偉大なるロックンロール詐欺

ミッキーなんてネズミでも人気者になれるなら俺でも人気者になれるさ!通称『S』土曜定休です。

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↑日本随一のアウトローエリアの最もコアな場所から見た日本一のビル。


1999年6月中旬〜下旬

『斜里シャリ町』の最も知床半島先端寄り市街地『宇登呂ウトロ』数km手前にあるオシンコシンの滝と言うのは滝の水が細かい霧状に舞い上がっていて展望台に居ると身体に大変良いイオンを浴びてる様で非常に心地好いです。

宇登呂ウトロ市街地に到着し暫く休憩しましたがこのウトロと言う所から知床半島先端迄行ける観光船があるんですが乗船料金がめちゃ高いので私はウトロを何度も訪れてますが知床半島先端観光船は利用した事がありません。

ウトロを出発し知床半島横断の前に『知床ビジターセンター』『乙女の涙』(正式な滝の名前ど忘れしました)『知床五湖』そして知床半島横断前のクライマックスである『カムイワッカ湯の滝』へと・・・

『知床半島ビジターセンター』では知床半島先端迄の航空撮影動画を観る事が出来るので観光船乗船の代わりにいつも此処に立ち寄る度に観てます。

『乙女の涙』へは『知床半島ビジターセンター』から徒歩30分近く掛かり時間によっては『ヒグマ』と出くわす可能性あるので一人で周りに誰も居ない時は注意が必要です。

ただ真昼間は先ずヒグマが出る可能性殆ど無いとの事ですが『知床半島ビジターセンター』から『乙女の涙』に辿り着く迄に私はヒグマの爪痕や糞を見た事があるので決して早朝には行かない方がいいでしょう。

・・・と言いながら私は後年羅臼町のキャンプ場連泊中に早朝まだ空が明るくなりきってない時間に『カムイワッカ湯の滝』に一人で行った経験があり『羅臼町ビジターセンター』の職員に翌日その事を言うと『2度とその時間に行かない方が身の為ですよ』と言われました。

『知床五湖』は何度も訪れていますが『第1回北海道原チャリツーリング』の時以外は五つある湖の内『一湖』『二湖』だけしか見れませんでした。

理由は『知床五湖』管理者が毎朝早朝『知床五湖』の全域をヒグマ&足跡確認に見回り殆ど毎日『三湖』『四湖』『五湖』の通り道でヒグマ目撃or足跡がある為そういう日はその部分が1日通行厳禁になり『一湖』『二湖』しか観れないばかりでした。

1996年6月の『第1回北海道原チャリツーリング』時に『知床五湖』全域を周れたのは非常にラッキーな巡り合わせだったみたいです。

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↑本当だよ!またしたらまた踏んずけてやる!


1999年6月中旬
『遠軽エンガル町』のキャンプ場のテントサイトは芝生でしたが傾斜がやたらきつく少し寝返りするときつい傾斜を転げそうになるのでその度に両手両足で踏ん張らなければならず寝心地最悪だったのでこのキャンプ場利用はこの時1泊かぎりでした。
翌日は訓子府クンネップ町と言う町やその周りを巡り北見市の正式なキャンプ場でしたが管理が全くされて無いえらく長く生い茂った雑草のテントサイトでした。このキャンプ場には後に1〜2度利用してますが遠軽町のキャンプ場同様オススメ出来ません。
この時北見市街地ではグループ名は忘れましたが『花火』その他数曲の全国的ヒット曲を出した中学生ガールズ・バンドの出身地と言う事で市街地中そのグループの曲がやたら鳴ってました。
北見市と言う町は周辺地域の自動車のナンバープレートに記載されてる程ですがそんなに大きな町ではありません。網走市よりかは少し大きい町かな?と言う程度です。
あと北見市特産物としては『ハッカ』があり北見市を通る度『ハッカ爪楊枝』を買ってました。
北見市のキャンプ場テント2泊?後は『サロマ湖』と言う汽水湖(静岡県浜名湖みたいに一部海と繋がってる)南側一帯をくまなく巡り予定通り『第1回北海道原チャリツーリング』でもテント泊した網走市内の湖畔にある『呼人浦キャンプ場』に泊まりました。
このキャンプ場は前にも記載しましたが私の中では宿泊経験あり北海道内キャンプ場ベスト10に入れてもいい位気にいってます。
キャンパーが大勢居てもノンビリとした雰囲気といい私が気にいってる様にリピーターも沢山居ますがタチの悪いリピーターと遭遇した事が無いのが『ベスト10キャンプ場』としてる理由です。
網走市『呼人浦キャンプ場』の次が羅臼町のキャンプ場泊でしたがもしかしたら『呼人浦キャンプ場』に辿り着く迄にテント泊したキャンプ場があったかも知れませんが記憶が定かで無いのでスルーしときます。
『呼人浦キャンプ場』は2泊して2日目は網走市の観光名所である『能取岬』や内陸部の屈斜路湖の北側一帯を巡りました。
翌日北海道原チャリツーリング中間クライマックスである羅臼町に向けて出発し知床半島オホーツク側を通り『宇登呂ウトロ』と言う市街地手前数kmにある『オシンコシンの滝』に立ち寄りました。

