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1998年11月下旬 兵庫県高砂市での『窃盗常習者に何のお咎め無しの派遣勤務先』を1ヶ月半程と短い期間で辞めた為大阪でのセミプロ生活は上手く行かないだろうとの予測 (一旦パチ屋セミプロ生活止めた後最低6ヶ月は間隔を開けないと同じ地域でのパチ屋収支実績がセミプロ級に回復しないと思ってたので)をしてた私は大阪に戻って即入寮工場派遣勤務求職活動に入りました。 そして幾つかの応募及び面接を経てスポーツ新聞の求人広告で募集してたある派遣会社に応募電話を入れました。 電話では相手側が『空きのある派遣先幾つもあるから面接直ぐ来て下さい。』と言う殆どの場合面接後採用即決と言う仕事内容その時点では未定でしたがそこの派遣会社で働くべく 翌日原チャリで今や日本一人気ある?癒しキャラ『ひこニャン』が現存してる(当然当時は居ない)滋賀県H市のJR駅近くにあるその派遣会社事務所に面接に向かいました。 滋賀県内で働くのはその時が始めてで大阪市内から100kmちょいあるH市に辿り着く道程が始めて原チャリ走行する道と言う事で道に迷わないか?心配だったが非常に分かり易い道程で思ったより早く滋賀県H市市街地内の派遣会社事務所に到着しました。 その入寮工場派遣会社の名前は『W・プラン』と言って後に仲良くなる同時勤務開始同僚が言うには滋賀県内の派遣会社を転々としたり長く滋賀県の派遣会社で働いてる人は先ず知らない人が居ないと言う 滋賀県内のみのローカル派遣会社でしたが滋賀県内派遣勤務者にとっては有名な入寮工場派遣会社と言う事でした。 『W・プラン』事務所で早速面接して直ぐに私含め5〜6人でH市に隣接してる町にある『S電機』と言う自動車やバイクのバッテリー製造会社で働くべく面接に行きましたがそこの面接官の人が派遣社員のそれまでの勤務実績が芳しくなく 面接始めから全員に厳しい目を向けながら慎重な採否厳選と思わせる面接でその後少し時間を置いて採否の返事をすると言う事で近所の喫茶店で待たされました。 約1時間後『S電機』面接官の採否返事は『全員不採用』でした。 しかし私始め『S電機』で面接した全員が『不採用』の結果にかえってホッとしました。 何故なら『S電機』面接官の私達を見る目があまりにも厳しい目だったからです。 |
派遣勤務-だって稼ぎたいんだもの
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