンもアルバイトに襖張りを選び、最後にはマネージャーまでしておりました。 1日中お客のお家に伺って襖張りの仕事ですが、「技術職」でもあり、アルバイトとしては、いい報酬でした。 東大生の襖張りということで、お客さんには大事にされました。娘さんがしょっちゅう顔をだすお家もあったりして。 身についた技術のおかげで、自宅の襖は今でもカキシャンが自分ではっております。 東京大「襖クラブ」 苦学生の技、半世紀伝承2008年12月24日 印刷 ソーシャルブックマーク 東大襖クラブ=倉田貴志撮影 日本家屋で部屋や押し入れを仕切る「ふすま」。その出張張り替えを請け負うサークルが、東京大学にある。かなり珍しいサークルだが、歴史は50年以上。戦後、大学が「苦学生の生活費稼ぎに」とつくったのが始まりらしい。 練習場所は、東京都目黒区の駒場キャンパス。10平方メートルほどの狭い部室の壁には、練習用のふすまが約10枚重ねて立てかけられ、部員が黙々とはけを動かす。部員はいま十数人。2年生の中島章さん(20)は「ピシッと張れるとうれしいんですよ」。やはり、もの珍しさから入部し、すぐに夢中になった。 初代の部員が、大学近くの表具師に弟子入りして学んだ技を、代々受け継いできた。毎年数人の新入生が入り、「一人前」になれるのは、だいたい1年後という。 東京のほか埼玉、神奈川、千葉の3県で、出張張り替えサービスを続けている。費用は交通費と紙代と手間賃を1枚につき千円。障子張りも扱う。専門業者の半額ほどという割安感が受け、年約100件の注文をこなす。時にはアパートなど、大口の注文もある。(原田朱美) * ふすまの形や紙は様々。部室には、いろんな練習素材を取りそろえている |
40年前の東大全共闘
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受けていた取材に基づき、昨日産経新聞朝刊に記事が載りましたので、記録しておきます。 【さらば革命的世代】(8)ムラの弁護士の転向論 2008.6.26 20:54 このニュースのトピックス:さらば革命的世代 東大全共闘と機動隊の攻防戦で炎が上がる安田講堂前=昭和44年1月19日、東京大学 ■「左」から「右」へ 全国で「村」にある弁護士事務所はわずか3件。そのうちの1件が奈良県明日香村にある飛鳥京法律事務所だ。 ここで一人、孤塁を守る弁護士の松原脩雄さん(63)は東大全共闘の元闘士だった。 昭和44年1月の安田講堂攻防戦で凶器準備集合罪などで逮捕、起訴された一人でもある。 「塀の中に入った人の気持ちが分かる」という異色の弁護士だが、還暦を過ぎた今の思想を尋ねると「どちらかといえば右」と答えた。 「考え方が変わったということ。つまり転向です。伝統的保守を大事にする民主主義に落ち着きました」 消費税の是非が問われた平成2年の衆院選では、当時の土井たか子委員長のもと、請われて社会党から出馬し、衆院議員を1期務めた。 ただ、同党の非現実路線にはすでについていけず、政権交代能力のある政党に変えようと自衛隊や原発容認論などに取り組んだ。 最終的に社会主義や共産主義と決別するきっかけになったのは翌年のソビエト連邦の崩壊だった。 「マルクス主義の世界観が完全に終わった」と思った。 全共闘世代で、松原さんのように堂々と「転向」を口にする人は、むしろ少数派だ。 転向という言葉に後ろ暗い意味合いを持たせ、自らの過去や思想の移り変わりをはっきりと語らない人も多い。 若かりし日には、なぜ運動をするのかと問われ「ベトナム戦争」「大学解体」と明快に答えた人たちも、運動から離れた理由については口をつぐんでしまう。 松原さんは、選挙戦でも運動歴を隠さなかった。 「昔で言うところのゲバ学生でした」と演説などで公言し、弁護士事務所のホームページのプロフィルにも「逮捕歴」が記されている。 過去を隠すつもりはないのは「徹底的に体を張ってやった」「完全燃焼した」からだという ■あえて火中の栗を拾う 大阪府立大手前高校から昭和39年に東大進学。 