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↑夜明けの萩ノ茶屋商店街


1999年6月中旬
今回は道東方面訪問後富良野界隈長期滞在して最後に小樽勝納臨海公園泊後福井県敦賀行復路フェリーと大まかな日程は決まってました。
小樽到着が早朝と言う事もあり北海道上陸初日の宿泊地は上富良野町『日の出公園キャンプ場』と決めてました。
上富良野町に向かう途中1回の食事とGSでの給油以外で時間をつぶす事が無かったので上富良野町『日の出公園キャンプ場』へは昼頃には到着しました。
上富良野町『日の出公園キャンプ場』へは道東方面巡りを終えた後に10泊はする予定だったので北海道上陸初日の上富良野町『日の出公園キャンプ場』テント泊は1泊だけでした。
この時点では開店してたえらくレトロな銭湯を利用しまして確か2001年訪問時に閉店してましたがこの銭湯は重要文化財か何かで建物だけでも残して欲しかったです。
2004年時点では建屋はまだ残ってましたが2009年時点で無くなってました。
とにかくこの銭湯は開店中でも開いてるのか?どうか分からない位あまりにひっそりと佇んでいて私的には上富良野町の文化遺産の価値有りと思ってました。
雰囲気が『昭和』と言うより『大正』って感じが漂ってました。
まぁ北海道内には現在でも全道地域に『もしかして築100年以上?』とか『もしかして開店して100年そのまんまの建屋?』と言う店が至る所に残ってます。
沖縄にもそんな『いつからの店やろ?』と言う建屋が至る所にあります。
北海道上陸初日を上富良野町『日の出公園キャンプ場』で1泊のみして富良野界隈満喫は最後の楽しみとして置いといて旭川市街地経由で道東方面へと・・・
此処からが知床半島到着迄の道程が記憶が定かで無く日程が飛び飛びの記載になり記憶違いの記載があるかも?と言うのを御承知おき下さい。
確かなのは最後の方の上富良野町『日の出公園キャンプ場』再度テント連泊迄は道東方面をかなりくまなく走りまくった事です。
『日の出公園キャンプ場』泊翌日は旭川市から北東エリアをぐにゃぐにゃ色んな道を走行して(北海道内全国道&主要道道完全走破の為)確か旭川市と網走市の中間辺りにある『遠軽エンガル町』と言う町の市街地内にあるキャンプ場でテント泊しました。
このキャンプ場のテントサイトは芝生でしたがどえらく傾斜がきつく利用したのはこの時1泊かぎりでした。

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↑心当たりあったから持ち帰ったよ!


1999年6月中旬

福井県ののどかな町で見知らぬ婆さんから『この辺の家は何処も玄関に鍵を掛けない』と言われ『そんな地域が日本にもあるんや』とちょっとしたカルチャーショックでしたが後で考えたら
そこに辿り着く迄の滋賀県の町や京都府舞鶴市迄の通過した町も『何処の家も玄関に鍵掛けない』的雰囲気の町だった様に感じました。

