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※無事にアップして確認か出来たのですがアップしてから4時間ほどして現在確認したところ作品のすべてが表示されない状態になっています。確かに元のデーターはgooブログにファイリングされているのに表示の段階でリンクがすべて切れています。少し検討して再度違う形で公開出来ればと思います。
 
ただいま画像処理をしましたのgooブログ「アトリエバラスタッフのブログ」修正しました。

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数万点の宝の宝庫ルーブルです。
たぶん一ヶ月いても見終わることはないはずです。
教科書やテレビ雑誌いたるところで紹介されている作品が普通に展示してあるのです。
ルーブルの偉大さ・・フランス人のポリシーが表れています。

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火曜日は小雨交じりの天気でかろうじて傘をささなくてもぎりぎりと言った日よりでした。
平日の火曜日とは言え上野駅の公園出口沢山の人の山。
相変わらずすごい。
すぐにチケット売り場に直行。
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二枚のチケットを持っていざリホームしたての都美術館へ。
やはり人の行き先の多くはフェルメール。
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都美術館が見えてきた所で・・えぇ・・ほとんど変わっていない?
都美術館は毎年私の所属していた美術団体の展覧会会場。
改装以前は毎年行っていましたがどのように改装したか楽しみにしていましたが
大きく変わったのは入り口(上の写真)ぐらい。内部構造はほとんどかわっておりません。
 
一瞬嫌な予感がしました。
 
なぜなら
真珠のフェルメールの皆さん御承知の「耳飾りの少女(青いターバンの娘)」の展示です。
確かに前作も都美術館でフェルメール展をやってはいますが今回はちょっとわけが違います。
確かに都美術館リニューアル第一弾・・分かりますが・・
 
「牛乳を注ぐ女」(1658-1660頃) - アムステルダム国立美術館アムステルダム
は新国立美術館で展示一部屋大きなスペースを取っての展示
ダビンチの「受胎告知」は国立博物館の特別室。
 
かなり並んで見ましたが実際に作品を見るのには良く考えられた展示でしたが
ほとんど構造的に変わっていない都美術館での「耳飾りの少女(青いターバンの娘)」
案の定大変見ずらい展示になっていました。
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館内入場風景です。
私達の時は20分待ちでしたので待つ事には抵抗がなかったのですが
何十回も来ている都美術館どんな展示か検討が付いていました。
 
会場内は撮影禁止ですので此処までですがやはり背の低い女性など
「耳飾りの少女(青いターバンの娘)」の前には又20分ぐらいの行列そして
やっとまじかでご対面してもガラス越しそして作品の前で止まって鑑賞できません。
 
ただ今回の収穫はフェルメールだけでなくオランダの巨匠たちの作品もあり
楽しめましたがやはり会場の広さにに無理があるように感じます。
 
ただ驚いたのはマウリッツハイス美術館展の所蔵にはたまげました。
 
 
もうブログでは数回ホキ美術館については書いています。お読みになりたいのであれば過去記事の検索にホキ美術館と入力されればブログやコメントも読めるはずです。
ホキ美術館は世界でもまれな写実絵画専門美術館として、2010年11月3日に千葉市緑区に開館しました1年足らずの新しい美術館です。それも立地条件も交通の不便なJR外房線土気(とけ)駅からタクシー(ワンメーター660円)かバス(160円)と交通には不便な完全新興住宅ちの中に立てられている美術館です。
 
今回2月15日二度目の美術館探訪に出かけてきました。
今回は約三分の一ほど前作と入れ替わりホキ美術館開館1周年記念展覧会「存在の美」と人物画が大きく入れ替わり新しい作家の(若手)の作品も増え十分半年前に訪ねた時と同じ新たな感動をもらう事が出来ました。
 
此処からが二度にわたるホキ美術館を見ての評論になります。
だいぶ書く事を躊躇したのですが私の美術史の観点から見て独自(勝手)な視点から書いてゆきたいと思います。
ホキ美術館を書く前に、私達の教室は32年の歴史を持っています。初めは美大受験そして幼児〜小学校までの児童絵画教室15年前から徐々に大人主体の教室に変わって行きました。
 
