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1998年11月下旬 『S電機』面接の結果が不採用との事で私ともう一人を除いて『他の派遣会社に面接予定あるんで』その他の理由で『W・プラン』ではまだ幾つもの勤務先を用意してましたが辞退して帰って行きました。 私が『W・プラン』での勤務希望のままだった理由は原チャリで100kmちょい走行して来て『W・プラン』の方でまだ幾つもの勤務先が用意されてて『S電機』だけは特別厳しい採否厳選だっただけで 他の幾つもある勤務先はよっぽどの事が無い限り採用間違い無しと言われていてわざわざ採用されるか分からない他の派遣会社に頼る必要性を感じ無かった為です。 もう一人は既に『W・プラン』の幾つかの派遣勤務をその時迄2年程継続していてすっかり『W・プラン』色に染まった派遣勤務者だったのが理由でした。 派遣社員管理担当者に連れられて一旦『W・プラン』事務所に戻った私ともう一人は30分程待たされある勤務先面接に連れて行かれた私達2人は待遇やら仕事内容の希望をしなかったので何処にある何て会社でどんな仕事内容なのか?聞かされずに勤務先面接に向かいました。 到着したのはH市市街地から大きく外れた山道を数km入った所にある『仁丹』で全国的に有名な『M仁丹』でした。 食品製造工場なので衛生的に現場見学時から細々と煩く注意を受けました。 私にとって入寮工場派遣としては始めての食品工場勤務で私服通勤義務の工場でしたが私服から着替える作業服で仕事する訳では無くその作業服は食事時含め休憩時と私服との更衣室との行き来にだけ着る服で作業場へ入る時は目の周り以外は完全に覆われたクリーン・スーツと言う私にとっては人生始めて着る何とも暑苦しい身なりでした。 作業場は25℃に保たれてましたがクリーン・スーツの下に少なくとも上半身はシャツ1枚下半身はパンツと作業場の外で着る作業ズボン着用だったので動いてると中途半端に汗ばむ様な環境でした。 私はそこで末永く働くつもりで来た訳では無く翌年1999年6月末日で辞めるのを決めてたのでその作業環境でも良しとしてもう一人の同僚と共に働きたい意思表示をした所 『M仁丹』面接官の人は『ほんならいつから勤務にしましょか?』と『W・プラン』管理担当者に話したので勤務即決と自覚しました。 |
派遣勤務-だって稼ぎたいんだもの
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