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あれは、昭和45年か46年頃だったと思います。当時のプロレスの情報源といえば、「月刊ゴング」と「プロレス アンド ボクシング」という月刊誌だけでした。プロレス界は、老舗の日本プロレスと新興の国際プロレスの二団体だけでした。日本プロレスには、馬場と猪木という二大エースが揃っており、日本テレビで全国放送されていました。一方で、国際プロレスのエースは杉山でしたか。小林はアメリカに遠征してました。TBS が全国放送してましたが、僕の田舎では TBS 系列の民放がなかったので、中継を観ることは出来ませんでした。月刊誌の扱いは明らかに日本プロレスに片寄っており、国際プロレスのレスラーが表紙を飾ることはなくて、グラビアに登場することはありましたが、白黒が多かったですね。マスコミへの露出が少なかったことから、伝説めいた雰囲気が漂っていたものでした。杉山のフィニッシュホールドは「雷電ドロップ」、あんこ型の杉山でしたから、個性的といえば個性的でした。この杉山がビルミラーに破れて、虎の子の IWA ヘビー級タイトルが海外に流出したわけです。日本プロレスのレスラーと国際プロレスのレスラーとの実力の比較というものは、共通する外人レスラーとの絡みでしか推測することが出来ませんでした。その意味では、杉山がミラーにフォール負けしたのは重要でした。ビルミラーといえば、全盛期は過ぎていたものの、日本プロレスのエース外人レベルの実力はありましたから。つまりは、杉山の実力というものは、日本プロレスでいうならば、三番手の大木金太郎クラスだろうという推測です。しかしながら、小林がミネソタ州ダルースで、このビルミラーからフォールを奪ってベルトを奪回したニュースには、大きな価値がありました。ひょっとしたら、小林は馬場、猪木クラスのエースになるんじゃあなかろうかということです。本記事におきましては、この国際プロレスの名シーンを回想してみたいと思います。 |
プロレス
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