当然石膏デッサンを基礎に油絵そして印印象画の画家たちをモデルに模写や創作にはげみました。
アトリエバラ美術教室と並行して私のもう一つの陶芸家としての仕事でアトリエバラ陶芸クラブも行い述べ50人以上指導をしてまいりました。
陶芸教室は土揉から菊練り轆轤形成徹底的に基礎の指導を行いますまず半年は作れても焼きません。
2時間かけて制作した作品もすべて切ります(壊す)ですから最初の年など年に3点も焼きません。
3年もたっと早い人では私の作品の中に入れると探すのに苦労するほど上達します。
それほど工芸を学ぶとは遊びではてきません。
 
しかし絵画はバブルと言う時代もあり絵画教室に通う大人の方達は差し迫ってプロを目指しているわけではありません。
ですから基礎のデッサンは軽く飛ばします。
それゆえ二年たっても三年たっても上手くなりません。
そこで再びデッサンに力を入れ私が今から10年ほど昔一人の作家イタリアバロック界の巨匠
カラヴァッジョ Caravaggio1573-1610の作品とであってからアトリエバラ美術教室では
カラヴァッジョをお手本に印象派と決別をして再スタートを切りました。
 
さすがに巨匠カラヴァッジョの模写はプロの画家でも大変な作品をを教材にして取り組みましたので当然
挫折する生徒さんも現れ始め少し皆さんが興味を持ちカラヴァッジョほど大変でない作家(作品)を探しました。
これ又オランダバロックの巨匠ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer (Jan Vermeer)1632-1675
の真珠の耳飾りの少女(青いターバンの娘)と出会い教室の模写の教本にいたしました。
まだ教室で真珠の耳飾りの少女(青いターバンの娘)を模写を始めた頃はまだほとんどの人が真珠の耳飾りの少女の絵は見た事があってもフェルメールと言う画家が描いた絵など分かる人がいない時代に教室では教本にしました。そして今では20点を超える模写が仕上がってきました。
フェルメールが日本でブレークしたのは国立新美術館開館記念アムステルダム国立美術館所蔵 フェルメール牛乳を注ぐ女」と オランダ風俗画展. 展覧会会期: 2007年9月26日からでした。私達も日展を見に行きながらフェルメール?「牛乳をそそぐ女」?を見に行きその作品は今まで見た事もない色彩と構図並びに技法かで書かれてあり作品の前から体が釘付けになった記憶があります。あれから5年の歳月がたってもフェルメールの人気はウナギ登りそしていよいよ真珠の耳飾りの少女(青いターバンの娘)が今年6月日本にやってくると聞いています。また又日々すごい人気になるでしょう。
 
すなわち経済・ファッション・美術も何百年・何千年の歴史からみれば大きな波長の用に波打っている事が分かります。
 
此処でホキ美術館の日本の近年のルーツを二人の偉大な作家から読み解く事が出来ます。
もうお分かりのはず写実絵画の元祖ともいえる一人の画家は岸田劉生。
劉生制作24歳の時。
ホキ美術館はホームページで「ホキ美術館は、日本初の写実絵画専門美術館です。」と述べてあります。
まさに劉生の現代版の様な作家の作品の美術館私の待ちにまった美術館の誕生でした。
『麗子像』
1921年 重要文化財 東京国立博物館
『道路と土手と塀(切通之写生)』
1915年 重要文化財 東京国立近代美術館
1891-1929
岸田劉生生誕120年
岸田劉生「美の本体」より
自分はポスト印象派の画家とくにゴッホ・セザンヌによりて自分の仕事に自覚を与えられた。しかしどうしても必然的に満足できなかった。僕が細かに描くのは僕が一人で物を見るからだ。素直な心で物を見るならば物はあんな大まかには見えない。しかし同時に自分は写実からのみ物を見ようとは思わない。自由に発想を巡らせて写実の御世をその用途に駆使してみたい。
麗子像
「写実の欠如の考察」という文章より。
要するに写実は道であって目的ではない目的は事実以上のところにある。言うまでもなく深き美である。
橋18歳モネを思わせる印象派
劉生も当然時代の流れてゴッホ・ゴーキャンにひかれ印象派のまねをしていた。
二〜三年で飽き足らずそしてアルブレヒト・デューラー Albrecht Durer1471-1528の作品と巡り会う。
その頃日本では印象派の時代デューラーなどアカデミック絵画など相手にされない時代彼の審美眼を刺激したのは写実の中にこそ自分の世界がある事を見つけ娘の麗子というモデルを描き始めた。
アルブレヒト・デューラー Albrecht Durer1471-1528(ルネッサンス絵画)
私の劉生の好きな絵の中に彼の描くリンゴがあります沢山の画家がリンゴを描いていますが劉生の描くリンゴは別格です。麗子像を見に行っても私はリンゴばかり見ています・笑
 