大阪市西成区あいりん地域では自室の鍵掛けずに或いは掛け忘れて泥棒に入られ何か盗まれても周りから『あいつアホや!』と馬鹿にされまくられるだけです。

西成あいりん地域の無許可露店の売り物は基本的に『盗品』と言う事らしいです。

話は飛びますが毎度お馴染み最寄鉄道駅がJR東舞鶴の新日本海フェリーターミナルに到着した時往路フェリー出航時間迄まだ6時間以上あったので
チケットカウンターで乗船券を受け取るだけしといて乗船開始時間直前迄JR東舞鶴駅周辺のパチ屋で見知らぬ人の大出し振りや大ハマリ振りを遠目に見学したりして時間つぶししました。

当時JR東舞鶴駅近辺でただ一つのスーパー(現在この店は閉鎖)へ途中往路フェリー内での食料を買い出ししてまたパチ屋へ戻り・・・

持ち金があっても当時はフェリー内レストランの食事代が高く思えて利用する気が起こりませんでした。

大金持っててもフェリー内ではカップ・ラーメンやカップ焼きそばやおつまみ類やパンで充分でした。

そして往路フェリー乗船開始時間直前にフェリーへと・・・

確かな記憶ではありませんが1999年の時点では新日本海フェリー全航路にはコインランドリーが完備されていて重宝しました。

もしかしたら今現在でもコインランドリー完備の長距離フェリーは新日本海フェリーだけかも知れません。

舞鶴からの夜遅くの往路フェリー出航の翌々日早朝4時過ぎに北海道小樽に到着しました。

『第4回北海道原チャリツーリング』は記憶が定かで無い部分が多いと記しましたがこの時の北海道上陸日の事はハッキリ覚えてます。

前年の7月〜8月の『第3回』で予定してた道東方面訪問が原チャリ故障連続プラス『第80回全国高等学校野球選手権大会』観戦願望が強くなった事で中止にした為『第4回北海道原チャリツーリング』は道東方面をくまなく訪問するのが目的でした。

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↑今朝の私(上)と今朝の私の朝食(下)


1999年6月中旬

滋賀県H市の入寮工場派遣会社『W・プラン』を不本意な形で辞める事になりましたが働く前から30数万円持ち金があり不本意な形で辞めざるを得なかった派遣先『M仁丹』退職時にも未払い給料分合わせて
6ヶ月半勤務して50万円程持ち金を増やして居た事もあり結果的に現在迄10回実行している『北海道原チャリツーリング』の中で今回連載する『第4回』が出発日から関西帰省日迄約50日と最も長い日程となりポジティブに考えた私は存分に
『でっかいどぉ〜北海道ぉ〜』気分を満喫出来ると『W・プラン』の元ビジネス・ホテル1ルーム寮を出発する時はえらくウキウキ気分だったと記憶しています。

しかし残念ながら今現在10回実行した『北海道原チャリツーリング』中『第4回』の今回が最も長い日程だったにも関わらず最も詳細な記憶が曖昧な『北海道原チャリツーリング』連載となりそうです。

記憶が確かで無い部分は『こうだったよな?』とかある程度の憶測で書き綴るかスルーするかになりますので。しかも記憶が朧げな部分は掲載せずその部分は飛ばしたり簡単に数行だけで

『どうした。こうした。』としか書けませんので記憶が確かで無い部分は『確か』と言うフレーズを入れ記憶が朧げな部分は語尾に『?』を入れときます。

記憶が確かで無い日程分は記載しない部分もありますので連載して記載してる日数と出発日から地元関西帰省迄の日数が合わないかと思いますが記憶に無い日程をスルーしてる為ですので御承知置き下さい。

それでは『第4回北海道原チャリツーリング』出発日に関してですが往路のフェリーが京都府舞鶴市から出航だったんですが私は敢えて遠回りとなるそれまで通った事の無かった琵琶湖東周りから福井県の海沿いに出て舞鶴へ向かいました。

出発日のフェリー乗り場に向かう時から『ツーリング』は始まってる訳ですから私はその時『今回原チャリで走っとかんと2度と通る機会が無いかも知れんし』と言う思いで琵琶湖東周りから福井県海沿い町道程と言うルートで舞鶴市に向かいました。

その時通った福井県のある町で休憩中見知らぬお婆に話掛けられ少し会話しててその土地では何処の家も玄関に鍵掛けないらしく私が育った環境に比べて『何ちゅう安全な地域やねん』と思いました。

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