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此の半年間は針のむしろに座されているような日々が続いています。
ブログにに書こうかだいぶ迷った末の投稿です。 私の心境は人間として生まれてきた物には必ず遭遇しなければならない出来事ですので体験として綴っておきたいと思います。 もうすでに何回かFBでは92歳の父が昨年の暮れ12月に膵臓癌が見つかりすでに4㎝手遅れ。年齢や癌の出来た部位では70代でも難しいと言う所見。と書きました。 私の仕事の関係で多くのDrの意見を聞いても「痛みがないのならお父さんの好きなように、したいようにさせてあげるのが一番いいでしょう」と言うことで何人かの外科医のDrは、「先生半年ですね。」というアドバイスをもらいました。 そして父の主治医の先生もアトリエバラの生徒さんですが開業医の先生ですから終末医療は群大の父の担当医と相談して自宅の近くの総合病院に連絡を入れてもらって癌が発見した段階で今年の初めに末期医療をおねが...いしました。 なんと士長さんも医院長さんも私の店の「お好み焼き響陶」のお客さんでしたのは話が早くて助かりました。 私が週に一度同じ風呂に入っているので父の異変に気付いたのは実は昨年の7月頃にはどこかに癌があるのではないかという不安は合ったのですが毎年の検診普段でも主治医の先生による検査を行っていたのですが膵臓癌見つかりませんでした。 大変見つけづらい場所の癌です。 3年前には年に一度は車で行ける温泉地・その数年前までは日本全国の温泉ツアーと出かけていたのですが此の2年はさすがにツアーについて行けず火曜定休日には必ず父を日帰り温泉につれてゆきました。 私が週に一度同じ風呂に入っているので父の異変に築いたのは実は昨年の7月頃にはどこかに癌があるのではないかという不安は合ったのですが毎年の検診普段でも主治医の先生による検査を行っていたのですが膵臓癌見つかりませんでした。 大変見つけづらい場所の癌です。 7月頃から体重も減り始め65㎏の体重が今では47㎏と骨と皮の状態で先週まで日帰り温泉につれてゆきました。 此の数週間は一緒に入って介助しながら「もう来週は無理かな?」と思う連続でしたが 話は長くなりましたが知り合いの外科医の推察通りまもなく6ヶ月目に入ろうとする2〜3日前から食事が殆ど取れなくなりました。 昨日も親戚の私より一つ下の内科医のところで次女の子供の内祝いをかねて父の事を相談しに行きましたが色々アドバイスをもらってきました。 そして昨日・今日と殆ど食事が出来ない状態で今口に手着る物はと聞くと「スイカが食べたい」という言葉で家内がスーパーに買いに行きました。 明日は父を連れて入院の相談にいよいよ行く決心をしました。 今回の病院に行くと言うことはもう二度と家には帰れないという事になるでしょう。 私母も15年前大腿骨骨折で入院して院内感染なとで3ヶ月でなくなりました。74歳でした。 家内の父も昨年の12月大動脈瘤の破裂で入院3日でなくなりました。92歳私の父と同じ年。 事故や怪我で致し方なく救急搬送で入院というのであれば致し方がないのですが食事が取れなくなり今や癌は膵臓から肝臓そして各所に転移しています。 私は今年63歳、後10年で母の亡くなった年になります。父とは63年間のつきあいです。 私は兄弟がいませんのであるときはと父でありあるときは兄弟であり又あるときは良き人生の先輩だった父の癌という病魔で階段の段差を下るように落ちてゆく父の姿を見ることは耐えがたい物があります。 しかしこれも明日は我が身。 人間すべからく、どんな形でも受け入れなければなりません。 私が医学部の教官だった頃私の専門はリハビリでしたが学生に同じ病名・同じ症例であっても患者さん一人一人の数だけ答えがあると話してきましたが、亡くなり方も人の数だけあるということは分かっていても目の前に突きつけられ、真摯に向き合わねばならないと今は 痛感しています。 最後にこんな状態ですのでお店「お好み焼き きょうとう」の営業も不規則で、「アトリエバラ美術教室」の生徒さんにもレッスン日の変更などご迷惑をおかけしております。 |
ちょっと重たい死生観
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1月の27日は義父の49日ママ先生一人が岩国へ参ります。
私も同席したいのですが家には余命を宣告された父ともう産み月の次女いつ救急車を手配してもおかしくない二人を残して二人で義父の納骨に出かけられないのが残念です。
下記のの記事はFBに数日前に乗せた記事です。
義父が亡くなって一ヶ月が絶ちました。あっという間の一ヶ月写真をPCに取り込んでいて義父を偲ぶのに適当な写真がありました。