裸婦と戦争 画家・宮本三郎の知られざる闘|日曜美術館
そして今一人写実画家宮本三郎も紹介しないわけにはいきませんね。
 
飢渇は私の宮本の中で一番好きな作品です。まさに写実の中の真実が描かれています。
宮本三郎
1905-1974
 
宮本三郎と言えば代表作として↓の絵画が知られています。
宮本は1938年心機一転パリにわたりルーブル美術館で名画を模写模写する日々技量で劣らぬ自分なら日本人なら手はの用が確立できるはず。しかし留学は1939年9月1日ドイツ軍とその同盟軍であるスロバキア軍が、続いて1939年9月17日ソビエト連邦軍がポーランド領内に侵攻し第二次世界大戦へと突入わずか1年足らずで宮本は帰国を余儀なくされた。
フランス留学
当然アカデミック絵画構想画  歴史画すなわちルーブル美術館で模写の勉強を繰り返した彼にとっての絵画とはいかなるものであったか推察は値します。
帰国後フランスで学んだアカデミック絵画は従軍画家としていかんなく発揮された。
彼のデッサン力は並大抵なものではない。
しかし彼は戦後従軍画家として戦争責任の恐怖にかられる。
真中のロイドメガネはご存じの方も多いい藤田嗣治左のタバコをくわえているのが宮本三郎。
御承知の通り戦争責任から藤田はフランスに渡り日本の地を二度と踏む事はなかった。
 
戦争から帰った宮本をまっていたのは
アクションペインティング
多くの画家が戸惑いながらも抽象画の世界に移行していった。
宮本も例外ではなかった。
苦悩の選択だったに違いない。
宮本が行き着いた先は・・・・
幼き時からの念願女性の裸婦像へ・・・
 
もしも第二次世界大戦が始まらなければ・・
もしもドイツと日本が戦争に負けていなければ・・
 
もしもヒットラーがオーストリアで画家として成功していれば・・
 
常に美術史は世界史・日本史(経済・文化・文明・政治・etc)と密接に連動しています。
絵画やその時代の芸術は必ずその時代が要求され生まれてくるものです。
 
最後に開館1周年のホキ美術館のホームページから引用させていただきました。
 
「抽象以外の具象はすべて写実的なものともいえる。そのなかでも再現性の程度の高いものや細密に描かれているもの」「写実とは、目の前にある対象を再現することでも模倣することでもなく、その対象のずっと奥にあるものと出合うこと」「物事の本質を見つめ続け、存在を描くこと」「現実にある要素を抽出し、人為的な操作を加えて存在するかのように描くもの、また、情緒的な部分を排除し本当に現実に迫るリアリズムもある」「写生とは違い、前向きにそいでいくように物を見て自分の世界をつくり、自然をもうひとつ再現していくこと」など、さまざまな考え方が語られました。
写実絵画界のリーダーである野田弘志氏は著書『リアリズム絵画入門』のなかで、「写実絵画とは物がそこに在る(存在する)ということを描くことを通してしっかり確かめようとすること。物が存在するということのすべてを二次元の世界に描き切ろうという、一種無謀ともみえる絵画創造のあり方。物がそこに在るということを見える通りに、触れる通りに、聞こえる通りに、匂う通りに、味のする通りに描ききろうとする試み」と述べています。
21世紀世界は大きく揺れています。
当然美術界も例外ではありません。
 
アカデミック絵画を否定した印象派から数百年20世紀fは野獣派・表現主義・キュビズム・構成主義などに行き着いた結果再びルーブル美術館が誇示するアカデミズム【academism】 の絵画表現に世界が大きく舵を切り始めたと思います。
 
