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2016年4月28日
・「安全で安心な環境だからこそ、症状を見せることができるようになった。」という言葉に、なるほどなと思わされました。今までは、緊張したり、不安だったり、責任感があったから、自分の本当のつらい気持ちや、SOSを出せておらず、にこにこと仮面をかぶっていたが、落ちつけて、安心安全だと思える場所にいることで、今まで隠していたり、ため込んでいたSOSや不安、つらい、悲しいという気持ちが抑うつ症状として表われたのかと思った。うつ症が発症するのは、よいこととはされないが、抑うつ症状として表現できたということが、自立や支援の第一歩として考えることができるのだと知り、新しい見方ができた。どのような親でも子どもは親を求めてしまうのかと感じ、それはどうしてかなと思った。親はどうして子どもにとってそれほど存在が大きいのだろうと思った。母親も、子どもの時につらい体験をしたのかもしれないと思うと、やるせない気持ちになった。
・虐待を受け、心がこわれてしまった後でも、いつでも戻ってくることのできる場所、受け入れてくれる人がいれば、長い時間をかけてでも、少しずつ変わっていくことができるのだなと感じた。それと同時に今後、良治のような思い、経験をする子が減っていくように、いなくなるように、親にも目を向けた支援が更に必要になっていくのではないかと思った。私は幸い、親から虐待を受けることはなかったが、私の住む近くには、辛い思いをしている子どもがいるかもしれない。気づいた時に、手を差しのべることのできるような人間になりたいと考えました。
・虐待を受けた子どもたちの心の深い傷を考えると本当に胸が痛みます。良治や兄弟たちは、長期のネグレストにより、身長も体重も平均より二学年下回っていたという姿を想像すると両親が許せない思いでいっぱいです。良治はゆっくりしなさいと優しい言葉をかけられたおかげでその後安心して眠ることが出来たのだと思います。安心感に満ちた生活空間はそれだけでも治療的で大切なことだということが分かりました。しかし、過去の事がフラッシュバックされたりしていて傷を癒していくためにはかなりの時間が必要で、完全に消すことは難しいと感じました。現在でも児童虐待のニュースはよく聞くので、とうしたらなくなるだろうかと思う毎日です。
・過酷な虐待を受けた子どもが現実逃避をしてファンタジーを作り出し、辛いときに辛いと伝えられなくなるという現実を初めて知った。また、良治と浩太がテーブルに頭を打ちつけていたときの土井先生の対応にも驚いた。普通の人であれば「危ないから、止めなさい。ついに頭がおかしくなったのか。」と言うだろう。しかし、良治と浩太のあまりにも過酷な過去を知り、PTSDの症状がある背景を考えれば、からだで思いを表現する行為を止めることは誤りだといえると感じた。日本でこのような事例が多くある事実を知れて良かった。海外では児童虐待に関する制度が昔は整っていなかったという事も、初めて知った。私はこれまで、「虐待を受けた過去のある人」をはっきり見たり聞いたことはないが、本の中で出てくる症状と一致する人は何人か知り合いにいる。その人は親との思い出を話そうとはしないので、もしかしたらこのような過去をもった人なのかもしれない。
・「子ども時代」という、社会的責任を感じないで遊んだり、誰かに甘えたりする時期は必要なのだと思った。良治にはその時代が無かったために、本来そうなるべきだった時期に感じたストレスや精神的な重圧を睡眠や抑うつ症状、外傷行為などによって発散していたのかもしれない。また、その時に見守ってくれる大人や浩太の存在は支えとなり重要であったと思う。
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