岩国の錦帯橋を渡るとすぐ吉香公園(旧岩国藩主であった吉川家の氏神社である吉香神社が現在の所在地(吉川氏の居館跡)へ移設されたのに合わせ、同神社の境内および付属地が庭園として整えられたのを始まりとする。)があります。その入り口に彫刻家の父が残した佐々木小次郎の銅像が設置してあります。(同じ像が巌流島にも設置してあります。) 葬儀が終わり私と茅ヶ崎に住む私の長...女と孫ふたりを連れてひとまず先に群馬に私達は帰りました。孫は学校、私は私の父の病気や出産間際の次女の為。 帰りは新岩国からの新幹線。亡き父が残したブロンズ像の前で家内が私達の写真を。 もう二度と父の作品の前で写真を撮ることが無いような予感がします。 通夜の日から葬儀の日と土砂降りの雨が葬儀が終わり帰る日は空は晴れ渡り写真のように桜の名所吉香公園の緑と山の頂上に向かうロープウエイの先には岩国城がしっかりと見送ってくれました。 |
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今年は喪中につき新年のご挨拶はご遠慮させていただきます。
昨年ののロンドン・パリ行きから家内は飛行機の中でどうやら高血圧になってしまった用です、その後ロンドンから出産のため日本に連れて帰ってきて検査の連続一段落して12月に入り義父(山口)の父の死そして葬儀。義母を一人実家におけず大阪の長男の家に搬送とりあえず家内の実家の方は大阪の司法書士に任せて少しは一段落。 義父の葬儀が終わりとんぼ返りで群馬に戻り今度は私の父(二人とも92歳の申年)の大腸癌の検診無事に内視鏡で1時間の手...術で摘出。しかし半年以前から食が変わり体重が10キロ落ちたのでどこかに癌があるのではないかと歌がつていましたが、大腸癌の摘出で一安心したのですが群大のDr曰く大腸癌では食欲が落ちないとのこと。大腸癌の手術の後、主治医の内科の先生(絵画教室の生徒さん)から電話。肺に三カ所怪しい陰。すぐにCTの検査。 かなり父も大腸癌摘出の後、体力的に落ちていたので又造影剤でのCTの検査はしんどかった模様ですが肺には癌が見られず長い間のタバコの吸い過ぎで肺気腫になっていたのは分かっていたのでその陰で住みましたがもう一度肺ではなく腹部のCTを取った決か膵臓癌が発見。それもかなり悪い状態です。 私も親戚・群大の友達のDrなどに連絡をとり心配してかけってくれた教授の人たちもいますがやはり半年以上前から食が変わり物が食べれなく成ったのは膵臓癌の精だった用です。 毎年前橋市の爽やか検診はすべて行ってきて異常は見当たらなかったのですが、膵臓癌は殆ど発見は困難です。まして若ければステージ1で発見されても半年しか持たなかったなど進行の早い癌ですが父は92歳と高齢でしたので今まで持ったのでしょう。 1月4日に群大で大腸癌結果と転移のために検査をした報告の予約を取ってありますので今回の主治医から群大へCTの結果を持って大腸と膵臓は同じ科Drでよかったので今後の手術あるいは延命についてよく話し合わねば成りません。 膵臓癌・一番成ってはほしく無い癌です。 やはりタバコ・肉など良くない物です。 今も教え子のお父さん外科医のDrにお話をして余命を聞きました。 4日に群大に検診にいってから私から父に告知しなければならないと思っています。 |
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義父が危篤の知らせを受けたのが11日深夜4時前橋から山口までどんなに急いでも6時間。妻が朝6時の新幹線に乗り続いて次ぐ日私の長男(孫)茅ヶ崎にいる私の長女と子供たち(曾孫)が向かいぎりぎり死に目には会えたそうです。私は私の父亡くなった義父92歳と同じ父と8ヶ月の次女をぎりぎりまで見て葬儀に駆けつけました。
義父はたばこの吸いすぎで五年前に動脈瘤が発見されましたがもう手遅れ、それでも五年生きながらえる事が出来ました。 義姉がたまたま帰郷していたので苦しんでいる義父を救急車で運び二日間は付きそう私の妻も見ていられないほどの苦しみ途中でモルヒネで痛みを止めていただき3日目になくなりました。義父は山口県では名の通った彫刻家岩国の錦帯橋のたもとにある吉川公園野入り口にある代表作佐々木小次郎銅像があります。もう一体は巌流島に。 義母も90歳無事に葬儀は終えましたがこれからが大変です。 人一人亡くなると言うことはその後待っている色々な片付けが山のように待っています。昨日今日と喪中のはがきを出しました。
これなどほんの時の口今後残された家族の戦いが始まります。 私も一足先に帰郷私の父が19日群馬大学で大腸癌の検診。
私が見ていてほぼ癌があると思っていましたがやはりありました。 1時間掛けて摘出出来ましたがほかへの転移を考えて25日CTでくまなく検査。 一度あることは三度あるのたとえ、私の父そして家内の母と続けて旅立たぬよう今は願うのみです。
人は必ず終わりが来ます。
父や義母のことばかりではありません。 今出産のためロンドンから帰国している次女8ヶ月の新しい命が無事に得負けてくることも願っています。 命とは何か?
