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1999年9月中旬 翌朝当時は何にしてもやる気満々で取り組めて居た私は充実感満々で『D工業』正門前に向かいました。 受入教育を確か2時間位して各自配置現場を知らされました。 私とあと1〜2人以外はエアコン本体組み立てラインでしたが私はエアコン本体組み立てライン工場建屋とは違う建屋のエアコン室外機内にあるコンプレッサー(空気圧縮機)製造工程現場でした。 私はエアコン室外機内コンプレッサ−製造工程現場管理職の人に連れられ勤務現場休憩所で少しの時間面接を受けました。 私に与えられた作業は工場勤務がある程度以上の勤務経験してる人には分かるでしょうが『モートラ』(モーター・トラックの略称)と言うモーターで動く小さな牽引車を運転し 必要に応じて1台から最多で確か5台の荷台車に様々なエアコン室外機内コンプレッサー部品やその他関連部品をコンプレッサー各組み立てラインや機械加工場所に運搬する内容でした。 運搬する部品は随時無くなる前に組み立てor部品加工現場からの要請があり次第持って行くのや決まった時間に決まった数だけ持って行くのや組み立てラインのネジ類その他小物部品等は私自ら随時運搬中に残りを確かめ無くなる充分前に補充したりしてました。 その作業内容自体に何ら不満は無かったんですが『モートラ』を扱ってる現場で働いた事のある人は分かるでしょうが原チャリ免許しか所有してない私には本来『モートラ』運転資格が無い筈なんですが 現場管理職の人は『原付バイク長く運転しとるからまぁええやろ!』との事で労働基準法か何かに違反してるの承知で私に『モートラ』運搬の作業を任せた様です。 実際資格無いとは言え私には初めての『モートラ』運転作業でしたが『モートラ』運転には数日で運転技術自体は正社員や他の派遣社員レベル同様に出来る様になりました。 当然数多くある私担当部品全部やストック場所や運搬現場先を全てベテラン並レベルになる迄には1ヶ月は掛かりました。 私がエアコン室外機内コンプレッサー製造工程現場に配属され与えられた作業を教えてくれる担当は既に10年以上『D工業』に勤務してた他の派遣会社の人でした。 勤務現場先でのこの先輩派遣社員も勤務開始当初表面上は穏やかに思えたんですが・・・ |
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2012年10月09日
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今でも忘れられないあの顔立ち・・・1999年11月下旬の事でした。 その時私はその年の9月中旬から滋賀県庁所在地O市東隣K市で入寮工場派遣勤務&アパート寮住まいでした。 その日神戸市長田区の実家に用事があり日帰り帰省してて帰りの電車に乗りK市のアパート寮最寄駅へ向かってました。 しかし私は途中JR大阪駅で途中下車してプラットフォームの公衆電話から当時付き合っていた女の子が晩にアパート寮に遊びに来るのでその女の子の携帯電話にいつ頃アパート寮に戻れるか伝えました。 女の子への電話が終わり直ぐに次に発車の電車に乗りました。 そのJR線の大阪府内で一番京都府寄りの高槻駅に停車しましたがなかなか発車しませんでした。 アナウンスで『只今山崎駅との間で人身事故が発生しております。発車迄暫くお待ち下さい。』と言う。 暫くして私が乗っていた電車は発車しましたが当時隣接するJR山崎駅との中間辺りで停止してしまいました。 私は気にせずに持ってた雑誌を読んでましたが10分程してもまだ停止したままなので2両目の一番後ろ側の座席に座ってた私は身体を前のめりにして1両目方向を向くと1両目の乗客が次々と1両目の一番前の片側を覗いてました。 私は気になりましたが大した事無いと思って野次馬根性は起こらずその場で窓の外側を見てると『只今から発車します』のアナウンスと共に徐行運転し始めました。 快速列車が動き始めて直ぐに私が見ていた位置からも停止していた時の1両目一番前辺りの隣の線路上に人が横たわってるのが見えました。 JR職員2人がそれを見詰めてました。 私は一瞬何故か?酔っ払いが寝ている様に思えましたがその横たわっている人の前を徐行運転で通り過ぎる時ビックリしました! それは腹の部分が列車に轢かれて上半身と下半身が2つに切断されてる小学校入ってるか入る前かと思わしき男の子の『轢断死体』でした。 年頃からして自殺は有り得ず私が思うにその子供は電車が近付きつつあるタイミングで線路を横切ろうとしたがその電車が走行してる線路で躓いて転んで恐怖のあまり動けなくなってそのまま電車に轢かれたと思われます。 轢断された子供の顔付きは『断末魔の叫び』の様でおそらく泣き叫んでる状態で轢かれて即死した為に泣き叫んでる顔付きのままの死に顔になったと思われます。 |
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