中学、高校はラグビー少年だったが、入学直後から新左翼セクトに入り、マルクスを読みふけった。 逮捕歴は5回、留年は3回にのぼった。 安田講堂事件では、その年の夏まで勾留されたが完全黙秘で執行猶予判決を受けた。 何も知らずに警察に呼び出された母親は、逮捕歴の数に驚いたという。 「僕は体育会系ですから、デモでもストライキでも、理論より身体を張ることが大事だと思った。自らが当事者になることで、権力に対する怒りに震え、機動隊に殴られて痛みを知る。それをやることで人間は変わる」 実は松原さんは、落城直前の安田講堂にあえて飛び込んでいる。 当時、すでに運動の一線を離れていたが、「同志が体を張っているのに、何もしなければ一生後悔する」と思ったからだ。 率先して火中の栗を拾った行動に周囲は驚いた。 一方で、途中で逃げ出したり、運動の中枢に飛び込めなかったメンバーの中には、いまだ不完全燃焼の思いを抱き、コンプレックスを抱く人もいるという。 ただ、松原さんが現在のように「きっぱり」と過去を総括できたのは、その後の弁護士や代議士としての成功体験が大きいからではないか。 当時の運動経験者の中には就職もままならず、社会から身を隠しながら、過去に目をつぶって生きてきた人もいるからだ。 松原さんは「そうかもしれません」と否定しなかった。 その上で、「みなそれぞれ、人生の分かれ目のようなものがあったのだと思う。結果論ですが、私は、何とかうまくいくように自分を変えてきたのだと思う」と話した。 ■あの時代に戻れたら 弁護士ゼロの明日香村に事務所を構えたのは昨年3月。 全共闘時代の「大衆とともに生きる」という思想と「日本の伝統文化の源流の地」という、いわば「左」と「右」2つの理由からだった。 村の弁護士として活動は地域密着型で、村民の相談には安価で応じる。 一方で息長く続けるため、村民同士の係争は受け付けないとも決めている。 以前に、弁護士仲間と同じ奈良県内で事務所を開いたときには、「貧しい人のために」と積極的に国選弁護人を引き受けながらも、「思想的な壁にぶつかった」。 どちらが勝訴するにせよ、司法という制度自体が国家に権力発動を促す行為だと感じたからという。 「今にして思えば、反権力や左翼のイデオロギーからはなかなか抜けきれなかったのだと思う。ただね、負けてしまった思想にいつまでもこだわらざるを得ないようになると、だれとも話が合わなくなる。逆に話ができる人がいたり、全共闘の同窓会というようなものがあったとしても絶対行かないですけどね」 現在好きな作家は「日本人の伝統や生き方を考えさせられる司馬遼太郎」。 好きな政治家は「自民党はダメなので小沢一郎」。 築100年の古民家で、和服姿で六法を開く姿に「元左翼活動家」の面影は微塵(みじん)もないが、それでもかつての自分の行動が間違っていたとは決して思っていないという。 むしろ「あの時代に戻れたら、また参加するかもしれない」とさえ言う。 思想的には間違っていたとしても、あの運動自体は、若者たちが「私」ではなく「公」のために自己を犠牲にした闘いだったと強く思っているからだ。 「僕は当時の学生たちの行動や勇気は歴史として語り継がれるべきだと思っている。この国がおかしくなったときに真っ先に声を上げなければならないのは次世代を担う学生たちだからだ。この先も自由で安全な社会が続くかどうかは分からない。再び学生が街頭で立ち上がらなくてはならない日がくるかもしれないのだ」 現在、大学生になる息子たちには、そう訴えているという。 |

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ある新聞社から、40年前の全共闘運動について取材を受けました。 |

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