人は生まれて死んでゆきます。 死と引き替えに新しい命に明日を託す為に。 中々歳を取らないと自分が先祖から託された命だと気がつかない物です。
絵画教室は一週間お休みをいただいて今週の水曜日から始まりました。 油絵は300年でも500年でも残る物です。 人が生きた証です。 生徒さんには未来の子孫に託す作品を残すべく励んでもらいたいと思っています。
写真は14日岩国に向かう新幹線の中からの撮影です。
義父の亡くなった13日は父が夢にまで見ていた岩国空港に東京岩国間のフライトの開通した日でした。 きっと出発便で自分の母校の東京美術学校(芸大)に飛んでいったことでしょう。 |
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柏と放射能汚染様からのご紹介ブログです。
放射能汚染がれき、福島県外で処分の方針 細野原発相
細野豪志原発担当相は13日、東京電力福島第一原発周辺の放射能汚染がれきの処理について「福島県を廃棄物の最終処分場には絶対するべきではない。国として責任をもって処理していく」と述べ、政府主導により福島県外で処分に当たる方針を示した。訪問先の福島市内で記者団に語った。
ついに細野原発担当相がこんな発言をしました。彼が無知なのか、現実を知って「やむを得ない」と思っての方針なのか、私は判りませんが、何れにせよこれは子供達や、これから子供を産む若い女性をはじめ、日本国民にとって最悪の選択と言えます。 瓦礫処分の問題について小出裕章先生(京大原子炉実験所)も言っていますが。福島第一周辺は今後30年以上、「放射能の墓場」にするしか土地として利用価値はないのです。そこに日本中で汚染された物を集めて「立ち入り禁止」にする。残念ながら汚染を食い止める方法はそれ以外に無いのです。 その理由は二つあります。 1.福島第一周辺にはセシウムやヨウ素以外に、質量が重い為に高く舞い上がらなかった物質があります。肺がんを引き起こすプルトニュウム(半減期2万4千年)や白血病を引き起こすストロンチウム90(半減期30年)です。その他、未だ人類が体験した事がない放射性核種が膨大に降り積もっていると言われています。 2.福島第一はチェルノブイリより放出量が多いと東京電力も認めました。最高積算や沈着量はチェルノブイリ原発周辺は370万ベクレルに対し、福島原発周辺は3,000万ベクレルです。しかし陸上への拡散域は今の所チェルノブイリより狭いと言われているので、超高濃度汚染は福島第一周辺に集まってくれているのです。これは不幸中の幸いなのです。 それなのに政府は、燃やしても消えない高濃度の放射能を、あえて日本全国にばらまくそうです。人類史上最悪の放射能が日本全国にまんべんなく撒き散らされるのです。言うまでも無いですが日本国民にはデメリットしかありません。 政府の目的は、高濃度に汚染された福島第一周辺に住民を出来るだけ多く帰らせて、「被害の補償を最小限に留めたい」ただそれだけ。 お国の非常事態だから、国民に黙って死んでくれという話だ。 14日のブログにも書きましたが、瓦礫の受け入れ表明をした北海道、四国、九州の処理場をマップにしてくれた方がいます。 北は北海道から、南は九州まで、放射能汚染は対岸の火事では無くなりました。 ちなみに、私が6月まで住んでいた東京の処分場でも、瓦礫や汚泥を秘密裏に燃やされ、プラントの煙突から吹き上がった死の灰により周辺が「チェルノブイリ自主避難区域」並にまで汚染されました。 既に7月には千葉県流山市から出た汚染焼却灰を、秋田県大館市と、北九州市のリサイクル施設が受け入れ、両市はすでに放射性物質の脅威が身近にやって来ていました。 秋田県大館市は輸送途中に受け入れをストップしたが、北九州市の廃棄物処理業「光和精鉱」では処理を終え、周辺で一時、線量率が0.2μSv/hに達した報道もあり、ベクレル換算では数万Bq/kg位の汚染焼却灰が処理された可能性があります。 これらの瓦礫や焼却灰は、今までの日本の法律では焼却や処理はもちろん、移動、運搬するだけでも法律違反に値する放射性物質です。 私達住民が自治体レベルで「No」を言わないと、これから日本は大変な事になります。 追記 震災や原発の対応のまずさから民主党の支持率が落ちて、自民党の支持率が上がっていますが、皆さん決して忘れないで下さい。 日本の腐りきった原子力行政を作ってきたのは他ならぬ、自民党ですからね。 一人でも多くの方に読んで頂きたいので、是非ともクリックお願い致します。 ↓↓↓ http://image.with2.net/img/banner/banner_22.gif
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