現代大行列を作る美術展の多くが古典(フェルメール・ダビンチなど)に人人とが集まる事が証明しています。
 
ホキ美術館に行って3週目に入りようやく感想を書いてみましたがやはり旨く纏める事が出来ませんでしたがいずれホームページにには又美術史の考察を書き上げたいと思います。
 
 ★晩年宮本が残した言葉。
「私の50年は「時代」という魔物の強圧に対応できるような気質の発見への模索にあったかと思う。
 
 
 
ホキ美術館「存在の美」から
 
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MSN産経ニュースより転載
ディズニーの写真はやはり動画撮影が一番面白いので今回は
ファンタズミックのクライマックスを昔のカメラで写したものの一枚をアップしました。
 
 
20日〜21日とディズニーシー・ホキ美術館 へと言ってきました。
出発前に台風15号接近とのニュースで取りやめも考えたのですが
私が意外と晴れ男?
思い切って出かけました。
15日は前橋出発時から曇り空先日の35℃の暑さは一変
今回ホキ美術館がメインで企画したのですが
ディズニーシーのファンタズミック!.のショーを見たい為達ょったのですが
公演は夜の20時・・・・
昼前にシーに到着した後いつもどおりのコースと新しいショーなどを見て
ファーストチケットなど取りにインディ・ジョーンズ・クリスタルスカルの魔宮
まで午後2時に着いたのですが発券が夜の8時20分・えぇぇぇ
 
確かにいつも出かける2月とは異なりその3倍以上の人出
夜の8時まで何とか持っていった傘を開かない程度の小雨
一瞬降ってもすぐやむと言った状態で
無事に念願のファンタズミック見る事が出来ました。
 
毎回ディズニーシーに行きショーを見ると感動の熱い涙が一瞬こみあげてきます。
私も40年建築・映画・陶芸・美術教室など人生のほとんどをクリエーティブな仕事と付きあってきました。
 
最近映画は月二度ほど劇場に行きますがほとんどの映画はCGによるSFX画主力になり
それはそれで制作過程を知っていますので感動しますが
ディズニーシーでは企画・演出・デザインすべて手づくり
確かに巨大な資本が投入されていたとしても映画にはないクラフトの作品は大きな感動を与えてくれます。
 
まさにディズニーとは究極の反対のクリエーターとしてホキ美術館は存在します。
まさにディズニーが総合の芸術ならばホキ美術館の作品は個の芸術です。
 
すべての事柄に当てはまる事なのですが人は同じものを見てもまったく感じ方が違っています。
それは経験です。
 
ホキ美術館に行く前に電話して聞きました。
所要時間はどのくらいですか?
「1時間ほどです」
生徒さんは3時間でも足りなかった。と言う話。
 
絵に関心がなく勉強もしていなかった人には1時間もあれば十分です。
しかしデッサンを学び基礎の絵画を学んだ人間にとって一枚一枚の絵画からの言葉を聞くだけで
3時間では到底足りないと言う事になります。
 
私が映画の仕事をしている時に撮影所を見学していた事があります。
その時は西部警察で石原裕次郎さんなどの面々にお会いしましたが
セットを作っている大道具の人達・小道具の人達すべての人の心が一つになって作品が生まれます。
ディズニーはまさに何千人の人によってお客様をもてなすと言った「一点」に付き進んでいる事には
ただただスタッフ全員に感動します。
 
物事をより楽しむ為にはそして人として生き人として死ぬ為にはやはり多くを体験し学びの経験値こそが
人をただ物欲・金欲だけでなく物事の奥にある人の人としての心が見えてきた時に本当の感動が増す事でしょう。
 
話は変わりますがアトリエバラ英会話教室で学んでいる生徒さん達を聞いていると
もしも中学生の時に習っていたらたぶん今頃は片言ながら日本人が英語を話せていたろうな〜と思って聞いています。
英語は中学3年間高校3年間大学2年間やりましたが結果英語アレルギーになっただけ一言も外国人と話せません。
よく似た絵画はどうでしょう小学校6年中学校3年高校選択と最低9年は学んでいますがどれだけの人が絵が分かり絵が描けるようになったのでしょう。
 
戦後66年世界は大きく変わりっている中日本は大震災・原発・大不況に見舞われている中で
すべてとは行かなくても今までの日本の組織を組み替えないとどうにもならない所に来ているように思えます。

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